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7.(3) 5.  ひよし窯を作る
更新日時:
2024.08.17 Sat
向田明弘
1 ひよし窯の概要
 「ひよし窯」と命名された木炭窯の構築は、京都府南丹広域振興局が進める南丹森のエコミュージアム構想の一
環として計画され、平成19年3月に府民の森ひよし園内南端付近の山裾に完成しました。築窯にあたったのは、南
丹市日吉町四ッ谷在住の元炭焼き職人3名で、昭和30年代まで当地で行っていた炭窯作りの記憶を呼び起こしなが
ら構築に携わっていただきました。以下、ひよし窯の概要を紹介します。
 (1) ひよし窯の場所
 ひよし窯が築かれた府民の森ひよしは、日吉ダム周辺環境整備計画(地域に開かれたダム整備計画)において、
「森のゾーン」として位置付けられ、体験・学習・実践活動を通じて自然・歴史・文化とふれあう場を提供するこ
とを基本理念として京都府南丹市日吉町天若地内に京都府が整備した森林公園です。128haという広大な敷地を
「散策の森(10ha)」「観察の森(29ha)」「体験の森(76ha)」「森の広場(13ha)」の4つにゾーニングするととも
に、森の資料館「森遊館」、木工研修館、宿泊施設、キャンプ施設、散策路などが整備され、平成12年4月に開園
しました。同園内には、旧日吉町(現在は南丹市)が郷土資料館やサイクリングターミナルを整備し、週末はもちろ
ん、ゴールデンウィークや夏休みなどの学業休業日には多くの家族連れでにぎわっています。公園区域は、既存の
森林とダム建設にともなって発生した盛土などを利用して造成を行った広場で構成されており、平成10年より日吉
ダム烏獣保護区に指定されました。もともと谷筋だった土地に埋め立てを行うことで生まれた平坦地と、もともと
山の中腹辺りだった森による地形の整備にはややちぐはぐな印象を持つとともに、シカの楽園と化した造成地は植
樹した木々が育ちにくく、公園としての整備はいくつもの課題を抱えています。この森の自然を維持しつつ、うま
く活用していくため森林ボランティアグループ「府民の森ひよし森林倶楽部」が開園から2年後の平成14年に設立
され、府民参加型の森づくりをめざして活動しています。ひよし窯の築窯後は、同倶楽部の会員有志が中心になっ
て「ひよし窯クラブ」を立ち上げ、京都府里山整備マイスターに認定された元炭焼き職人3名の指導を受けながら、
炭焼き技術の習得と維持管理にあたっています。
 (2)ひよし窯の構造
 現在のひよし窯はすでに小屋がけがされているため、一瞥して窯の外観をつかむことは困難ですが、築窯段階の
様子を記憶から呼び起こしながらその形や構造を記録します。
 外観は、側面から見ると丸い弁当箱を伏せたような形をしています。山の斜面を一部掘削して築窯したため、窯
の大部分は稜線の内部におさまり、造作物が突出している印象はさほどありません。山の中腹から見下ろすと、ちょ
うど巾着形になっており、山側に向かって楕円が広かるように見えます。
 窯の正面から見ると、入口部をはさんだ両側にコンクリートプロックか積み上げられ、鉄杭で支えられている状
態がよくわかります。つなぎに赤土が使われていますが、コンクリートプロックや鉄杭はむき出しになっています。
本来は築窯場所付近にある石を用いるそうで、それを組んだ際どこまで土を塗り込むものなの力は不明です。
窯の前面に縦4m、5mほどの平追な広場があります。窯の正面から左右両袖には、排煙ロへ行くことができる
よう階段か造成されています。現在は小屋がけがされているため、丸太の切れ端などを利用して作られた階段は左
右ともに小屋の外側に位置します。広場には、窯正面を向いて右側に灰を入れるための穴が掘られています。冬場
はここに炭を入れて暖をとるなどの利用がされました。広場は、焼成した炭を出す場所として利用しますが、普段
は点火室に入れる薪やエブリなどが置かれている程度です。現在は窯本体とともに小屋がけがされ、風雨をしのぐ
ことができるようになっています。
 窯の入口部(点火室)は、高さ100cm、幅60cm、奥行き70cmと非常に狭く、人が一人腰を落として身体を屈めな
がらやっと通り抜けるだけの空間となっています。入口の蓋は、耐火レンガを積み上げて表面に赤土を練ったもの
をまんべんなく塗り広げることでその役割を果たします。内部の人を観察するのぞき穴は、土を塗り広げるときに
燃えない材で詰め物をしておき、表面が乾燥するとそれを取り除いてのぞき穴としました。また、内部へ空気を入
れる調整穴は、入口下部にレンガの積み上げを工夫することで確保します。
 炭化室の平面形は巾着形をしており、窯床はほほ平面状になっています。入口からの長さは200cm、最大幅は入
口から奥へ2/3入ったところで200cmあります。また天井部は、縦断面図から見て奥に向かって順次高くなり、最
も高い部分は入口から奥へ3/4ほど入ったところで140cmを測ります。なお、天井や側壁には築窯時に組まれた部
材が焼成の段階で焼け落ち、その形が陰影となって残っています。
 また、天井の厚さは不均一で、中央部から奥周辺が最も薄く、側壁に近い部分ほど厚くなっています。奥壁は直
立していますが、側壁はやや上方に開き気味に立っています。壁は非常に厚く、断熱効果が高くなっています。
排煙部は、底が炭化室よりも若干低く、底面で20cm四方程度で上部へ伸び開口部に向かって狭くなっています。
開口部で12cm四方程度あります。
2 ひよし窯ができるまで
 次に、築窯の過程を参与観察によって得られた情報をもとに、出来る限り克明に記していきます。なお、この記
述にあたっては藤田徹氏(京都府南丹広域振興局農林商工部農林整備室)のメモを参考にさせていただくとともに、
片山博憲氏(府民の森ひよし管理課長)より助言を得ましたことを付け加えておきます。
(1)築窯場所の選定
 ひよし窯の構築場所は、築窯に必要な土の確保とその後の管理を考慮して選定にあたりました。特に、窯の「こ
し(腰部)」や天井部分の構築によい土が必要となるため、その運搬距離が場所の決定の大きな要因となりました。
築用の土は、赤土で少し砂礫が混じっているものがよいそうですが、予定地付近の土は石が少なくて良すぎるため、
当初からにし」作りについては問題なさそうでしたが、天井部については割れができるかもしれないということで
した。それでも、石灰を混ぜて使用することで対応することとなり、協議の結果、現在地に決定しました。
かつて炭焼きが盛んに行なわれていた当時は、炭材を集めやすく、水の便かよく排水も容易で、かっ築窯用の土に
恵まれた場所に築窯しましたが、山によって突を構築する場所がだいたい決まっていたといいます。そのため以前
築窯された場所を選ぶことが多かったようです。
 しかし、今回は事業の性格上、築窯後の多くの人びとによる活用を念頭に、府民の森ひよしの来園者が見える位
置であること、作業用の資材を搬入するための作業車が入りやすい場所であることなどの点も選定過程において大
きなウェートを占めました。
(2)掘削・整地
 着手する前に築窯予定地とその周囲に塩を撒いて清め、築窯の障害となる立木の伐採を行いました。
掘削作業は、京都府林業試験場のバックホーを用いて築窯場所の斜面を掘り下げ、土中から出てくる木の根をトグ
ワなどで掘り除きました。作業手順として、まず窯のおよその位置を決め、表土を20cmくらいの深さまで剥ぎ取
ります。この土は築窯に使用できないため、できるだけ構築場所から遠いところへ取り除きました。最初の段階で
は、窯のセンター奥にポールを立て、掘る範囲を地面にロープをおいて指定しました。ある程度掘れたら、奥と両
側の三ヶ所に短い木杭を打って目印とし、ロープの代わりにポールを地面に並へてバックホーのオペレーターに位
置を指示しました。掘っていると木々の根がかなり出てきたため、根はトグワで掘り取り、太いものは手斧で切り
落としました。切り株は、窯の「こも」となる場所から50cm以上離れていれば問題ないということでしたが、近
い場合は掘り起こす必要があるそうです。
 表土を剥ぎ終えると、窯の原型となる範囲を指定するため、前後左右の4ヵ所に杭を打ち直しました。さらに、
焚ロの位置等もわかるように木杭を打ってひもを張り、窯のだいたいの位置を確定しました。このうち、窯の前方
両端に打った杭はバックホーで掘削してしまうため作業後もセンターラインがわかるよう離れたところにポールを
打っておきました。築窯場所が斜面だったため、焚ロより手前部分は盛り土をすることになりましが、窯の位置は
この盛り土部分にはかからないようにしました。
 窯の位置か確定したら、バックホーで掘る範囲を示す杭とひもを残して、その他のものを残らず取り除きました。
本格的に掘り進めると一人が掘っている場所に付き添い、築窯に適当な土が出てきたら横から指示して別の場所に
取り分けました。時折カケヤで土を叩いて土の具合を見ながら、使える土かどうかを判断しました。築窯に使用で
きそうな細い赤土であっても根が入っているものは使用できないため、築窯に使わない土は盛り土する予定地に広
げました。バックホーでの掘削が一段落すると、トグワを用いて掘りながら仕上げを行いました。同時に窯床部分
もトグワである程度整えた後、ランマーを用いて締固作業を行いました。整地後は、排煙ロとなる「ケド」と呼ば
れる煙道の位置を決めながら、窯全体の平面図を床面にて窯全体の寸法を確認しました。
 (3)煙道作り
 窯の排煙ロとなる煙道作りは、耐火レンガを積み上げて練土を塗って仕上げた基礎の上に板で作った筒状の木枠
を載せて練土を塗りました。本来であれば基礎部は築窯付近にある石を用いて作るそうですが、今回は適当な石が
ないこともあり、耐火レンガSK32(サイズ:230X114X65mm、以下「レンガ」と称す)を使用しました。まず、水
を混ぜて土を練り、煙道のレンガを組むための詰め物として練土を作りました。煙道の床を少し掘り下げた後、左
右にレンガ1個ずつ縦置きし、奥にはレンガを1個横にして置きました。左右のレンガには鉄板をわたし、その上に
レンガ2個を立てて置きました。二段目まではレンガを縦置きにしましたが、三段目からは井桁状になるよう平置き
にして三段積み上げました。レンガを積み上げる際はI個ずつ練土を塗って行い、平置きした段は少しずつ奥へずら
しながら積み上げていきました。基礎は全部でレンガを五段積みにし、積み終えたら、内側にも練土を塗りつけて
仕上げました。規格のままのレンガたけではきっちりと組めないため、一部は切断して用いました。次に、基礎部
の上に当初の予定では土管を載せて煙道を完成させるはずでしたが、作業が予定よりも早く進んだことから間に合
わず、土管の使用を見合わせて、代わりに板を利用して木枠で作ることになりました。1mほどのべニア板を筒状に
なるよう加工し、基礎の上に置いた後、再びその周囲にレンガを一段平置きして練土で固定しました。練土はレン
ガを覆うようにかなり分厚く塗りました。また、炭材となる木々の伐採も平行して行いました。
 (4)窯腰の型枠作り
 窯腰の型枠は、楕円形となるよう杭を打ち込み、焚口を除くように割竹を杭の外側カら巻いて藁縄で固定する作
業を行いました。作業は、まず煙道を中心に窯床に窯型線を描き、位置や大きさを確認しました。そして、線の外
側に長さ120cmのスギ製の丸型焼杭を10ヵ所にそれぞれ深さ20cmほどカケヤで打ち込みました。次に、円状に打
ち込んだ杭の外側に割竹(孟宗竹)を巻き、藁縄で杭と固定しました。割竹は杭の上下2ヵ所に巻き、それぞれ杭頭か
ら10cmほど下と窯床から15cmほど上の位置にくくりつけました。ただし、焚ロとなる場所はふさがないよう竹を
わたしていきました。最後に、煙道と割竹の間にコモを扶みました。
 (5)炭材詰め
 窯腰の型枠にまっすぐな炭材を縛り付けて窯の外忰を作り、その後炭材をすき間なくしっかりと詰めて固定する
作業を行いました。炭材は、築窯場所の近辺の立木を伐採し、枝を払い1mの長さに揃えて切断していきました。
細いものはそのまま、太いものは二分割や四分割して使用しました。割る作業は、手斧またはその刃だけのものを
木口に打ち込んで割れ目を作り、そこにくさびを打ち込んで割っていきました。
 こうして準備を進めてきた炭材の中から、まずはできるだけまっすぐなものを選び、杭と杭の間にすき間なく立
てていきます。次に、並べた炭材と割竹を藁縄でしつかりと縛り付けていきます。こうして、窯の型枠部分ができ
ました。型枠にする炭材は丸木でも割木でも良いそうです。型枠ができたら、その内側に炭材を隙間なくしつかり
と詰めていきました。炭材は、煙道の近くは通気がよいよう細い木を詰めて隙間を作ります。窯床に接する部分は
生焼けになりやすいので、炭材は根に近い太い方を上にして詰めていきました。また、焚口付近は炭化率が悪く半
分ほどが灰になるため、良い木は置かず、逆に煙道付近は炭化率が良いので良い木を置きました。さらに、焚ロの
前には簡単に燃え尽きないよう特に太い木を割らずに置きました。ここが燃え尺きるのが遅ければ、その奥は灰に
なりにくいからです。木に土を塗って燃えるのを遅らせたこともあるそうです。切り口が斜めで傾く時は石を噛ま
して立てました。
 炭材を詰め終えたら、細かいすき間に細い木を詰めて、しっかりと固定していきます。型枠ができたら外側には
コモを巻き、腰打ちをする際、すき間に土が入るのを防ぎました。また、窯の中心より奥の位置に、天井部を作っ
たとき頂点になる部分に竹の棒を立てておきました。
 (6)腰打ち
 焚ロの部分をバックホーで10cmほど掘り下げて、窯のすき間に土が入らないよう型枠の外側にコモを巻いた後、
掘削面と型枠の問に土を入れてカケヤなどで締め固めて窯の「こし(腰)」を作りました。煙道の周囲から腰の部分
にかけて順次土を入れていき、ランマーやカケヤを使って打ち固めていきました。煙道の周囲はランマーを使うと
レンガで積んだ基礎がずれて排煙口をふさいでしまう恐れがあるので、もつばらカケヤだけを使って慎重に打ち固
めていきます。途中、アセピの枝を使って水を撒きます。土を入れては締め固め、また土を入れるという作業を炭
材の高さまで繰り返し行いました。の腰幅は設計図によると40cmを予定していましたが、実際は掘削した山の斜
面を利用して築窯している関係で斜面に接する位置まで腰打ちがなされ40cmよりも厚い腰幅となりました。
窯腰の外側にあたる場所に直径10cm、長さ150cmの丸型木杭を4本バックホーで打ち込みました。
 (7)焚ロ作り
 焚ロはコンパネと丸太で焚ロの内側の型を作り、外枠は耐火レンガやコンクリートプロック(道路の縁石に用いる
もの)を積んで練土で塗り固めて作りました。まず、べニア板を焚ロのサイズにあわせて2枚用意し、焚ロの左右に
立てます。そして、適当な大さの丸太を使って、焚口に立てたべニア板の内側に烏居状に組んで押さえとしまし
た。次に、べニア板の両外側にレンガを一列に3個ずつ平置きし、炭材の高さまで積み上げていきました。また、
焚ロの両脇はコンクリートプロックを積み上げ、鉄杭(アングル)で固定していきました。レンガやコンクリートプ
ロックを積む際、つなぎとして練土を詰めました。練土は赤土に目分量で1割くらいの石灰を入れて水で練り、扱
いやすいようにあらかじめハンドボールの大きさくらいの団子にしておきます。この時点で、腰打ちした際に煙道
か壊れていないかの確認作業を行います。煙道の周囲は炭材の高さよりもやや土を盛り上げて締めていきますが、
さらにその上から石灰を撒いてよく叩いておきました。
 焚ロ両脇の型枠ができると、その中に土を入れてはカケヤで打ち締める作業を繰り返します。両脇奥の木杭は、
内側に板をはさんで型枠とし、型枠の周辺を特に念入りにカケヤで叩き締めていきました。
 (8)天井部の型枠作り
天井部にコモを被せる作業を行いました。炭材の上に太い丸太と細い丸太を組み合わせ、そのすき間に細かい木
々の枝を敷き詰めた天井部にコモを被せて、竹杭で固定しました。3枚のコモを使い、1枚は焚ロ部を覆い、もう
2枚で全体を覆うように被せました。その後、周囲に土を入れて慎重にカケヤで叩きながら締め固めました。自動
車か何かのスプリングの板を切断して使うことになりました。
 次に、チェーンソーで窯内の炭材の高さを切り揃えました。続いて、その上に窯の天井部となる型枠を作るた
め、太い丸太と細い丸太を組み合わせて敷き詰めました。その時、窯の全体の大きさにあわせて天井部が丸みを帯
びるよう敷いていきます。太い丸大はかすがいを打ち込んで固定し、丸太と丸太の間には両端を斜めに切断した細
い木々の枝などを山形になるよう入れていきました。特に窯の中心から少し奥の部分が天井の頂点となるよう太い
ものから順に敷き、丸太の角や幹の皮をチェーンソーや手斧を使って削りながらドーム型になるよう丸くしていき
ました。
 また、焚ロの天井部も、最初に敷き詰めたレンガの位置から奥は細い丸大を横向きに並べて丸みが帯びるよう敷
き詰めました。
 (9)コモかけ
 天井部にコモを被せる作業を行いました。炭材の上に太い丸太と細い丸太を組み合わせ、そのすき間に細かい
木々の枝を敷き詰めた天井部にコモを被せて、竹杭で固定しました。3枚のコモを使い、1枚は焚ロ部を覆い、もう
2枚で全体を覆うように被せました。その後、周囲に土を入れて慎重にカケヤで叩きながら締め固めました。
 次に、窯打ちに向けて準備作業を行いました。まず、焚ロの天井部は土を載せた後、カケヤなどで強く叩いて締
め固めることができないため、石灰と耐火セメントを混ぜてよく練った土を使って固めました。また、焚ロの奥の
部分に空間ができており、その状態ではよくないことから今回はトタンを置いて狭くしておきました。次回以降、
火入れを行う際はこの場所にレンガを積んで行うことになりました。
 次に、窯奥の腰から突き出た木枠の煙道を適当な長さに切断し、板切れでふたをしました。煙道はできるだけ低
い方がよいそうですが、あまり低くしすぎると窯打ちの際に土などが入る可能性があり良くないそうです。そし
て、煙道の周りにさきほど焚ロ天井部に載せた土と同じ土を入れて、叩きながら締め固めました。さらに、完成後
の窯を覆うための小屋がけをする準備作業も並行して行いました。
現時点て天井の内側の高さは最も高いところで135Cm、窯腰の高さが100Cmあります。本格的に炭を焼きだし
たら、真ん中部分には110Cmの炭材を入れることが可能となります。
 (10)窯打ち
 窯の天井部を作る作業を行いました。土をコモが被った炭材の上に輪状にのせながら、カケヤで打ち固める作業
を繰り返します。
 土は築窯場所脇の斜面をバックホーで掘削したものをトグワで砕き、木の根を取り除いたものを使用しました。
また、土に含まれる石の除去は、窯の天井部へ土を積む作業を行ってから、形を整える作業と並行して行いまし
た。箕で運んだ土をのせて鍬で窯の形に合わせて整えると、カケヤの側面で天井部の表面になる部分を打ち固め、
次にカケヤの丸い面で内側から外側に向けて打ち固めました。これを繰り返すことによって、輪をいくつも積み上
げるようにして窯の天井部を作っていきました。最後にカケヤで全体を打って外形を整えました。窯打ちの作業に
あわせて京都府南丹広域振興局が募集した一般の府民や大学生のボランティア等総勢20名が参加、土運びからカケ
ヤで実際に天井を打つ作業まで3人の元炭焼き職人の指導を受けながら、貴重な体験をすることができました。
 天井部の全体ができあがると、本格的な窯打ちを行いました。まず、3〜4人が天井の中心に背中合わせになって
乗り、カケヤで等間隔になるよう穿ちます。1ヵ所につきだいたい2〜3回打ち込み、カケヤの柄か孔に接するまで
深く打ちました。天井の中心に立って天井部の下の方から打っていき、後ずさりしながら天井全体に穿ちました。
孔と孔の間隔は目分量ですが、孔ーつ分の間隔で穿ちます。次に、この孔をつぶすように打ち、平らになるように
しました。これにより、土が左右に練られて、きっちりと固まるのだそうです。そして、カケヤの側面で叩いて表
面を均しました。これらの作業を行う際、カケヤは上から下に振り下ろすように土を叩くのではなく、下から上に
向けて土を持ち上げるように打ちます。この作業を3回繰り返しました。これによって、炭焼きを行った際にでき
る天井部の剥離するような割れを防ぐのだそうです。これは、上から叩くだけではどうしても剥離を起こしやすい
ので、しつかりと左右に練りを入れながら打っていくことが大切だということです。仕上げは周辺の木々で作った
叩き棒で行い、天井の上から叩いて表面を平らにしていきました。焚きロの天井部についても、コテと叩き棒で仕
上げました。
 窯打ちは、かつては炭焼きを行う同業者に手伝ってもらって行っていました。作業に対する報酬を金銭などで支
払うのではなく、「テマガエ」といってお互い助け合う労働交換で成り立っていました。さらに、南丹市日吉町周
辺ではお礼とお祝いを兼ねて施工主が作業の途中でぼた餅をふるまう習慣があり、窯打ちには欠かせないご馳走だっ
たそうてす。残念ながら、今回は準備不足のため参加者にぼた餅をふるまうことはできませんてした。
 (11)祈願式
 窯打ちを終えると、炭焼きの安全を祈る儀礼を行いました。焚ロの脇に職人の方々が用意されたお神酒、塩、米
を供え、ローソクを立てて火を付け、打ちに参加したボランティアを含めて全員で合掌して窯の完成を祝うととも
にこれから行われる炭焼きの安全を祈りました。その後、職人の一人がお神酒を窯の周囲に撒いて終了しました。
この儀式をもって、ひよし窯は無事完成しました。
 (12)小屋がけ・乾燥
 儀式の後、早速焚口に火を入れて窯の乾燥を行いました。窯の乾燥は、小さい火を少しずつ焚きますが、しだい
に焚ロのロにレンガを積み上げて空気の入り具合を調整しながら大きくしていきます。途中、窯の天井部に割れが
できたため、耐火モルタルや灰を水で練ったものをすき間に流し込みました。
 また、乾燥作業と並行して窯の小屋がけを行いました。

 木炭の効用が見直されつつある昨今、各地で炭焼きが行われていますが、ひよし窯はかつて四ツ谷周辺で行われ
ていた時代に築窯されていた伝統的な工法で炭窯を復活させたことに大きな意義があります。今後は、完成したひ
よし窯で炭を焼く技術を次の世代へ継承していく取り組みが求められることはもちろんですが、炭焼きはいうまで
もなく炭窯を構築することも重要な過程の一つです。築窯技術の伝承をいかに行うのか、この記録がその際の一助
になれば幸いです。
 
(むこうだ・あきひろ/南丹市日吉町郷土資料館学芸員)


コラムI 窯打ちボランティア体験記1
塩飽乙理恵(京都精華大学人文学部環境社会学科2回生)

 当日、出町柳からのスタート。会の人の車に乗り込んで行った。精華大から3人参加した。はじめ慣れない人が
たくさんいた。作業をしているとそのうちに仲良くなれた。なぜなら「窯作り」は共同作業だったからだ。窯の完
成を見るのはすごく嬉しかった。でもなにより、知らない初めて会う人々と一緒に笑いながら作業が出来たことが
嬉しかった。
 「窯」が完成するまでの一連の作業は、「場所設定・堀削・整地・煙道作り・窯腰の型枠作り・炭材詰め・窯腰
作り・天井の型枠作りこもかけ・窯打ち・祈願式・乾燥・小屋がけ」だ。今回のイベントで私は「窯打ち」と窯打
ちに至るまでの作業が印象的だった。窯打ちをするために、まず窯に土を盛っていく。その土はとにかく重く、赤
茶色をしていて粘土のようにどっしりと重い。その土を約15メートル先の窯の所まで運んで行くために8〜9人がか
りで(土を乗せた)サルのリレーをした。そんな土には空気なんて入っていないと思っていたが「窯打ち」と言う作
業通り、土の中の空気を抜くために土を木の棒で打つと、土を盛った時の厚さよりも薄くなっていた。この作業だ
けでも一苦労だった。
 「窯」を作ることにいろいろな苦労はあったけれど、その分完成したときに大きな達成感があった。

コラムU 窯打ちボランティア体験記2
内藤央基(京都精華大学人文学部環境社会学科3回生)

 今回の炭焼き窯をつくる手伝いで最も考えさせられたのは普段の私たちの生活で人というものを軽く扱い過ぎて
いるということです。窯を建てるには1日がかりの時間と多くの労働力が必要になります。そして窯で炭を生産す
るのにも時間がさらにかかります。勿論炭焼きのできるまでの木の成長の時間、藪の手入れもあります。
 火は生活に欠くことのできないものです。今はガスにより指一本で生活に火が生れます。その生活のなかでは火
の重みはありませんし、感じることもありません。その便利な暮らしが自然と私たちの間に溝をつくってしまいま
した。そして自らの生活の根本にあるものがなかなか見られなくなっています。生活に関わる環境問題は自分自身
を傷つけているのと同じはずなのになにも感じることができないというのはそのせいであると思います。つながり
を感じられないのです。
 ですから今回参加できたことは幸運でした。火の本来の価値が垣間見れた気がします。そこに炭焼きに関わるこ
との意味があります。今後必要になってくる環境教育において非常に意味のある活動だと思います。環境間題につ
いての想像力を育んでいくはずです。

コラムV 府民の森で炭焼き
久保理恵(日吉町森林組合)

 今年の2月初旬から「南丹森のエコミュ一ジアム」の一環として、1カ月ほどかけて府民の森ひよしに「炭窯」が
再現されました。
 なぜいま炭窯の再現かといえば、問題になっている地球温暖化防止に少しでも貢献するために燃料革命以前の暮
らしから学ぼうと、エコロシーに興味を持つホランティアを募集して「炭窯作り」が行われることになったような
のです。
 また、この南丹地域は古くから森と関わり、森の恵みで生活してきた経緯かあり、循環型社会を構築していまし
た。その歴史の中から未来を考えるヒントを発見して、都市住民との交流を通じて地域外の人々にも伝えようと、
この南丹地域全体を「エコミュ一ジアム(自然の博物館)」と考えて、地域振興の一環にする目的も含まれている
ようです。
 私としても、たまに山で見かける「炭跡」が、元はいったいどんな形だったのだろうと大変興味があり、参加し
てきましたので、その時の様子を紹介したいと思います。
 今回の炭窯づくりは、若い頃に実際に炭を焼いておられた四ツ谷の上原慶太郎さんと福島隆冶さん、ならびに磯
部茂さんの、3名の指導のもとで行われました。
 まず10日ほどかけて山裾に穴を掘っておき、2月24日(土)に10名ほどの関係者と20名のホランティアで「窯打
ち」を行い、3月17日(土)に「炭出し」が行われました。
 とは言っても、実は難しい工程は、ほとんど先の3名の方がされたのですが、その顛末をご報告します。
 先述しましたように、窯打ちの日までに10日程かけて山裾に穴を掘ってコンクリートと木を組んだ枠が造ってあ
り、その枠の中に炭になる木が縦にぎっしりと並べられてありました。当日はまず、枠の中の木にムシロを被せ、
周辺部分から石灰と土を盛ってカケヤで叩いて固めていきます。これを数回繰り返し、真ん中まで全部土で固める
と、窯の屋根ができます。次に土に粘りけをつける為に、屋根全体に更にカケヤを強く打ち付けてボコボコと穴を
あけ、また埋め戻す作業を繰り返します土が粘土状になったら、熟練の技で厚みを均一に調節して最後に絶妙の
カーフに削ったヘラ状の棒でトントン・ペタベタと叩いて形を整えて、窯の出来上がり。その日の作業はここまで
でした。
 その後、指導者の3名の方か窯に小屋を建てられ、それから窯の焚きロで小さな火を焚きながら窯を乾燥させまし
た。その時にできるヒビを土や灰で補修し、ようやく、3月5日に炭になる薪に火が付けられました。火は2日半程で
規定の360℃に達して、それから完全に入り口を密封して火が消し止められました。
 2回目のボランティアの日である3月17日は、いよいよ焼き上がった炭を窯から取り出しました。
 窯の入り口に積んである煉瓦を丁寧に崩していくと、最初はボロポロに砕けた炭が出てきて「ちゃんと焼けてい
るのかな。ほとんど灰になってないかなあ」と、少し不安になりました。しかし、入り口の炭を出してしまうと、
奥には立派に黒光りした炭が、最初に薪を立てて入れた状態のまま現れ、感動しました。完全な形で出来上がった
炭は、1mの長さに揃えた薪が、84cmまで縮んでいました。
 それから、長い炭は炭用の堅いノコギリで10cmくらいに切り揃え、3kgずつ計って箱詰めしました。資料館に納
めるため、12kg入りの炭俵も作りました。この日の作業では、炭の粉で顔も頭も服も真っ黒になりました。炭焼き
は大変です。
 今回の一連の作業は、昔の道具を用いたのですが、手作りの道具がほとんどで、とても大切に保管されていたの
が印象的でした。使い捨ての道具に慣れた自分を省み、工夫して道具を作り出す器用さ、そして物を大切する心を
見習いたいと強く思いました。
 2回のボランティアに参加されたのは、若い学生さんから50〜60代の方まて幅広い年齢層で、京都市内や亀岡市
内の方が中心で、中には舞鶴や宇治からの方もおられました。自然に関心のある若い人や、定年退職してボランティ
ア活動で森に関わりたいという方、いろいろな出会いがあり、とても良い経験になりました。今後も、役所、森林
組合、ボランティア、それぞれ違った立場で協力しあえるといいなといました。
 府民の森ひよしの管理人さんによると、今後もその窯を使っていくそうです。興味を持たれた方は府民の森へ見
に行ってみられてはいかがでしょうか。
(『ひよし森林だより73』2007年春号より転載)


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