瓢箪(ひょうたん)と河童    島原半島民話集 関敬吾著 より 
 昔、北有馬(きたありま)に庄屋があった。その庄屋は年頃の美しい独り娘をもっていた。

 ある年の夏、ちょうど、稲の成長に大切な時期に、どうしたものか、突然、この庄屋の持田だけに、水が少しも掛(かか)らなくなってしまった。小作人たちも力を合せて、幾度も溝を造りなおして見たけれども、どうしても水が掛からなかった。それで仕方なく、庄屋は、氏神様に願をかけた。ところが彼は、ある夜、夢を見た。

 「お前には年頃のきれいな娘がある。有馬川に棲んでいる河童(がわっぱ)が、その娘を欲しがっている。それで、娘を河童のお嫁にやれば、すぐに水が掛るようになる」と言う神様のお告げであった。

北有馬町願心寺本堂の天井絵(河童)  2000/10/14 撮影
北有馬町にある願心寺(がんしんじ)本堂の天井絵(河童)
(注)葛飾北斎の「北斎漫画」における河童絵を、模写したものと思われます
(注は Y Muraoka)

 庄屋は、この夢のことは家の者にも話さずに、その翌朝、いつもの通り田の見廻りに出かけた。けれども矢張り、自分の持田にだけ水が幾日も掛らないので、地は堅くなって裂け、稲はもう黄ばんでいた。それに比べて他の田には水がなみなみと掛り、青々と繁っていた。
 しかし、どうにも仕方がなかった。自分で作っている田だけが枯れるのなら、どうにか忍ぶけれども、多くの小作人たちに何とも申しわけがない。もしこの夢のことを話したら、小作人たちは、必す娘を河童にやって俺達を助けてくれと言うにちがいない。

 いろいろ考えながら、田へ流れる溝口のところへ行って見ると、夢の通り河童が、水の出口をふさいで邪魔をしていた。そうして河童に聞いて見ると、はたして夢の通りの返答だった。

 庄屋は思ひ悩んで、梢然として家に帰った。しかしそれかと言って、昨夜の夢のことや今朝のことを話して、娘に河童の嫁に行ってくれと言うことも出来ないし、またひとり娘をやることもなおさら出来なかった。それでぼんやり考へていると、娘はこの様子を見て不審に思って尋ねるので、夢のことや今朝の河童の話をして聞かせた。

有馬川 1998/6/28 撮影
有馬川(広域農道、有馬大橋より)

 これを聞いていた娘は、「そげんこつなら心配さっさんてちょうがす。わたし任せちくれなんせ。きっと水の掛るごてして見せやすけん」と言って、娘は瓢箪を持って有馬川へ出かけて行つた。

 そうして河童に言うには「私ば、所望さすげなけん、嫁子きやした。そん代りおるげん田も、よそん田と同じごて水掛るごて、してくれなならんばない。そしてこけ持って来ちょる瓢箪な、私が魂じゃるけん、こるば水の中(な)け沈むれば、いつでんあなたんところれやってくるけん」と言って、瓢箪を川の中に投げ込んで帰った。
 しばらくすると、庄屋の田にも水が掛り、稲も繁って来た。

 それから有馬川には、一つの瓢箪が、秋になって稲が実る頃まで、浮いては沈み、沈んでは浮きしていたそうである。

<島原半島民話集 関敬吾著 建設社 昭和10年5月発行より>
(現代かなに修正しました。)



⇒長崎県では、五島に同じ様な「ガータローとチョッパゲ

⇒西彼杵郡外海町に、「川ぼうずの婿入り」の話があります。

⇒対馬の美津島町にも、「河童婿入り」で「しゃもじ千丁」を持って行くという、話が伝わっています。(対馬の昔話 宮本正興・山中耕作編 日本放送出版協会 昭和53年11月発行)



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