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「Best of Ember Records : Volume Two」は、1956~64年にかけてAl SilverのEmberレーベルからリリースされたが、ほとんどが当初から過小評価されてしまったグループの作品18曲を集めたオムニバスである。50年代のR&Bファンなら誰もがThe Five SatinsやThe Silhouettes(Emberを語る上で必ず取り上げられる最も有名なグループ)を知っている。しかし、Kenny Esquire and The Starlites・The ColonairsやThe Skarlettonesについて聞かれたら、よほどのコレクターでもないかぎり悩んでしまうだろう。我々の最初のEmber集(「Golden Groups Pt.6 : Best of Ember Records」Relic 5016)とThe Five Satins(「Greatest Hits Vol.1と2」Relic 5008と5013)の2枚のアルバムには最も有名なEmber作品を含んでいたが、本作に収録したアーティストも見落してはいけない。私は当然のように「無名グループのレコード」としての多くを作品を紹介してきたが、そのような先入観は間違っているということを私自身が証明することとなった。Al SilverはR&Bグループを聞き分けるすばらしい耳を持っていた、さらに彼はつまらないレコードをめったに発売しなかった。The Concords(シングル「I'll always say please/Satisfied with rock and roll」は1956年9月にEmber 1007として出された)は本アルバムの中で最も古い作品の一つである。The Concordsは115番街とレノックス界隈のハーレム中心地の出身で、Big Bob Kornegay(Emberの姉妹レーベルHeraldから2~3のシングル盤を出したサックス奏者)がEmberに売り込んだグループである。The Concordsの楽曲はJames Winds・Bob Washington(Kornegayも共作者)というグループのメンバーが書いた作品であった。あまりに稚拙でおとなしく聞こえたという理由で、おそらく大部分のコレクターはKenny Esquire and The Starlitesの2枚のシングル盤を実質的に無視してきた。Ember 1011(1956年12月)の「They call me a dreamer」(裏面は「Pretty brown eyes」)に続くシングルとして、1957年8月に「Tears are just for fools/Boom chicka boom」(Ember 1021)で再挑戦した。2枚のシングルは、Alan FreedやDanny Stilesらの人気DJはほとんど放送することはなかったが、それ以外のR&B放送局のDJたちはSilverのシングルを何度もオンエアした。1956年から57年にかけては、偉大なグループが数多く活躍した時期で、The Starlitesのシングル盤は彼等の熾烈な競争の渦に巻き込まれ、そして沈んでしまったとも言えなくない。このグループはフィラデルフィア出身で、歌はGeorge Tindley(Savoyに在籍したThe Dreamsのリード・ボーカル)とJohn Hayesによって書かれた。David Clowneyの「Soft lights」は、バックで歌っているブルース的なグループが特徴的な作品である。「Soft lights」は1956年秋にEmber 1010として出された。R&Bグループ収集の初期には「Soft lights」は残念なことに見過ごされた。だがそれは最も確かにグループ・レコードの一枚である。Dave Clowneyはのちに「Happy organ」で名声を勝ち取るDave "Baby" Cortezであった。The Colonairsの「Sandy」は非常に良くできたもう一枚のEmberシングルで、Ember 1017として1957年6月にリリースされた。リード・シンガーはThe PearlsのHoward Guytonのようにも聞こえるが、メンバーはDavid Francis・Henry Williamson・Kenneth Dames(全員ニューヨーク市出身)である。大ヒット作「Get a job」を含んだThe Silhouettesの歌は、我々の最初のEmberコレクションの一曲であった。しかしEmber 1032として1958年3月にリリースされた彼らのノベルティ・ソング「Headin' for the poorhouse」を忘れてはいけない。このグループは、Kae Williams(フィラデルフィアのベテランDJ)の放送をきっかけに一時隆盛を極めたが、「Get a job」のミリオンセラー以降は二度とヒットを出すことができなかった。長い非活動期間を経てThe Silhouettesは再編成することに決めた(!)。フィラデルフィア出身の彼等がふたたび「Bing bong」や「Headin' for the poorhouse」を歌っているという話を聞けるというのは実に素晴らしいことである。1958年の終わりになると、Ember・HeraldがリリースするシングルはますますR&Rが多くなっていた。それはSilverの長年にわたるディープなR&Bレーベルの終わりが近づいていることを意味した。The Mello-Kingsの「Tonight, tonight」は白人のグループへの道を開き、そしてドゥー・ワップの時代が始まった。The Boptonesは、The Mello-Kingsの成功に着目したAlan FreedがEmberに紹介した。少年たちはベンソンハーストからコニー・アイランド界隈(ブルックリン)に住み、Seth Lowに通う中学生からTed Mackのアマチュア・アワーというテレビ番組に出演するようになった。Nick Lamparielloは「I had a love」でリードを歌い、1958年の秋にEmber 1043としてリリースされた。他のメンバーはBob Kutner(1st テナー)・John Ench(2nd テナー)・Dave Antebi(ベース)。Bob Kutnerは1962年にHeraldから「Dance, dance」をリリースしたThe Vocal-Airsに加入、その間Nickは自身の音楽(60年代にAtlanticでNick Lampeとしてレコーディングを行なっている)を続けた。Emberに在籍したもう一つの一発屋グループは、アクロン(オハイオ州)出身の若野もであった。The Wondersは、The Four LadsやCrew Cutsと同じスタイルような一層ポップなグループだった。それでもどんな音楽が売れるのか理解していた彼等は、1959年冬にSilverのためにThe Penguinsの古典ナンバー「Hey senorita/I'll write a book」の素晴らしいバージョンのシングルを出した。このグループはすでに「Cuttin' out」というシングルがあり、Fred Kalail(リード・シンガー)・Wade Haddad(テナー)・故Ron Kalail(バリトン)・Harvey Russell(ベース)がメンバーである。The Wondersはアメリカ南部から東部に至までツアーをおこなったが、Wade HaddadのR&Rは全く人気を得なかった。メンバーの数人が結成したグループがAkronのArabic musicと契約、アメリカ中東部にかけてヒットを送り出し大きな収益をもたらした。彼らは1963年にColpixから「Say there」をリリースしたThe Wondersではなかった。Akronは1959年にもう一つのすばらしいグループをEmberからデビューさせた。それがThe Skarlettonesの「Do you remember」(Ember 1053)であったが、ほとんどラジオから流れる事がなかったのは本当に残念である。流れるようなベース、力強ボーカルとバックとのからみが素晴らしい「Do you remember」は、Herald-Ember中における隠れたドゥー・ワップの一曲である。このグループは他にも「Now that I found you」と「How sentimental can I be」(The Mellowsの歌とは別作品)のシングルが用意されていたが、結局リリースされなかった。The Skarlettonesは、James Porter・Columbus Mitchell・Ronald Mosley・Robert Carter・Willie Tuckerの5人編成のグループであった。Roger and The Travelersの「Your daddy's little girl」は、RogerとBillyのKoob兄弟・Joe Vece・Johnny Roddiがメンバーのニューヘーヴン出(コネチカット州)出身のグループのシングルである。RogerとBillyはAlertから「Jolene」をリリース(Relic LP 5046「Golden Groups : Best of Bruce Records」参照)したThe Premiersのメンバーで、Furyレーベルから「I pray」を、Rustレーベルから「She gives me fever」を発表している。またPhilipsと契約したThe Frontiersにも在籍したがそれ以前にもシングルをだしている。「Daddy's little girl」は1961年秋に発表、長年にわたってトレントンからフィラデルフィアにかけて売れた。The Fashionsの「Try my love」は1962年にEmber 1084としてリリース。リード・シンガーはBaby Washingtonを意識しているようだが、彼女達はBaby Washingtonの「ヒットを出す力」までは真似できなかった。The Paramontsの「In a dream/Shedding teardrops」は、Dell Serinoのプロデュース(Alan Freedの番組で人気を得たCirino and The Bowtiesのスナップ・ジャックを覚えているだろうか)で1963年にEmber 1099としてリリースされた。Jackie and The Starlitesのようなサウンドを持ったこのグループはThe Paramontsと呼ばれ、ワシントン出身のRichard FountainとBenjamin Ed Thomasらがメンバーである。The Barriesのオリジナル・メンバーは、Guy Villano・Al Battista・Nickle Delano(元Nickie & The Noblesのメンバー)・Joe Marturiello・Jimmie O'Connorの5人である。その後NickieとJoeがグループを離れた。かわりにAndy Smithが加入し、The Barriesは1963年末に「Tonight, tonight」をリリースした。より不朽で人気の高いホワイト・ドゥー・ワップ(The Barriesバージョンの「Tonight, tonight」はThe Mello-Kingsのそれが過度に評価されていると示している)の1曲。Emberレーベルの最終的な終焉はその後まもなく訪れた。それでもEmberには、100枚以上をリリースしたなかでヒット作品を多く残し、非常に生産的な10年というものが確実にあった。
by Donn Fileti
シリーズ26枚目で、前作に続いてAl Silverが設立したおなじみのレーベルEmberのパート2編です。