家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん寺院版11月号(2020年11月1日発行)は

8月に俳優の渡哲也さんが亡くなられました。その時、テレビの特番で、54歳の時のインタビューが流れていました。
「白血病で亡くなった人のテレビドラマを、やったことがあるんです。その方が死ぬ時に家族に対して言うセリフなんですけども、一つ、今でも覚えているいいセリフがあるんですよね。“未練はあるが悔いはない”って言うんですよね」
『広辞苑』には、「未練」とは、心の残ること、「悔い」とは、あやまちを悔いること、とありました。つまり、心残りはあるが、それをあやまち(失敗)だとは受け止めていないということでしょう。
私は、“未練はあるが悔いはない”という言葉を聞いた時、恩師の、
「“嬉しい事も、悲しい事も、いろいろあったけれど、お念仏のみ教えに遇わせていただいたお蔭で有り難い人生でした”と言って、命を終えることが出来たら、いいでしょうなぁ」
という言葉を思い出しました。

朝日新聞(2020年9月17日夕刊)に、『「皿洗い30分で無料」王将出町店閉店へ』という見出しの記事が載っていました。
私が大学生の頃、よく利用していた王将にも、
「めし代のない人でも、タダでお腹いっぱい食べさせてあげます。その代わり食後30分間、皿洗いをしてください(店主)」
というような張り紙があったことを懐かしく思い出しました。私はそれを体験したことはないのですが、もしやるなら、洗わなければならないお皿の少ない時間帯の方が、ゆっくり洗えて楽でいいだろうな、と考えていました。
ところが、この度、記事の中に、昔よく利用していた人の事が紹介されていて、
『「暇な時だと申し訳ない」と考え、昼間の忙しい時間帯を選んで店に通った』
とあり、私の心がいかに小さいかが思い知らされ、恥ずかしくなりました。

先日、あるテレビ番組で、癌治療の副作用に苦しんだ経験のある人が、
「寝るのが怖かった。寝て起きた時に、もう死んでいるのではないかと考えた」
という発言をされていました。その方は、今は癌細胞も消え、落ち着いた状態になっているのですがとても不安だったのだろうと思います。
ただ、私はこの言葉を聞いた時、不思議な気持ちになりました。それは、「起きた時に、もう死んでいるのではないか」という言葉が引っかかったのです。「起きた」ということは死んでないということであり、死んでいたら「起きる」ということはないので、「起きた時に死んでいる」ということは、あり得ないのです。
自分の死を自分で認識することは出来ないということに、改めて気づかされると共に、死と共に生きているということを忘れてはならないと思った出来事でした。
(小池 秀章)

寺院版

声に聞く

世代を隔てる溝にかける橋   龍谷大学名誉教授/寺川幽芳

今月号の『声に聞く』は、「世代を隔てる溝にかける橋」と題して、寺川幽芳先生にご寄稿いただきました。
仏教用語が本来の意味を離れて日常用語として使われていることは、よく見聞きすることですが、寺川先生はその原因のひとつを「世代間の溝が大きく深くなり、人間の最も重要なコミュニケーション手段である『言葉』が機能不全に陥っているから」だと言及されます。そして、その溝を埋めていくためには、「言葉を交わすこと」だと述べられます。
仏教用語の本来の意味を理解して、それを伝えていくことはもちろん大切ですが、ふだんの生活の中で世代間の溝を埋めていくような会話や交流をしていくこと、そこに「明日の希望」があると感じられれば、コミュニケーションすることも、もっと楽しくなるのではないでしょうか。

育心

なにもおこらない 日常にある配慮
浄土真宗本願寺派西正寺住職 龍谷大学文学部非常勤講師/中平了悟

中平了悟先生の「なにもおこらない日常にある配慮」を拝読して、自分自身の生活や周囲の出来事を見ていく、新たな、そしてとても大切な視座に気づかせていただきました。
中平先生も言われているように、「新型コロナウイルスの流行。大雨の被害。何か事が起こってしまったときの大変さ、そして『何事もない』ということのありがたさを感じる時間を私たちは過ごした」は、わたし自身の実感です。
けれどそれ以上に、「何事もなく」日常を過ごしているのは、「見えないところのはたらきがある」からなのだという、中平先生の言葉に深くうなずきました。「アンサング・ヒーロー」(讃えられることのない英雄)という素敵な言葉も、学ばせていただきました。

いのちみつめて

第65回 そのまんま 〜毛利浄香さん〜   文・森 千鶴/版画・西川史朗

今月号の『いのちみつめて』は東大阪市のお寺で法務をしておられる毛利浄香さんです。毛利さんとのご縁は、昨年の夏、カリー寺(中平了悟先生のお寺で開催されている)のイベント「若手女性僧侶の生トーク」でお話を伺ったのが最初でした。仏教漫才、仏教紙芝居の制作・実演、インスタグラムに絵や詩を掲載されるなど多才な活動を意欲的にされています。
今回のご寄稿では、毛利さんの真摯に求めていかれる姿勢から、すがすがしい感動と多くの気づきを得させていただきました。

私の雑記帖

“沼”は怖ろし   作家/小風さち

小風さちさんのお父さまは、福音館書店の編集者として「こどものとも」などを手掛けられた松居直さんです。松居直さんには、平成20年の3月号『私の雑記帖』に「絵本の歓び」と題してご寄稿いただきました。
今回ご紹介いただいた『はりねずみのぼうやのおはなし』は、とても素敵な絵本です。「お話を書くという事は、この世界が美しく、生きるに値する場所だということを、子どもに伝えること」という小風さんの思いが、絵本からも伝わってきました。

貴重なお話をありがとうございました。
(森 千鶴)

令和2年10月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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