事故詳細

(事故No,20001031a)

 2000年10月31日午後11時17分、シンガポール発台湾・台北経由アメリカ・ロサンゼルス行きシンガポール航空006便ボーイング747-412(9V-SPK) が、台湾北部、台北近郊の桃園県にある台北国際空港(中正国際空港)で離陸に失敗し墜落炎上した。この事故で乗員20名、乗客159名、計179名のうち、83名が死亡(邦人1名を含む)、80名が重軽傷を負い、16名が無事であった。
 事故当時、台湾には台風(台風20号)が接近中で、台湾全土が風速15m以上の強風圏に入っていた。同空港でも強い風雨のため発着する国内線航空便の欠航が相次いでいた。事故直後、台風の強風による機体の横転や、ウインドシアを事故原因とする推測が出されたが、運航乗務員(3名とも生存)の証言とCVR、DFDRの解析結果から、事故機は管制塔に指示された滑走路5Lの約200m隣を平行に走る改修工事中の滑走路5Rに誤って進入し、5Lにいるものと誤信したまま離陸滑走を行ったことが判明した。事故機は、V1まで異常なく加速した後、前方に障害物(滑走路の閉鎖を示すコンクリートブロックや工事用車両)を視認し、回避のために即座に離陸を行ったが、コンクリートブロックに衝突してバランスを崩したまま工事用クレーン車に衝突し墜落した。DFDRによると約2mの上昇が確認されている。
 生存者の証言では、事故直後、乗客の多くが生存しており、事故後の火災による死者も少なくなかったと見られ、乗務員による避難誘導体制が機能しなかったことが指摘された。事故機は衝撃で大きく3つの部分に分断され激しく炎上した。火災は事故後約45分で鎮火したが、機首部がほぼ全焼した。
 事故当時、同空港の視程は約600mで管制塔から滑走路端が見渡せず、管制塔が事故機の誤りに気付くことはなかった。
 台湾行政院(内閣)の飛行安全委員会は2002年4月26日、事故機は左滑走路に入るべきところ、機長が誤って補修工事で閉鎖中の右滑走路に進入させたうえ、滑走路の確認を怠ったことが原因と最終的に結論付けた報告書を発表した。報告書は人的要因として台風による豪雨などによるプレッシャーなどが機長らの判断力を低下させた可能性を指摘している。
 事故調査報告書は、パイロットに主原因があるとした理由について、パイロットは滑走路地図等で右滑走路が使用不能であることを確認できたこと、誘導路上の誘導灯は滑走路である左滑走路を示しており右滑走路の誘導灯は点灯していなかったとみられること、事故機は左滑走路に進入する姿勢を取っていなかったことなどを列挙し、その上で空港施設の一部に欠陥があったとしても、これが事故機のパイロットに間違った滑走路を選ばせる原因になったとは考えられず、空港側にとって事故は不可避であったとの見解を示した。同時に同委員会は、工事中の右滑走路が物理的に閉鎖されておらず進入が可能だったことなど、空港側にも不備があったことを確認した。
 シンガポール側は、シンガポール運輸省が中心となり独自の調査を行い、右滑走路の誘導灯の点灯等滑走路の標識や照明等の不備、右滑走路への進入路が閉鎖されていなかったことなど、空港側の不備を指摘し、単独の要因ではなく、システム等の不備を含む切り離すことの出来ない多くの要因によって引き起こされた旨の主張を行った。シンガポール運輸省運輸大臣は、台湾側の事故調査報告書に対して分析が不十分であると不満をあらわにし、今は体面を守る時ではなく、真実を求め、人命に関わる事故の再発防止に努める時だと述べた。
 シンガポール航空は1972年の創業以来、死傷者を出す事故を起こしておらず(*)、本件が初めての大事故となった。同航空はその安全性で利用者の高い評価を受けてきた。常に新規機材の導入に積極的で、老朽化する前に売却するなど、安全運航に特別に配慮している航空会社としても知られていた。 事故機も1997年1月製造の新しい機体であった。

(*)ただし子会社のシルクエアは、1997年12月19日に墜落事故を起こしている。


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