家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

「ないおん」の願い

◆ はじめに

 本誌「ないおん」は仏教の教えに基づき、全国の幼い子を持つ家庭の暮らしがこころ豊かでありますようにと、そんな願い一筋に発行し続けています。
 現代社会は高度な科学技術の進歩により、きわめて便利になりましたが、その反面、地球の温暖化による生きものの生存が危ぶまれるようになりました。
 また一方で、家庭は対話や信頼が失われ、家族の絆が希薄となって本来の姿を失いつつあります。幼い子どもたちの環境は、物には満たされていますが、却って心貧しいといえましょう。
 子どもたちは自然の一員として遊び、愛情に満たされた家庭や地域によって育まれなければなりません。「ないおん」はこうした課題をテーマとし、幅広い視野からの乳幼児保育(教育)を考える場として、執筆者の先生方の声に耳を傾け、ともに学び、ともに育ち合うことをねらいとしています。

◆ 「ないおん」の意味

 「ないおん」(泥?=ニヴァーン)はインドの古い言葉で、「ねはん」(涅槃=ニルヴァーナ)と同義語です。仏教は5〜6Cの頃、三蔵法師などによって、インドからガンダーラ(パキスタン)を経て、シルクロードを中国・長安(今の西安)の都へともたらされました。教典は複数の人によって中国語に翻訳されましたが、発音を「涅槃」とした人と、「泥?」とした人がいたわけです。本来の意味は、燃え盛る炎がふっと消えた静寂の状態を意味しますが、一般にはお釈迦さまの入滅を涅槃といい、また浄土のことを涅槃とも言います。

 ここでは安らぎの世界、つまり浄土をイメージして誌名を「ないおん」としました。
穏やかなこころの安らぎは、こころに喜びを感じ、幸せを幸せと受けとめていく世界にもつながります。それは他人を押しのけて自己の欲望のままに生きるのではなく、「おかげさま、ありがとう」と生きるこころの豊かさでもあります。
 なお詳しくは、(故)武邑尚邦先生の「『ないおん』は保育の心」と題するエッセイ(法話)が本誌第10号(合本第1集・昭和54年1月1日)に出ていますので、ぜひご参照ください。

◆ 「ないおん」誕生の経緯

 1977(昭和52)年の年の瀬も間近にせまったある日、保育の教材専門委員会が終わって、京都の街に出ると、みぞれまじりの雨がしとしとと降っていました。
 松尾幼稚園長日野大心先生と千里敬愛幼稚園長小谷蓮乗先生と、それに私の3人は京都駅に向かって歩いていました。
 歩きながら、話題は保護者向きの教材に花が咲いていました。誰言うともなく、「自分たちの関係園で、共同で保護者向けの新聞を出したらどうだろうか?」、と。
考えてみると3人の関係園だけで合計約2千部、(できるかも知れない!)。
 「花岡大学先生に相談してみよう。」、「善は急げ!」というわけで、急いでタクシーを呼び停めたのです。
 実はとっさに話がまとまったのには、それまでの経緯がありました。保育者向けの教材誌も大切だが、なんとか保護者向けに、宗教的豊かなこころを育む教材は出せないものだろうか、と何度も委員会に提案し続けていたのです。しかし、未だ実現しないまま数年が経っていました。
 花岡大学先生は突然の訪問にもかかわらず、「ようきてくれた」、とにこやかに迎えてくださいました。四畳半ほどの狭い書斎は本に埋もれていましたが、それらを押しのけて3人は座り込みました。
 開口一番、保護者向けの教化誌発行の願いをうち明けると、花岡先生は目を輝かせ、「それを待ってたんや!」、と賛同してくださいました。そして執筆陣に西元宗助先生、東井義雄先生、大西憲明先生等の名が上がりました。花岡先生は住所録を取り出し、「電話をしてみなさい」と、自ら受話器を執って先生たちを次々にコールしてくださったのです。、年末とは言え、不思議なことに3人ともご在宅で、どの先生も執筆を快く引き受けてくださり、ここに「ないおん」発刊の計画は、一気にまとまったのでした。
 さて誌名をどうするか、よい案が浮かびません。実はそのとき、私のこころにふっと浮かんだ言葉がありました。それが「ないおん」だったのですが、日野先生も小谷先生も、「花岡大学先生に決めていただこう」と言われたので、私が先に言うのも僭越かと思い、その場は宿題として解散となりました。
 年明けて1978年1月、私は再び大学先生のお宅を訪ねました。先生は「この中からどうや」、と便せん一枚に20ほどの誌名候補を書いて渡してくださいました。 『育心』というのが目にとまりましたが、誌名としてはどうかなと内心思いました。
 そして私は、1月の編集会議で「ないおん」のことをうち明け、日野・小谷両先生を説得しました。花岡大学先生にも了解を得ました。後に花岡大学先生は、「先に決めておいて、私に相談しておった」、とあちこちで笑いながらこのエピソードを暴露されましたが、今もお浄土からご笑覧くださっていることでしょう。
 さて2月初め、第一号の原稿がそろいました。4頁目のコラム欄『私の雑記帖』は、小谷先生が当時阪急ブレーブスのオーナーだった渓間秀典氏に依頼してくださいました。詩は坂村真民、高田敏子、中川静村等の詩集から転載することとし、各氏(故中川静村氏の詩は中川真昭氏に依頼)からその承諾を得ました。
 レイアウトは、仏教図書出版として設立間もなかった探究社の花岡大詩にお願いし、ここに内容豊かで格調高い「ないおん」第1号ができあがったのでした。
 「良い誌ができたので、他の園にも呼びかけてはどうだろう」と言うことになり、全国の本願寺派加盟園に送りました。ところがものすごい反響で、申し込みが殺到し、3月中頃までに一度に3万部をクリヤーしたのです。ビックリしました。あわてて刷り増ししました。そして郵送事務も探究社にお願いし、ようやく4月の入園式に間に合わせることができたのです。
 その後口コミや、勧めてくださる園長先生方も増え、また大谷派をはじめ全仏教関係園にも案内し、部数は4万部、5万部と年々増えていきました。また岡部伊都子、吉岡たすく、高史明先生等も次々にレギュラー執筆陣に加わってくださり、誌面も益々充実しつつ、拡がっていったのでした。
 創刊30周年を経て、今こそ仏教の原点に立ちかえり、真の乳幼児保育を考える教育誌として、全国の幼い子を持つ家庭に、この運動の輪が大きく拡がることを願っています。

合掌

2009(平成21)年1月1日

「ないおん」編集室・丁野恵鏡

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