百瀬川扇状地−水と生活 |
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【わき水の利用】 |
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▼扇端(せんたん)には集落が発達し、それらを結んで国道161号線が通っています(現在は扇央部に新しくバイパスが完成しています)。 そこでは、百瀬川の扇頂から下流で地下にしみこみ、扇央の地下を流れてきた地下水(伏流水、ふくりゅうすい)が地表近くに出てくるため、水がわき出したり、井戸や手押しポンプ(ガッチャンポンプ)を掘ったりして生活用水を得やすかったからです。扇端のいちばん南の集落の名前はまさに「深清水」です。 ▼集落から琵琶湖岸にかけて広がる田は、集落付近でわき出してきた伏流水を農業用水にしていましたが、昭和50年代のほ場整備などによって地下水位が下がり、わき水が涸れてしまったところもあります。現在は、琵琶湖から農業用水として汲み上げた水を利用しています。 ▽オットーが子どもの頃には、集落のところどころに水がわき、小学校(百瀬村立百瀬小学校、現高島市立マキノ南小学校)の敷地内にも水がわき出していました、そこでは、休み時間に遊んだり、掃除の時間に水を汲んだりしました。通学路沿いにも「ドッコンショ」とよぶ自噴泉があり、道草をして冷たい水で一息入れたものでした。 |
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新保の湧水地 |
中庄の湧水地(JR湖西線近江中庄駅付近) |
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【井戸水や川の利用】 | ||
▼しかし、全ての家がわき水に恵まれているわけではありませんでした。集落の中でも琵琶湖寄りの一部の家に池があり、大きな鯉が飼われたりしていましたが、大半の家では飲料用や炊事用には井戸やポンプの水を使い、洗い物や風呂、洗濯などは百瀬川から引いてきた川の水を利用していました。 ▼大沼では、百瀬川から引いてきた水は、まず扇央に開かれた田の農業用水として利用されますが、集落に入ったところで本流と2本の小さな川に分かれ、生活用水として利用されます。川筋では、「カワト」よぶ洗い場をつくったり、「タマリ」とよぶ小さな池をつくって水を貯めたりしています。 ▼上水道の整備に伴って、川の水が生活用水として使われることは少なくなってきましたが、今でも野菜などを洗ったりするのに使われています。また、防火用水としての強い意識もあります。 ▽オットーも子どもの頃、川の水が濁っていないときは家の前を流れる小さな川から水を汲んできて、風呂桶に入れる仕事をしました(水が濁っているときには、井戸水を使いました)。 |
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百瀬川から引いてきた水と「カワト」(大沼) |
「カワト」と「タマリ」(川は溝ふたの下、大沼) |
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【水への気持ち】 | ||
▼住民にとって水の恵みはありがたく、水がわき出す「ショウズ」(清水や志水などと表記し、志水本という小字もありました)には、古くからお地蔵さんがまつられています。また、オットーのふるさとでは、お盆にお迎えした「オショライ」さんには「ショウズ」で汲んできた水をお供えします。ご先祖さんにかつて味わった水を3日間だけ飲んでいただこうということでしょうか。
▼水は大切なものであり、清らかなものでなければならないという強い意識がありました。子どもの頃には、水屋(みずや)とよぶ炊事用の建物があり、そこで使った水はいったん家の外に掘った「スイモン」とよぶ水溜に入れ、畑の水やりに使っていました。また、汚れた物は決して上流では洗わないで「ショウズ」よりも下流で洗うことなどが集落のきまりとなっていました。もちろん、川で小水をすればバチがあたると厳しく教えられていました。 ▽オットーたち住民の水に対する意識も変わってきましたが、扇央に開発された住宅地に引っ越してきた新しい住民の方が集落より上流の川で犬の水浴びをさせたりする無神経さには批判があります。水に対する感覚は随分違うようです。 |
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「ショウズ」とお地蔵さん(大沼) |
「ショウズ」とお地蔵さん(中庄) |
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