1952(昭和27)年4月9日午前8時7分頃、羽田発大阪経由福岡行きの日本航空(日本航空インターナショナルの前身)「もく星」号マーチン202型機(N93043)が伊豆大島の三原山御神火茶屋付近に墜落した。
この事故で運航乗務員2名、客室乗務員1名、職員1名、乗客33名(福岡行き26名・大阪行き7名)、計37名全員が死亡した。当日、情報が錯綜し、一時海上への不時着水や全員救出が報じられるなどしたが、墜落現場は翌朝発見された。
事故機の残骸は直線を描く形で散乱し、遺体の損傷も航空事故としては少なかったことから、事故機は水平飛行に近い状態で、予定された飛行ルートに針路を取って飛行中に山に機体を擦るよう状態で接触したことが明らかになった。事故機は通常は高度6000ftで飛行すべきところ、高度2000ftで飛行し山に接触したことから、この点が事故原因調査の焦点となった。
当時日本の航空界は、第二次世界大戦敗戦により、直接の航空活動を禁止されており、日本航空もその運航は、ノースウエスト航空に委託しており、機材、運航乗務員とも米国人であった。さらに航空管制に至っても米空軍の管轄にあったため、管制ミスの疑いもあったが、証拠となる交信テープの提供を米軍から受けることが出来ず、真相が明らかにされることはなかった。運輸省の事故調査会はパイロットミスを濃厚に漂わせる報告書を残し、公式の事故調査を終えた。
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著者名 | 書 名 | 出版社 | 刊行年 | 頁 数 |
松本清張 | 朝日新聞社 | 1974年 | − | |
松本清張 | 角川文庫 | 1994年 | − |