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曲の成立 |
やや複雑な経緯をたどる。
まずこの曲をヴェルディが書こうとしたのは、イタリアの大作曲家ロッシーニが1868年11月に亡くなった時にさかのぼる。
大先輩の死に接したヴェルディは同士12名との合作でレクイエムを創り、その死を悼むことを考え、自分はその最終楽章<リベラ・メ>を担当することになった。その作曲はほぼ完成したのだが、残念ながらその企画が中止になってしまう。
失意のヴェルディは自身の大作オペラ「アイーダ」に集中することになる。
そして1873年、こんどはイタリアの大詩人のマンゾーニが亡くなり、今度は自分ひとりでレクイエムを完成しようと思い、5年前の<リベラ・メ>を元にこのレクイエムを完成させる。 |
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構成 |
全体は7曲から成るが、第2曲の<怒りの日−Dies irae−>が全曲の4割を占めるという大きなものになっているのが大きな特徴で、この曲が重要な意味を持っている。
また、最後の<リベラ・メ>には、第1曲・第2曲の主題が再現、ベートーヴェンの第9を思わせる手法もとられていて、1時間半を越える大曲を効果的にまとめている。
もう一つの大きな特徴は、4人の独唱者が大変重要視されていること。
オペラのアリアを歌うようにそれぞれが単独で歌い、また合唱と交互に効果的なまた劇的な効果をもたらすような曲になっている。
オーケストラ・合唱・独唱、それぞれが渾然一体となって一大叙事詩を壮麗に歌い上げるような、感動巨編!
いまでは、宗教音楽という範疇ではなく、一つの大きな音楽ドラマとして演奏会で聴かれることが多い。 |
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第1曲 |
レクイエムとキリエ -Requiem ed Kyrie- |
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二つの部分から成る
<永遠の安息を与えたまえ>
弱音気をつけた弦楽器の伴奏に乗って合唱が小さくつぶやくように、Requiem aeternam(主よ永遠の安息を与えたまえ)と歌い始める。男声ではじまり、次いで女声の合唱も加わる。
<主よ憐れみ給え>
曲は一転してテノールの独唱が印象的な主題、Kyrie eleison(主よ憐れみ給え)を歌う。ファゴットとチェロがこれに絡んでいき、大変きれいな音楽。 |
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第2曲 |
怒りの日 -Dies irae- |
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全体の5分の2を占める長大な曲で、レクイエムの中心をなす「続誦(セクエンツァ)」という部分。
そのテキストに従う形で9つの部分から構成されている。
最後の審判の恐ろしさとそれを免れるための祈りの音楽。
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「怒りの日-Dies irae-」 |
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一転して強烈な音楽。
全管弦楽によるフォルテシモの和音が4つ、つづいて「怒りの日」の到来を告げる合唱が最後の審判の恐ろしさを告げる。
この音楽は一度聴いたら忘れられない強烈な音楽で、このレクイエムの大きさの象徴でもある。 |
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A |
「くすしきラッパの音-Tuba mirum-」 |
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最後の審判の時を知らせる音楽。
4本のトランペットと、舞台裏に配置されたもう4本のトランペットが呼応しながらファンファーレを奏する。
嵐のような音楽が過ぎると、死の足音のようなバスの独唱が恐怖心を表現する。つぶやくように<Mors-休止符>を3度繰り返し、死の恐ろしさを印象付ける。 |
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B |
「書き記されし書物は」-Liber scriptus- |
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「そのときこの世を裁く、すべてのことが書かき記されている書物が持ち出されるであろう」という言葉が、メゾソプラノで歌われる。
最後に@のDies irae の主題が強烈に出てくる。 |
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C |
「あわれなる我」-Quid sum miser- |
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「そのとき憐れな私はどんな弁護者に頼もうか」とメゾソプラノが歌うアダージョの曲。メゾソプラノに絡むファゴットのソロが印象的な音楽。 |
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D |
「みいつの大王-Rex tremendae-」 |
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合唱のバスがフォルテシモで、「恐るべきみいつの大王よ」と歌う凄みのある音楽ではあるが、合唱バスが歌う<Rex tremendae>という恐怖の音楽に呼応するように4人のソロが歌う<Salva me-我を救いたまえ->というフレーズが挿入されていて、効果的。 |
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E |
「思い給え-Recordare-」 |
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「慈悲深きイエス、思い給え、地上に御身が降り給うたのは、私のためでもあった。その日私を滅ぼし給うな。十字架の刑にあって私をあがない給うた主よ、その労苦をむなしくし給うな。」という歌詞を、ソプラノとメゾソプラノの二人が透明な二重唱を繰り広げる。そこに木管楽器が絡んで夢のような音楽を繰り広げる。 |
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F |
「われは嘆く-Ingemisco-」 |
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テノールの独壇場で、オペラのアリアのように歌い上げる。
「私は自分のあやまちを嘆き、罪を恥じて顔を赤らめる。神よ、ひれ伏してこい願う私を許したまえ。」 |
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G |
「判決を受けたる呪われし者は-Confutatis-」 |
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「呪われし者を罰し、激しい火の中に落とし給う時、私を選ばれた者の一人として招き給え。」とバスが歌う。
曲は突然「怒りの日」の冒頭の<Dies irae>の旋律が荒れ狂う。最後の審判の厳しさを再現するが、ヴァイオリンの流麗な経過部を経て次の<ラクリモサ>へ。 |
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H |
「涙の日なるかな-Lacrymosa-」 |
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全曲中最も叙情的な部分で、悲しみと美しさを凝縮したような音楽。
メゾソプラノのソロで始まりバスのソロが続く。
「罪ある人が裁かれるために、塵からよみがえるその日こそ、涙の日である。」
ソロの歌う主題を男声合唱も感動的な流れに乗って歌う。
そのあとで4人のソロだけで繰り広げるアンサンブルも効果的。
「主よ、やさしきイエズスよ、彼らすべてに安らぎを与えたまえ、アーメン」と結ぶ。 |
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第3曲 |
奉献誦 -Domine Jesu (Offertorio)- |
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「栄光の王、主イエズス・キリストよ、死んだ信者のすべての霊魂を、地獄の罪と底なしの深淵から救い出し、獅子の口から解き放ちたまえ。」
チェロが静かに主題を出しメゾソプラノとテノールがこれを歌う。その後に加わったソプラノが高音の保持をしている時に、二人の奏者が奏でるヴァイオリンが美しい。
後半は、<ホスティアス>と呼ばれる部分、「賛美といけにえの祈りをわれらは主に捧げ奉る。」の部分をテノールが歌い上げる。ここもテノールの美しい高音が披露される箇所 |
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第4曲 |
サンクトゥス(聖なるかな) -Sanctus- |
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「聖なるかな、万軍の天主なる主よ、主の栄光は天地に充ち満てり。」
全曲で唯一の合唱曲。
4本のトランペットによる力強い斉奏に導かれて、男声合唱とオーケストラの全奏によって、<Sanctus>と3回叫ばれる。
二つに分けられた混声4部合唱(つまり8つのパート)がサンクトゥスの主題を次々と歌う壮大な二重フーガとなっていく。
コーラスの美しさと力強さと壮大なオーケストラのみごとな、聴き応えのある曲。 |
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第5曲 |
アニュス・デイ(神の子羊) -Agnus Dei- |
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雄渾壮大な前の曲から一転、きわめて素朴で簡潔な、それでいて感銘深い曲。
「世の罪を除き給う神の子羊、彼らに安息を与えたまえ。」
ソプラノとメゾソプラノの二重唱が無伴奏で主題を歌う。、心洗われる音楽である。
この二重唱とコーラスが交互に繰り返され、最後は弦が上昇句で静かに終わる。 |
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第6曲 |
ルックス・エテルナ(永遠の光を) -Lux aeterna- |
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「主よ、永遠の光明を彼らの上に照らしたまえ、とこしえに主の聖人らと共にあらんことを」
これもきわめて透明で叙情性あふれた曲で、メゾソプラノの独唱がその主題を歌い、テノール・バスの独唱が加わり三重唱が繰り広げられるが、その主役はメゾソプラノ。
コーダは、フルートとクラリネットが<急ぐことなく静かに、きわめて美しく>と指定された音楽で、感動的な部分。 |
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第7曲 |
リベラ・メ(我を解き放ちたまえ) -Libera me- |
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これはミサ終了後、司祭が柩に近づいて祈る場面であり、この曲でも音楽と祈祷が渾然一体となっている。音楽的にも全曲を締めくくるにふさわしい大きさと統一感を持たせるための工夫がある。(もともとロッシーニ追悼の音楽として作られたものであり、この音楽を基にぜん曲を構成したと考えられる。)
まずソプラノが朗誦で祈祷文を朗読するところから始まる。
「主よ、かの恐ろしい日に、私を永遠の死から解き放ちたまえ」
同じくソプラノが「私は来るべき裁きと怒りを思っておののく」と歌うと曲はアレグロに変わり、冒頭の「怒りの日」の<Dies irae>のテーマが戻ってくる。
嵐のような音楽が終わるとソプラノの朗読が戻り、アルトの合唱が<Libera me, Domine>と歌いだし大きなフーガに発展してこの局の最後のクライマックスを築く。そして最後にもう一度ソプラノの祈りのつぶやきがあって静かにこの長大なレクイエムを締めくくる。
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