そばの歴史・そばの文化    <  サイトへ移動   .
 大坂・砂場発祥の頃  

 注目すべきは大坂「砂場」発祥の年代である。
出典は嘉永2年(1849)刊行と時代は下がるが二千年袖鑒にせんねんそでかがみ」のなかに天正12年(1584)そば屋が開店したとある。
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  二千年袖鑒(にせんねんそでかがみ)       砂場・津の国屋の店先

時代背景としては、秀吉がほぼ天下を掌握して大坂城の築城を始めたのが天正11年であるから、その翌年の工事現場(資材集積場)付近でのことである。

 発生過程がよく分かっていない「そば切」の歴史のなかで、「ソハキリ」という言葉が初めて文献として登場するのは信州・木曽大桑村の定勝寺の記録で天正2年(1574)である。
砂場の天正12年はそれとわずか10年の差ということになり、この時代すでに商いとしてそば切りが扱われていたということは特記すべき事柄であろう。
 定勝寺は木曽・大桑村須原宿の旧中仙道沿いにある。
この浄戒山・定勝寺は南北朝時代の末期・嘉慶年間(1387〜89)に創建され、木曽川辺りに建てられていたために、文安五年(1448)と文禄四年(1595)の木曽川氾濫で二度にわたって倒壊(流損)している。
あとの洪水では、川辺りから木曽義在公館跡であった現在の場所へ慶長3年(1598)に移建されているので、問題の「振舞ソハキリ」と記録される本堂の修復はこの二度目の洪水流損のほぼ20年前の川べりでのことであった。
なお定勝寺は木曽氏にまつわる古刹であり、本堂は禅宗寺院に多い方丈形式で、古文書や書画など蔵品もたくさんあるという。 木曽を訪れた際に尋ねたが、このそば切りの記述があるという古文書はそれら蔵品の中に埋もれてしまっていて公開されていないということで誠に残念であった。
これらは2001年6月に木曽を訪れた際の話であるが、さらに最近では「そば切り発祥の地」という新説?までも一部に出ているそうで、もしそうだとすると興味本位の飛躍であり異論のあるところになる。
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木曽・大桑村須原の常勝寺     浄戒山・定勝寺
          木曽・須原宿 定勝寺の山門

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