1965(昭和40)年2月27日、日本航空(日本航空インターナショナルの前身)のコンベア880-22M(JA8023)が長崎県壱岐で建設中の空港でローパス訓練中に滑走路の末端に主脚を接触して墜落、大破炎上した。
この事故で、乗員6名のうち2名が重傷を負った。
訓練中の機長が目測を誤り、高度を下げすぎたことが直接の事故原因であった。この訓練の教官は、訓練中の機長の後輩であったために気兼ねをし、本来、教官として訓練生に行うべき注意の喚起や指導を行うことが出来なかったとされる。
事故機の同型機 撮影:戸田保紀氏1966年羽田空港 |
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著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
山本善明 | 講談社 | 1999年 | 167頁〜170頁 |