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蕎麦切り発祥の地 江戸期に出た説 |
江戸時代、「蕎麦切り発祥の地」と書かれた地域が二ヶ所ある。すなわち、信州・中山道本山宿と甲州・天目山棲雲寺である。尾張藩士で国学者の天野信景が江戸中期に出した雑録(随筆集)・「塩尻」の巻之十三宝永(1704〜11)のなかに、「蕎麦切は甲州よりはじまる、初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売に米麦の少かりし故、そばをねりてはたことせし、其後うとむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし。」としているのが甲州説であり、一方の信州説は彦根藩井伊家の家臣で、松尾芭蕉十哲の一人でもあった森川許六が芭蕉門下の文章を集めて宝永3年(1706)に編纂した俳文集「本朝文選」、後の「風俗文選」で、「蕎麦切といっぱ もと信濃の国本山宿より出て 普く国々にもてはやされける」とした雲鈴という門人の説を紹介している。ただ、双方共に裏付けとなる記録などは見あたらず、単にその当時の伝聞を書きしるしただけのものとの評価に止まっている。 |
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