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詮長(東光院)
 
慈性日記の慶長19年2月3日の条『常明寺へ、薬樹・東光にもマチノ風呂へ入らんとの事にて行候へ共、人多ク候てもとり候、ソハキリ振舞被申候也』の中に、「久運」と「詮長」という二人の人物が登場している。すなわち、慈性と行動を共にする薬樹院(久運)と東光院(詮長)である。当時の東光院は小伝馬町にあって、「文政寺社書上」という記録によると「本堂并堂社寺中八ヶ院」とあり、院内に塔頭(たっちゅう)が八ヶ院(小院や子院)もあり、末寺を百八寺有した天台宗の大きな寺院であった。慈性日記を詳しく読むと、この日の「ソハキリ振舞被申候」は天台宗の僧たちが東光院でおこなったそば振る舞いであったと解するのが自然である。
 
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