1954年4月8日午後7時5分頃、イギリス・ロンドン発イタリア・ローマ経由エジプト・カイロ経由南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ行き南アフリカ航空201便デハビランドDH-106コメット1(G-ALYY)が、ローマのチャンピーノ空港を離陸後、イタリア・ナポリ南東のストロンボリ島付近の上空高度30000ftを巡航中に同島の北東約50Km沖合のチレニア海に墜落した。
この事故で、乗員7名、乗客14名、計21名の全員が死亡した。
事故機はBOAC(英国航空の前身)の機体であるが、南アフリカ航空からチャーターされて南アフリカ人の乗員によって運航されていた。墜落地点の海底は約800mと深く、残骸の回収は困難であった。
デハビランド・コメットは、この事故の3ヶ月前の1月10日にも謎の空中分解事故を起こしており、BOACでは本件事故の前月の23日に運航が再開されたばかりであった。このためイギリス政府はこの日のうちにコメットの耐空証明を取り消し、国家を挙げての徹底的な事故調査を開始した。1月の事故と合わせて集中的に行われた調査の結果、コメットの機体の与圧にかかる設計強度が不足していたために、機体が与圧を繰り返すことで金属疲労を起こし、窓枠などの弱い部分から亀裂を生じて、その亀裂が急激に進展することで機体が分断し空中分解に至ることが判明した。コメットでは窓枠やADF取付部分には角があり、角の部分が他の部分よりも大きな負担がかかることも亀裂発生の原因であった。本件事故を契機に航空機の設計上、開口部に角を設けることは禁忌となった。
この事故をもって、コメット1の耐空証明は取り消され、生産は終了された。
コメットの連続事故を巡るイギリス政府の徹底した事故調査は、フェイルセーフという画期的な設計思想を生み出し、航空の安全に大きく貢献した。
事故機は1952年に製造された。
◎関連文献(刊行年順) |
著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
デビッド・ゲロー | 「航空事故」(増改訂版) | イカロス出版 | 1997年 | 18頁〜19頁 |
宮城雅子 | 「大事故の予兆をさぐる」 | 講談社(ブルーバックス) | 1998年 | 31頁〜32頁 |
加藤寛一郎 | 「墜落 第二巻 新システムの悪夢」 | 講談社 | 2001年 | 39頁〜40頁 |
デイヴィッド・オーウェン | 「墜落事故」 | 原書房 | 2003年 | 55頁〜56頁 |