第4章 検討


 これまでの考察で、鮮明に浮かび上がってくることは、西洋法制史、日本民法学での錯誤論、錯誤効果論の歴史的変遷は、全て意思教説と取引の安全保護との対立の構図の中に産み出されたものであったということである。そもそも意思欠缺構成が形成されたのは、ローマ時代であり、現代のように盛んに経済活動を為す時代とは異なり、取引の安全保護の必要性は遥かに希薄であった。即ち意思欠缺構成は、取引の安全保護とは全く異なる次元で編み出された理論であり、取引の安全との間に矛盾や軋轢が生じたのは当然の成り行きであったといえる。そんな中で学者らは、時代の要請に応え得ない意思欠缺構成を放棄し新たな構成を採るか、あるいは意思欠缺構成を時代の要請に合致させるべく手を加えるかの選択を余儀なくされた。ローマ法の正統な継承者たるドイツは後者の立場をとり、ドイツ民法第一草案で意思欠缺構成下での取引の安全保護のための法的技術の粋を結集した錯誤制度を現し、そして、日本民法は、そのドイツ民法第一草案を模倣した錯誤制度を設けた。にもかかわらず、既に見てきたとおり、日本の錯誤制度は立法直後から取引の安全への不安を指摘されることになった。その要因は、既に第1章の小括で指摘した通り、まず、表意者の無重過失要件につき、表意者に重過失があるときの扱いを意思欠缺・絶対的無効構成を貫徹すべく、表意者のみが無効を主張出来ないことで有効と同様の扱いをせざるを得なくなるだけで、表意者以外の者の無効主張を妨げないとしたこと、そして、軽過失ある錯誤者の損害賠償義務について、錯誤制度として規定を設けず、民法の一般原則から当然に存在するものとして明文化せず、結果この義務が、反故にされ、忘れ去られてしまったことにある。即ち日本民法立法者は、西洋法制史における意思教説下の取引の安全保護のための3つの成果の全てを取り入れたつもりであったが、その一つは、意思欠缺・絶対的無効構成の貫徹に固執したがために十分に機能せず、もう一つも、立法者の考えた制度を明確かつ正確に成文化することを怠ったために、結局なかったものとして扱われるに至り、最終的にはドイツ民法第一草案に比して格段に取引の安全保護に無防備な制度と化してしまっていたといえるのである*53。
 かかる無防備を学説が黙認せず、取引の安全を保護すべく相対的無効化あるいは取消化の方向に歩んでいったのは、いわば当然かつ妥当な選択であったというべきである。残念ながら日本の民法学者の相対的無効化・取消化への議論は、その契機となった杉之原氏、舟橋氏の論文以降殆どが、ドイツ民法を下敷きにし、ときにはそのまま学説に採用したものであって、日本民法学固有のものではなかったが、結果として、表意者の保護を錯誤制度全体を図る物差しとしたことは極めて至当であったと思われる。そもそもローマ時代に錯誤の概念が誕生した当時は、錯誤のような行為は瑕疵を含み問題があると考えたに過ぎず、また、具体的な事案の処理においても、例えば死因行為については表意者の真意によるべきものとされるなど、表意者の保護という基準はこれらローマ法の錯誤制度の起源に照らし合わせても、決して相反するものではなく、寧ろより原始的な錯誤制度への要請は、この表意者の保護にあったといえるのではなかろうか。即ちそもそも市民の生活に根差したところに源を発した錯誤という制度は、意思欠缺構成の論理に組み込まれることで、市民の現実から遊離した神聖なる法となり、絶対的な力で法学者達を呪縛し続けたが、ドイツ民法はその呪縛を切り捨て、錯誤制度を市民の生活に根差した位置に取り戻したのであり、その姿勢に追随しようとする日本民法学の動きは、健全なものというべきであろう。ただ、第1章でも述べた通り、日本民法学者達が、立法者の曖昧な立法態度に乗じて、安易に解釈の変更をすることで対応し続けることが妥当かどうかは一概には言えず、いずれ正式に新たな立法を為すことにより、完全な解決を図るべきであることはいうまでもない。

終章 結びにかえて


 これまでの考察の中で、立法者が民法第95条を生み出した段階において、既にこの錯誤制度は致命的な構造的欠陥をはらんでおり、かかる錯誤効果論の激動は、民法第95条に課せられた宿命であったということは明らかに見てとれた。
 立法者が錯誤制度の根拠とした意思教説は、法が神聖なものであった頃の遺産に過ぎず、ドイツそして日本がそれを基準とすることを放棄して、社会の錯誤制度への期待的評価である表意者の保護という基準をそのまま制度趣旨として採用するに至ったのは、時代の必然というべきである。ここに、法制史の中で培われた観念の一貫性を守るという視点からの正義しか持ち得なかった我が錯誤制度は、社会的正義に根差した真に市民のための法に生まれ変わる好機を得たということが出来よう。
 本稿を書き進めるにあたり、法は誰のためにあるのかということを深く考えさせられた。法はその国において、その時々を生きる人々を拘束するものであり、その人々を無視しては成り立たないものでなくてはならない。しかしながら実際は、この当然のことがあまりに軽視されてきたといわねばならず、このような法が市民から遊離した状態を放置することは、市民の法に対する不信感や軽蔑を招来せしめる危険性をはらむということを全ての法学者、法を学ぶ者は強く認識すべきであろう。一年半に及ぶ今回の研究において、法学者が、現実社会の要請に耳を傾け、それぞれの立場に立ちながらもそれに応えようと奮闘する姿に幾度となく遭遇した。これこそが、法学者のあるべき姿であり、現在のそして将来の法学者はこれらの先人に続き、真に求められる法の探求に努めて頂きたいと切に願うのである。錯誤制度の未来が、世の人々の要請に応え得るものであり続けることを祈りつつ、このあたりで筆を置かせて頂きたいと思う。

(C)1997 外山智士
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