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塩尻 |
尾張藩士で国学者の天野信景は歴史・仏教・博物・天文・地理・風俗などに通じ多くの著書を遺している。なかでも「塩尻」はもっとも広く知られていて、巻之十三宝永(1704〜11)のなかで、「蕎麦切は甲州よりはじまる、初め天目山(棲雲寺という臨済宗の山号)へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売に米麦の少かりし故、そばをねりてはたことせし、其後うとむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし」とそば発祥は甲州だとしている。ただし、これ以外に裏付けとなる記録などは見あたらず、単にその当時の伝聞を書きしるしただけのものとの評価に止まっている。*「甲州説・信州説」の項参照 |
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