1966(昭和41)年11月13日午後8時28分頃、大阪発松山行き全日本空輸533便YS-11-111型(JA8658)が松山空港で着陸復行中に空港の沖合約1Kmの伊予灘に墜落した。
この事故で、運航乗務員2名、客室乗務員3名、乗客45名の計50名全員が死亡した。
事故機は、最初の進入で接地点を行き過ごし、滑走路の半ば(滑走路端から460m地点)付近に接地し、オーバーランを防ぐために着陸復行した。ところが、事故機の上昇は通常より鈍く高度230〜330ftまで上昇した後、降下に転じ、左旋回の姿勢のまま墜落した。
公式の事故調査は、速度計の誤読あるいは故障等の推測原因を検討しつつも、結局はパイロットミスをにおわせる原因不明という形で終結した。但し、本件の事故原因については、事故機のエンジンの一つが停止したために、上昇姿勢が維持できなくなり墜落したとの仮説が有力に主張されている。
その他、航空関係者の間では、事故発生時刻頃、松山空港滑走路面付近は弱い北風で空港上空は20ノット前後の南風が存在した可能性が強く、低層ウインドシアにより事故が引き起こされたか、事故の関与要因となった可能性があるとの見解もある。
本件事故を契機に松山空港を始めとする地方空港の滑走路の拡張工事が進められることになったが、接地点を少々行き過ごしてもオーバーランの危険が生じないように滑走路長にゆとりを持たせるという本来の目的とは裏腹に、工事が完了するや各航空会社はその拡張された滑走路長で就航可能なジェット旅客機を就航させた。結局、この事故対策は地方空港のジェット化に思わぬ貢献を果たしたが、滑走路長にゆとりが生まれることはなく有効な事故対策とはならなかった。
なお、乗客の約半数は新婚旅行に向かう夫婦であり、事故報道をより衝撃的なものとした。
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著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
柳田邦男 | 新潮文庫 | 年 | 頁〜頁 |