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第九章 ミノムシ (2)

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2003/11/24 Mon.

「……江坂が戻ってきています。バイク強盗の犯人じゃないとわかったので、結局たいしたお咎めはなかったようです。試験観察と執行猶予ってどこが違うんだろう。法律の本もいろいろ読んでみたけど、僕の頭にはなじみません。物理学の法則と違って、根拠に説得力が感じられないです。
 同じ頃に鑑別所を出たはずなのに、千林は姿をみせません。児童自立支援施設とかいうところに行ったらしいけど、先生も児相の人も教えてくれません。滋がいるのは児童養護施設かな?クラスの連中にはそんな区別なんて意味ないんだろうけど……」

 数日前から降ったりやんだりの小雨模様で、始業前だというのに旧校舎のなかは薄暗かった。
 将棋部部室にはいると、江坂が一人で碁盤に向かっていた。
 黒く染め戻して刈り上げた髪が不自然で、かえってこの男の正体をわかりにくくしているように思えた。
「今度は詰め碁ですか?」
 僕が声をかけると、江坂はちらと目線をあげてすぐに戻した。
「こないだ覚えたとこやけど、将棋とは違った味があんな。大将を追い詰めるんやのうて、陣地の取り合いなんがおもろい」
 世間話の口調でそう言うと、碁笥に手をつっこみ、石をざらざらとすくっては落とした。
「一個ずつは何の特徴もない石やのに、置き場所によって強うも弱あもなる」
「兵隊を犠牲にして勝ち負けを争うことに違いはないんでしょう」
 江坂は下を向いたままくすくすと笑った。
「お前、ここへ来て平気でそういう口をきくねんな。そこそこ揉んだったのに、もう忘れたんか」
「見事な関節技でしたよ。ものすごく痛かったのに、あとで医者に診せたらどこも負傷してないって言われました」
「後腐れを残すんは野暮やろ」
「子分たちは病院送りにしてもいいんですか」
「俺がやったとは誰も言うてへん」
 やっぱり、食えない男だ。
「近頃は淡路や茨木たちを野放しですか。勝手に動きまわってるみたいだけど」
「俺はもう引退や。進学準備もあるしな。あとは自分らで好きにせえて言うてある」
 グループは切り捨てた。ほとぼりが冷めるまで表だって動く気はない。そういうことか。
「埠頭区で八尾さんという人に会ってきました」
「去年の乱闘事件か。お前も物好きやな」
「やっぱり知ってたんですね」
「ネタ話や。援交のつもりでホイホイ呼び出しに応じたアホ女がマワされそうやからて、わざわざ助けに行くアホ男がおるんかい、てな」
「小学校の同級生だったんですよ」
 江坂は黒石を一個人差し指と中指で挟みとって、ぱちりと盤に置いた。
「アホさ加減が妙に多聞と似とうな」
「多聞さんからも葺合の話は聞いていたんですね」
「直接やない。出戸の爺がこぼしとった。あいつが爺に逆らったんは生涯で二回だけ。二回目は今回で、一回目が葺合のオカンを店に出せ言われたときや」
「葺合の話とは違いますね。多聞さんも女衒の片棒かついでたみたいに聞いてたけど……」
「エロ爺と一緒くたにすんなよ」
 江坂の声がわずかに不快そうになった。
「あいつは多聞にオカンとられる思うて妬いとったんやろ。はじめ洗濯場で雇うてんけど、街で拾うてくる女子高生どもよりよっぽどそそる女やったからな。ババアの入院代がかさむとかできゅうきゅうゆうとったし。簡単に落とせるやろ思うてたところが、おっさん逆に金持たせて逃がしてもうた。そのせいで幹部から明智の妾んちの子守りに格下げや。アホな話やで」
「多聞さんが出所したら、葺合に会わせてやって、今の話を……」
「……させへんで」
 江坂ははじめて僕を真正面からにらみすえ、凄みのある笑みをうかべた。
「今は俺のもんや。多聞だけは誰にも渡さん」
 脅されているはずなのに、僕は思わず失笑していた。こいつでも余裕をかましていられない時があるんだ。
「妬いてるのは江坂さんのほうでしょう。らしくないですね。多聞さんにとっては葺合のほうができのいい弟子だからって……」
 まっすぐに伸ばしてそろえた指が、いつの間にか僕の喉仏すれすれの位置でぴたりととまっていた。
「ほんまに命知らずやな。その自慢の頭も、役にたつんのは胴体とつながっとううちやで」
「肝に命じときますよ」
 僕はにこやかに会釈してその場を離れた。部屋を出るときに売布とすれ違ったが、背中にはりつく視線ももう以前のようには気にならなかった。

「……何のかんの言って、江坂は出戸の下請け仕事から完全に手をひいたみたいです。堅気に戻るというより、独立起業を目指してる感じです。多聞さんはたぶん、これからも江坂のお守りを続けるんでしょう……」

2003/12/08 Mon.

「……今日は僕のことを書こうと思います。滋のことを僕が知ってるばっかりじゃ不公平だものね。
 以前『お前は震災を経験しているはずだ』って言われたことがあっただろ。この週末にようやく父から当時の話を聞きました。
 母の母、つまり僕の祖母が神部市の西部に住んでいたそうです。
 一月の連休に家族三人で遊びに行ってたんだけど、勇を妊娠中だった母さんが体調を崩して、あわてて常浜の家に帰ったのが十五日。切迫早産で緊急入院したことを、父が祖母に連絡しようとしたのが十六日。ところが何度電話しても祖母が出ない。母が心配するものだから、父が僕を連れて様子を見に行くことになった。休日のこととて伯父とも連絡がつかず、預け先もすぐにはみつからなかったんだね。
 父が僕を乗せて車を出したのが十七日の早朝。地震のことは車中、ラジオで初めて知ったそうです。それでも前進を続けて、とうとう足止めを食ったのが虹宮市。父はそこで車を置き、チャイルドシート付きの自転車と弁当とお茶を買いこんで、さらに西へと突き進んだ。たいした行動力というか、あとから考えると無謀というか。(僕の性格は父譲りなのかな?)
 その時はまだ情報が断片的で災害の規模もわからなかったから、二〜三時間もペダルをこげば被災地を通り抜けてタクシーでも拾えるだろう。そんなふうに考えたらしいです。
 ところが、行けども行けども崩壊した街が続くばかりで出口が見えない。子供は怯える、日は暮れる。祖母の住む町内にたどりついたのは十七日の夜更けだったそうです。父は知り合いを捜して祖母の安否を尋ね歩いた。疲れ果てた僕は避難所の隅で眠りこけてしまい、他の被災者さんに見守られていた。
 そこまで話を聞いて僕も思い出しました。目が覚めると父がいない。外を見ると雲を焦がしそうな高さまで火の手があがっていた。火事は川の対岸だから大丈夫だと誰かに言われたけど、僕はもう怖くてじっとしていられなくて。  
 父を呼び、捜しまわって迷子になった。
 知らない建物の中を泣きながら必死で歩きまわって、とうとう一番奥の部屋にたどりついて、そこで見たのは……」

 僕はその続きに書きかけた文章をぐじゃぐじゃと塗りつぶした。ボールペンのインクが裏まで染みた便箋を持ち上げてみて、ため息をつきながらびりびりと細かく裂いていった。
 四歳児が見た死体安置室の光景なんて主観のかたまりでしかない。それに、あの場の空気やにおいをどんなふうに書き表しても、そこにいた人たちの気持ちを汲むことなんてできない。そんなふうに思ってしまった。
 新しい便箋にもう一度手紙を書きなおしながら、もしキアがこれを読んだら何て言うだろう、と考えた。
 僕が知っているままのあいつなら、書かなかった気持ちまで察してくれるだろう。でも。
 最後に別れたときには「出て行け」と罵られ、突き飛ばされた。あれからもう二ヶ月。そのあいだにあいつがどこで何をしていたか、僕はちっとも知らないのだ。

2003/12/23 Tue.

「……玉出先生のお見舞いに行ってきました。
 脊髄損傷で手足をうまく動かせないので、もう少ししたらリハビリテーションセンターに転院するのだそうです。
 けがの原因になった穴ぼこは下水道を移設したときに埋め残したマンホールでした。だれかが蓋をはずしてトラップをしくんだはずなんだけど、先生はそのことを追求して欲しくはないと言ってました。生徒の仕業だとしたら、それを止められなかった教師に責任がある、という理屈だそうです。僕にはよく理解できません。
 ところで、滋は大震災の直前まで西中の校区に住んでいたんだったね。
 当時の話を玉出先生から聞きました。西中が避難所だったのは前から知っていたけど、その時にも玉出先生が勤務していたってことを御影のおばさんが教えてくれたんです……」

 玉出先生のベッドは四人部屋の窓際だった。床頭台やテーブルのまわりにはティッシュの箱、タオル、歯ブラシ、時計つきラジオ、新聞にペットボトル、ミニチュアのクリスマスツリー、吸い飲みなどが雑然と置かれていた。先生はもう三ヶ月近く、この部屋で生活しているのだ。
 身のまわりのお世話をしていた奥さんが買い物にでかけ、同室の患者さんたちが入浴や面会に行って、部屋のなかはつかの間静かになった。
 僕は脱いだコートを腕にかけてベッドサイドに立ったまま、先生の返事を待った。
「なんで今頃、震災の話なんぞ聞きたいんや」
「僕が明智に来る前に、どんなことがあったのか知りたいと思ったんです」
 慎重に言葉を選んだつもりだったが、玉出先生は気に留めなかったようだ。
「知らんやつが聞いても、ぴんとこん話やろけどな」
 先生はベッドに仰向けになり、まっすぐ天井を向いたまま鼻をならした。首と背中が固定されているので僕を見ることもかなわないのだ。それでも話は続けてくれた。
 前日に感じたわずかな揺れのことから始まり、早朝の衝撃、砕け散った食器、断続的なTV報道、家族の世話もそこそこに学校へ走ったこと。僕は熱心に相槌をうち、質問をはさみながら、本当に聞きたい話が始まるのを我慢強く待ちかまえた。
「体育館が避難所になってな。このへんは倒壊した家こそ少なかったんやが、瓦が落ちたり柱が傾いたり畳が浮き上がったり、そこへ余震が続くもんやからみんな怖がって家におられへんかった。日が暮れると続々と人が集まりだした」
 思い出をたぐるうちに、声が低く苦々しくなっていくのがわかった。
「校舎かて停電断水しとんのに避難者は増える一方や。けが人もおるけど近くの病院は満杯で、連れ出そうにも車が足らん。現場は混乱しまくりやった。教師らは自分の寝るとこもないまま毛布やら救急箱やらかかえて走りまわっとったんや。それを言い訳にするつもりやないが……」
「亡くなった方がおられたんですか」
「いや、それはない。……あったことになるんかな」
 先生はぱちぱちと瞬きをして唇をなめた。自分の意志で動かせるパーツを精一杯動かしているようだった。
「人であふれた体育館の外の、やっぱり人であふれた渡り廊下のすみで死産があった。まわりが気ぃついた時には母親も死にかけ、つれの婆ちゃんは風邪熱で意識不明。二人の間で四、五歳くらいの男の子が……赤い塊を抱きしめて血だまりに座り込んでいた」
 僕の腕からコートがすべり落ちて床に広がった。手の震えをなんとか抑えて拾いあげ、身体をおこして質問を続けた。
「そのご家族の名前、覚えておられますか」
「俺は聞いてへん。すぐに同僚が病院に連れて行ったからな」
「父親はいなかったんですか」
「神部に出張中で連絡が取れん。生死もわからん。母親が話せたんはそこまでや」
「男の子の……顔は覚えていませんか」
「何を気にしとんや、烏丸。あの子を知っとるとでも……」
 先生ははっとしてことばを切った。男の子が今何歳くらいになっているか、ようやく気づいたのだ。ぎちぎちと装具をきしませてこちらを見ようとした。僕はベッドに駆け寄って先生の顔をのぞきこむように寄り添った。
「だめですよ、無理に動いちゃ」
 先生は蛍光灯を遮った僕を見上げてうわごとのようにつぶやいた。
「……九年か。もう中学生になったんか……烏丸。あの子は……」
「学校が落ち着いたころにはもう、校区にはいなくなっていたんでしょう」
「生きてるんか」
「はい」
 玉出先生はもっと僕を問いただしたかったのだろう。けれども僕のほうが耐えきれなかった。どんな言い訳や挨拶をして病室を出たのかも覚えていない。
 頭の混乱が多少おさまったときには病院の前庭に立っていた。厚着をした人たちが足早に行き来するなか、裸のサクラの枝にミノムシがぶらさがって北風に揺れていた。


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