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第六三九号

     サブ3達成!2018年世界遺産姫路城マラソン(後編)

2018年2月14日
AAC会員
高原 徹氏

   大変長らくお待たせいたしましたが、 世界遺産 姫路城マラソンにて54歳10ヶ月
   にして、フル2:59:44秒(グロス)で初サブ3達成いたしました!!
   「サブ3やるやる詐欺」の疑い(笑)もありましたが、疑いを見事に晴らすことができ、
   昨年の投稿第六〇六号「サブ3を目指して自己ベスト更新!さらに進化中!(前編)」
   に引き続きようやく後編を投稿する機会を得ることができました。

   晴れて「匠の会・サブ3の部」に入会登録させていただくとともに、初達成時年齢
   (鯛谷氏50歳)&最終達成時年齢(宗政名誉会長&堀内氏53歳)の同時記録更新
   を果たしました。これはなかなか価値ある記録と自画自賛しておりますのでこれから
   サブ3を目指そうという方は55歳以上での達成を目標にしてくださいませ。(笑)

   「今シーズンの対策は、FBI練習」
   昨シーズンから心がけている「30Km過ぎで一番速く走るマラソン練習法」の継続とし
   て週3回のポイント練習で20km~30Kmを1km4分~4分05秒で走れるよう
   になることを目指しました。その実力がつけば、イーブンで4分15秒ではなく最初
   の15kmを4分25秒、15~30kmを4分15秒、30km以降を4分05秒で
   走るとサブ3となる2:59:45になるというもの。

   地力はついたのでいかに底上げするかで7月末からスピード練習をさぼらずやるため
   に大村さん・多田さん・川崎さんなどと毎週水曜日朝6時から深江大橋で坂道約400
   ~500mを全力ダッシュを上り3回おこなう「FBI練習」をさぼれないように公開し
   てプレッシャーをかけました。夏は、日の出とともにさわやかな汗をかいていたので
   すが、冬はまだ真っ暗で1人なら絶対この時間には走りませんから、かなり精神的
   にも耐寒性もアップしたはずです。

   「レース当日:サブ3を目指す走りを!」
   迎えた当日のスタートでは、気温6度前後の晴れ、寒さは直近に比べるとあまり気に
   ならない程度。AACでのサブ3メンバーのアッバースさん・清水詠さんを筆頭に、チャ
   レンジャー金涌さんらとともにスタート。ペースランナーの集団にいる清水さん・金涌
   さんが少し先に見えている位置をキープしていきました。時計はあまり見ずに計測
   ポイントの計時をみるだけで30kmまで理想的なペースで2時間7分台でいよいよ
   正念場。ここからペースランナーに追いつきたかったのですが、狭いサイクリングロ
   ードの為に縦長となりやや離れてしまいました。

   35Km付近で清水さん・金涌さん2人とも集団から落ちかけてきたのをようやく捉えて、
   抜きざまに「いける!・いける!!・いける!!!」と自分にも活をいれるために声を
   かけました。清水さんがそのあとぴったり息をハアハア苦しそうにしながらついてきま
   すのでそこからは譲らず競り合いの展開に。ペースランナーの風船がとれたのか見
   えなくなってしまい、不安な展開でしたが脚も呼吸もまだ大丈夫。このままならいける
   と信じて40km。

   2時間49分台でギリギリサブ3ということでしたが、なんと2時間50分15秒の
   時計が目に入りました。マジに残り2,195kmを9分45秒とは余裕が全くない
   状態。数m先の清水さんの背中を必死で追いかけてついに城内へ。沿道の「3時間
   切れるぞ!」という声援にも力を得てしっかり時計をみながらゴールできました。
   私の後ろでサブ3は3名というギリギリのレースでした。
   金涌さんは惜しくも昨年の私とほぼ同じの3時間00分49秒。きっと次回雪辱してく
   れるでしょう!

   最後に、10年・20年後までも生涯スポーツとして楽しみながら、加齢を言い訳にせ
   ず進化するようこれからも精進することを誓います! 応援ありがとうございました!
    (大会開催日:2018・2・11)



第六三八号

   初めての別府大分毎日マラソン(別大)を走って!

2018年2月12日
AAC会員
樋上 慎二氏

   1:はじめに 一昨年の5月からAACに参加しております樋上慎二(ひがみしんじ)です。
   昨年の1月に茨城県の勝田マラソンでサブスリーのラン仲間にペーサーをしてもらい、
   グロスで3時間30分ジャストのタイムを出すことができました。少し話は遡りますが、
   それまでは、一番早くてもグロス3時間45分どまり(湘南国際マラソン)で、4年もの間、
   タイムが停滞していました。これではだめだ、と固く心に誓い、一昨年の秋から、AAC
   の仲間に誘われて、トラック練習(尼陸)や、ペース走(長居ウィンド)に取り組みはじ
   めました。

   2:別大への思い、サブ3.5で独り立ちするまで勝田マラソンで一気に15分もタイムを
   縮められた理由は、仲間の伴走や陸上練習のほか、エイドに一切寄らずコース内の
   最短距離をイーブンペースで走る、という方法が、自分に有効だったからでした。

   別大に行きたい思いは、勝田の35キロ過ぎの地点で天啓のように頭に舞い降りまし
   た。エリートの大会、一生に一度は出てみたい。別大、別大と口ずさみながら仲間と
   走り、ゴールまで駆け抜けました(サブ3.5まで1秒足りず)。

   翌日、事務局に電話してみると、3時間30分ジャストでも別大にエントリーできるとの
   こと。おぉ! でも、ゴールするには自力でサブ3.5を達成せねば、と心を切り替え、
   翌週の紀州口熊野マラソンに臨みましたが、40秒差でサブ3.5ならず…。 その後、
   小江戸大江戸200キロを完走しましたが、2週間後の徳島マラソンでは1分半足らず…。
   その後ブルベ(自転車レース)200キロに出て、長野マラソンに臨みましたが、気分が
   上滑りして大撃沈…。サロマ湖100キロの後、陸上練習を長居ウィンドに集中し、大阪
   マラソンのコースを十分下見し、気合いを入れて大阪マラソンを走り、ようやくサブ3.5
   ランナーとして独り立ちできました(3時間29分19秒)。

   3:別大エントリー、宿確保その他 9月初旬のエントリーの1か月前に、大会要項が
   発表されます。ここで、カテゴリー4の要件を再確認した上、クリック合戦に勝利。
   翌日、勝田の記録証を送付しました。条件クリアの上で正式にエントリーが受諾され、
   エントリーリストが大会ホームページに載るのが11月中旬でした。自分の名前がリスト
   に搭載されているのを確認したとき、一安心しました。

   ところで、大会要項発表前に、ネットで別府のカプセルホテルを予約しました。これか
   ら継続して、気軽に参加できるよう、なるべく経済的に臨みます。行き帰りの交通手
   段も、フェリーを選択。二等船室のベッドにしました。出航の2か月前から予約できま
   す。フェリーは大阪発ではなく、神戸発大分行きにしました。到着場所が西大分駅に
   近く、行動しやすいです。

   エントリーリストを見たAACの先輩会員の堀内さんから連絡がありました。別大のエ
   キスパートとして、大会前日に別府の街を案内したいとのこと。ありがたくお受けしま
   した。

   年明け1月中旬に、ナンバーリストがホームページに掲載されました。別大はタイム
   順にスタートグリッドが決まっています。予想の通り、私は陸連登録者の一番最後尾
   (苦笑)。まぁ、実際には、更に後ろから陸連非登録者800人余りがスタートするので
   すが、自分の持ちタイムがギリギリである現実は変わりません。昼スタートの防府マ
   ラソンで予行演習をして、年末に走り込み、年明けの武庫川ロードレースハーフで調
   整しました。

   そして、年明けの1月4日に売り出されたナイキヴェイパーフライをクリック合戦でゲット。
   幸運にも公式サイトで入手できた1人になりました。この靴を武庫川ハーフで試してみ
   ると、いきなり3年前のハーフPBを2分強も更新(1時間35分15秒)。すごい靴です。
   (ただし、かなり走り方が制限されます。) これで準備完了です。いざ別大へ!

   4:別府初上陸、別府観光初級編 金曜日の仕事を終え、大阪南港へ向かいました。
   神戸発のフェリーは機関点検のために大阪発別府行きへと振り替えられました。
   フェリーターミナルに着くと、ランナーの人ばかり。あちこちで別大の気温・風向きの
   話題が出てます。三等船室では早くも酒宴が。夕食のバイキングでは長い行列です。
   ここはゆったりくつろげるように、堀内さんの一等船室へお招きに預かり、カーボパー
   ティーです。その後、大浴場でのんびりし、自室のベッドで就寝しました。

   翌日、別府初上陸です。レンタカーで別府の「地獄」巡りをしました。別府観光初級編
   です。名称は正確ではないですが、泥泡の地獄、血の池地獄、白松の綺麗な地獄、
   間歇泉地獄、成分が煙と化合する理系のような地獄…。こんな狭いエリアに様々な
   温泉があるんだなと、火山国日本を再認識しました。

   昼食後、大会受付会場のビーコンプラザへ。そこはまさにエリート達の集う同窓会で
   した。あちこちでハイレベルな会話が。カテゴリー4でも、持ちタイムによってサブスリ
   ーアタック組と、ゴールすればハッピー組に分かれますが、後者の組でも、なんだか
   すごいところに来た、という雰囲気は味わえます。ここで東京から来た奥田さんと合
   流し、それぞれの宿に移動し、一旦落ち着きました。

   別府の街は、ザ・昭和という雰囲気を漂わせる懐かしい感じの街でした。商店街には
   昭和風ラーメンとか。どんな味でしょう? 元遊廓の公衆温泉もあります。私の宿のカ
   プセルホテルは、天然温泉付きで、熱いお湯に加えて、ゆっくり入れるぬるいお湯も
   あり、湯治に最適な場所です。カプセルベッドだけでなく、個室もあり、女性用の個室
   やベッドもあり、施設がとても綺麗でした。

   この日の夜は、堀内さんが数年前からチェックしていたのに、なかなか入れず予約も
   とれなかった「ヒットパレードクラブ」に行きました。昭和風味を売りにする別府ならで
   はの、日本のクラブ文化とは違う、アメリカのオールディーズなクラブの日本版でした。
   (高度成長期) 生バンドが上手いです。特にベース、ドラムの人達スゴイ! やはり
   リズムセクションはバンドの要ですね…。

   5:別府大分毎日マラソン号砲、そして安堵のゴール当日は、別府北浜のシャトル
   バス乗り場に午前8時半に着くように向かいました。宿から歩いて10分ちょっとでした。
   天気は曇り時々雪がチラつく寒さです。北風もかなり吹いています。過去のブログを
   読むと、カテゴリー4の人達の待機テントが風除けのない場所だとのことで、早く行け
   ば待機場所の代わりのバスの中で暖かい思いができるとのこと。始発のバスに乗り、
   スタート会場のうみたまごでしっかりバス席を確保しました。ゆっくり着替えつつ、リラ
   ックスし、時々トイレに行ったり(行き帰りにアップ)、隣の席の方とおしゃべりしたり。
   トイレの待ち時間もなく、ストレスゼロです。しかし、そこに突然、オフィシャルの方々
   から、着替えが終了した人はバスから出るようにとの告知が。バス内に動揺が広が
   ります。私としては、まだ服装選択の最中でしたので(カイロをどこに貼ろうかとか)、
   引き続きバス内にとどまりました。そのため、私はAAC集合写真の場面に行けず、
   足の具合から出走しなかった奥田さんがカテゴリー4のエリアまで撮影に来ていただ
   きました(来年は外でも寒くないベンチコートを着てこよう。)。

   午前11時に荷物を預けても、もう一度装備品チェックをするために、バスの中で待機
   しました。午前11時35分からのラインナップ直前まで、暖かくリラックスして過ごせまし
   た。そして、ラインナップでは第94列の左から2番目に。陸連登録組の最後尾の列です。
   登録組の最後尾数列分の人達は、持ちタイムもギリギリということもあり、ゴール目標
   を同じくする仲間、和気あいあいの雰囲気でした。皆、絶対ゴールしましょうとエール
   交換状態です。さらに号砲前に前方に詰めるとき、ノーベル賞の山中教授を発見!
   なんと私と同じヴェイパーフライをはいているではないか! 教授は周りから握手攻め
   でした。皆の握手に応じる気さくな教授スゴイ!

   コースは別大国道を10キロ北に行って折り返し、スタート地点に戻って20キロ、その
   後大分市内に入り、西別府の駅を過ぎて左折して、新日鐵の前まで続く直線の海岸
   道路に出て、35キロで折り返し、後は大分市内を通って競技場まで、と極めてシンプ
   ルかつフラットなコースです。スタートの号砲は、後ろまでよく聞こえませんでした…。

   スタートロスは40数秒。向い風ですが、午後からは晴れ間が多く、気温も4~5度に上
   がりました。もしかしてラン日和? けれど風は強く、寒さが苦手な私は、40キロ地点
   まで被ったビニール袋を脱がずに走りました。キロ4分55秒をキープして関門ギリギリ
   の通過を狙います。最初の10キロラップは48分25秒、次の10キロラップは48分45秒。
   ブログ情報だと、コース前半は距離表示が不正確とのこと。細かい1キロ毎のラップ
   はGPS時計を信じるしかありません。17キロ地点で奥田さんが応援してくれました。

   サブ3.5アタックの最初のポイント、ハーフ通過タイムは1時間43分22秒。辛うじて切れ
   るか! 30キロ地点までひたすらペースをキープします。20キロからの10キロラップは
   50分17秒。ここからが粘りどころです。新日鐵の直線道路は所々に橋があり、意外
   にのぼり下りがあります。のぼりで周りを抜き、下りでペースを緩めます。35キロまで
   の5キロラップが25分12秒。ここから折返しで向い風です。周りのペースがガクッと下
   がります。姿勢を低くして風をやり過ごし、一人一人抜いて行きました。

   サブ3.5アタックの次のポイントは、40キロ地点の通過タイムです。3時間18分40秒な
   らば間に合う。19分ジャストだとキツイ。19分20秒だとかなりヤバイ。とても狭いウィン
   ドウです。おぉ、3時間18分26秒だ!よし、間に合うぞ、と気合いを入れ直し、ビニール
   袋を脱ぎ捨て、ラストスパートに入りました。ようやく競技場が見えてきました。トラック
   を3/4周してゴール。3時間29分2秒。サブ3.5限界までわずかトラック1周分という薄氷
   のゴール! 思わず安堵のため息です…。わずか17秒ですが、大阪マラソンでの自己
   ベストを更新できました。下見なしのコースでこのタイムですから、来年はかなりタイム
   を縮められるでしょう。

   6:来年も行くぞ、別大 スタートの時の左隣の方(お医者様)は持ちタイム3時間29分
   59秒でしたが、私の10数秒後に無事ゴールされました。エール交換した他の方の幾
   人かは、ゴール叶わずでした。関門に追いまくられたビクビクの、超絶興奮する42.195
   キロでした。お医者様とはお互いの完走を讃え合い、来年も別大を共に走ろうと誓い
   合いました。

   AACの皆様の結果は、カテゴリー2の堀内さん、新倉さんは無事サブスリー、カテゴリ
   ー3の多田さんも体調が悪い中、あと数分でサブスリーという素晴らしいタイムでした。
   帰りのフェリーで堀内さんと盛大に打上げと酒盛りをしたのはいうまでもありません。

   ところで、カテゴリー4の「ゴールすればハッピー組」が別大に出る意味があるのか、
   と問われるかも知れません。福岡国際に出られる可能性がない人にとっては、別大
   は最高レベルの大会です。エリートの走り、市民ランナーの高いレベルが目に焼き
   付きます。コースもフラットです。温泉も素晴らしい。関西圏からフェリーで行きやすい。
   女性も参加可能です。パフォーマンスを維持し、モチベーションを高める意味で、別大
   を目標に掲げ、これからも健康に走り続けることに、とても意味があると思うわけです。
   まぁ、そこに別大があるから、別大に出るんですけど…。
    (大会開催日:2018・2・4)



第六三七号

      五 十 路 に 入 り 思 う こ と !

2018年2月6日
日本アイアンマンクラブ会員
川上 雅子氏

   平成30年が明けて1月の最終日曜日に勝田全国マラソンに参戦しました。12年ぶりで
   した。同じレースに出た理由は、今年から大阪国際女子マラソンに出られなくなった
   ことと、これらの国際レースに参戦できる記録を始めて出した大会がここだったから
   です。結果を比べて12年間のマラソンレースを考えてみました。これはおそらく30代、
   40代の方にはわからないと思いますが、皆さまでしたら共感していただけるところが
   少なからずあるのではと思います。

   12年前の勝田は、3時間15分という当時の国際レース参戦基準タイムを初めてクリ
   アーできた記念すべき大会であり年でした。この翌年から、国際レース(東京→
   横浜→埼玉、名古屋、大阪)に参戦できるようになり12年にわたってすべてのレース
   に参加しました。但し横浜国際女子マラソンは2回出て2回とも足切り回収でした。
   私が好きだったのは大阪国際女子マラソン。季節的にちょうど、トラシーズンが終わ
   って一休みしてから走り込む時間があり、レースが終わってちょっと休憩して4月5月
   からのトラレースの準備をしだすのによかったので、昨年まで連続参戦してきました。
   この12年間は参加基準記録の更新が連続参加の最低条件だったので、緊張感をも
   ってトレーニングしてきました。はっきり言ってとても苦しかったです。レースも練
   習も。この中で自己ベスト3時間6分19を49歳で7年ぶりに更新した時は本当にうれし
   かったです。自己ベストって本当に出ないんですよね。

   私は職業柄加齢についてはかなりシビアに受け止めていますが、これは年齢を理解
   し受け入れるという形でハッピーになれるということもよく理解しています。アスリ
   ートという人が、アマ・プロ関係なくつぶやく言葉に、『だめだと思ったらだめ』、
   『限界を作ったらそこが限界』というフレーズがあります。私もそう思って50歳までや
   ってきました。具体的には単純に『若者に負けないこと』。実際に一昨年のいわて
   国体では娘であってもよい年の大学生とチームを組みましたし、メジャーといわれ
   るトラレースでも総合入賞以上を最低ライン目標として参戦してきました。

   しかしそれが、昨年くらいからできないことが多くなっていることに気が付き始めたの
   です。そもそも練習に集中できる時間が短くなりましたし、10年前とおそらく同負荷と
   思われる練習をしてもその後の回復に時間がかかるようになり、結局練習の質が下
   がってしまうのです。てきめんに表れるのはマラソンのタイム。練習でも今まで刻め
   たラップが刻めませんから当然予想タイムも遅く、結果もまあ『パッとしないタイム』
   となってしまいます。だからロングトラレースのランでも2年ほど前から4時間以内に
   帰ってこられなくなりました。

   あれこれと、理由や原因を探してみますが、残念ながらこれが今の私の現実の姿だ
   と思います。40代まではたぶん『若い』、でも50歳からはびっくりです。おそらく先
   輩方も同じことを感じ、でもそれと折り合いをつけながら今も現役で楽しく苦しくレ
   ースをしているのだと思います。自分自身のこの姿をいやだなと思った人はやめ
   てしまった方々でしょうか。でもこれも、ひとつの選択だと思います。

   さて私はどうしたいのか?実は8年ほど前、開業医になったことを契機に“だらだら
   レーサー”を目指したことがありました。これは結果を求めず、完走だけすればい
   いという考えで、これでレースが楽しめるはずと思っていました。しかし、どうしても
   出てくる結果に納得いきません。私はしっかり練習して、しっかりレースしたいんだ
   ということが初めてわかりました。結局だらだらレーサー作戦は失敗。今はまじめに
   練習することに決めています。

   今年はこの勝田全国マラソンに参戦したことで、足は予定通り回りませんでしたが、
   予想外に頭がよく回りました。今年も1年怪我無く、人に迷惑か出ず、実力を出し惜
   しみせず、今の私の“Max.”でやってみようと思います。少なくとも『おばさんの部優
   勝』は誰にも譲りたくないと思います。おばあさんの部になっても同じ気持ちでいら
   れるといいなと思います。



第六三六号

      阪神淡路大震災を乗り越えて!

2018年1月17日
神戸AC代表
松井 一矢氏

   本日、2018年1月17日は阪神淡路大震災から丸23年。私は1歳1ヶ月でしたので、当時
   の記憶がありません。ですが、震災があった時、私はタンスの下敷きとなり、生死の分
   かれ目に居たと聞いています。たまたま両親の枕と枕の隙間に居たおかげで命は助
   かりました。あの時、枕が無かったら?少しでもズレていたら、今、私はこの世の中に
   居ません。運良く、命があり、健康で、元気にマラソンやトライアスロンに挑戦できるま
   でに成長しました。

   震災についてのお話は小学生の頃に初めて知りました。が、小学生の頃の私はイジ
   メられる側の人間で、自分には価値が無い。世の中から必要とされていない。自分一
   人くらい世の中から居なくなったところで、社会は何も変わらない。どうせ意味ない人生
   なんだったら自殺した方が良いんじゃないか?そんなことを考えた時期もありました。
   けど、私は生きました。なぜか。未来に行けば、自分を必要とする人に出逢えるはず。
   大切な人は未来に居るはず。そう信じて、今日まで生きてきました。阪神淡路大震災
   から23年の月日が流れた今日。社会は、世の中はどうなったのでしょう?

   今日、震災を生き延び、イジメを乗り越え、私は生きています。そして「大好き」なマラ   
   ソン、トライアスロンと出逢うことができて、大好きな人とも出逢うことができました。
   好きな物事に熱中し、今日を生きています。平均寿命が80歳を超える日本で生きてい
   る現在。常に未来の為に・・・と行動することが当たり前で、今という瞬間に好きなこと
   をやらず、未来に先延ばし続ける人も居ますね。たしかにお金の貯金もできますから、
   それも大切なことだと思いますが、私は “今” という時間も大切にして生きていきたい。
   いつ、何が起きるかわからない時代。次、いつ大震災がやってくるかもわからない時
   代です。 なので、今日を生きよう!

   この命を大切に。生きていれば、1つでも良いことはある。1個でも良いことは起きる。
   つまり、幸せな瞬間が訪れるはず。なぜ言えるのか。今、私は幸せを感じながら生き
   ています。大好きなランニングも追求した先に、ランニングチーム神戸AC (神戸アス
   リートクラブ)を創設し、代表として仲間と共にトレーニングを積み重ね、大会出場を
   することができています。これも命があるからできること。もっともっと自分に素直に
   なって、心のコンパスが指す方向へ。一歩ずつ、一歩でも進んでみよう!
   「好き」を追求し、夢を追い駆ける。生きていれば、チャンスがある。好きなことに取
   り組める。好きな人に会える。夢にも挑戦できる。

   あなたの「好き」な物事はなんですか? 「好き」な人は誰ですか?
   未来に先延ばしせず、今やろう! 今日、会いに行こう! 今日を生きよう!!

    神戸AC (神戸アスリートクラブ) 代表 松井一矢(当時、私は1歳1ヶ月でした…)
    神戸AC公式HP : http://kobe-athleteclub.info/
    松井一矢公式HP: https://kazuyamatsui.com/

   (管理人より:2018年1月17日の阪神淡路大震災から遅れ掲載が遅くなってしまい申し訳ありませんでした)



第六三五号

       Journey Runの世界へようこそ~
    
「なにわ七幸めぐり」 レポート!

2018年1月20日
AAC会員
原  典昭氏

   今年度新設されたマラニック部で、第一回企画「なにわ七幸めぐり」を開催しました。
   七幸めぐりとは、大阪の7社寺(住吉大社、大念佛寺、四天王寺、今宮戎神社、
   大阪天満宮、太融寺、四条畷神社)を巡拝することです。
   希望者は各社寺で専用の色紙や集印帖に朱印を頂き(有料)、全部集めると満願
   になり、四天王寺の特設掲示板に2年間、名札が奉納されます。

   114日朝、参加者11名が住吉大社駅前をスタート。7つの社寺を巡り夕方、全員
   で畷の里温泉(四条畷)へゴールしました。

   各社寺は大勢の参拝客で賑わっており朱印を頂くのに時間がかかる事もありまし
   たが、半数の方が朱印を集めて満願達成。来年には四天王寺に名札が飾られます。

   途中、黒門市場で思い思いの店で昼食タイム。長居公園(陸上競技場)、国立文楽
   劇場、繁盛亭、日本橋や天神橋の商店街に立ち寄ったり、通天閣や中之島公園を
   遠目に見たりと大阪市内観光も楽しめました。

   6つ目の太融寺を出る際には全員一致で四条畷神社までの15㎞を電車移動へ変
   更、()  京橋駅から四条畷駅までワープしました。これもOKです。おかげで予定
   より1時間早い16時半に温泉へ到着できました。
   実走時間7時間45分、(電車移動を除く)走行距離30㎞。

   当日は穏やかな晴天に恵まれ、トラブルや怪我もなく和気あいあいと会話を楽しみ
   ながら全員一緒にゴールでき、初回としてはまずまず合格点のマラニックでした。
   入浴後は温泉内の食堂で打ち上げ。帰りのバス、電車内も会話が弾みました。

   マラニック部では今後も毎月、様々な地域やコースの企画を予定しています。
   是非、ゆっくり楽しく走るマラニックを体験してください。
   皆様の参加をお待ちしています。
   (2018・1・14)



第六三四号

    西宮神社 開門神事(福男選び)Aブロック体験記!


2018年1月13日
AAC会員
清水 俊貴氏

   西宮神社の毎年1月10日のイベント『開門神事 福男選び』に、今回前から4列目で
   参加するという体験をしたので、そのときのことを含め、福男選びについて、投稿
   させていただきます。

   <開門神事って?>
   1月10日午前4時から神社でえびす福にまつわる式があり、午前6時に開門。一番
   に参拝した人(えびす福に会いに来た人)をその年の一番福とされ、以下二番福、三
   番福となり、その人を決めるのが福男選びです。

   <イベント参加のきっかけ>
   4年前の2014年は公私とも大きな失敗のあった年で色々と失いました。明けた2015
   年、底からの再起に、小さいことでも何か始めようと、休日の関係で参加しやすかっ
   た福男選びに参加しました。

   <実際福男になるためには>
   テレビで報道されてるように、門のそばで開門と同時に走って、一番になることなん
   ですが、そこに行くためには、1月9日22時先着1500人に与えられるくじ引きに参加し
   て、108本の赤色の当たりを引かなければいけません(確率7.2%)。その108人がA
   ブロックで(前列)スタートできます。当たりは他に青色150本がありますが、Aブロッ
   クの一区間後ろのBブロックになります。ここは福男になるには、後ろすぎで、福男
   イベントの雰囲気は味わえますが、福男圏外です。
   後、さらにもう一区間後ろにCブロックがあります。ここは1月9日のくじ引きに参加す
   る必要はなく、1月10日の先着順で、参拝することができます。
   (ここは福男が決まってからのスタートで、ダッシュすることなく、参拝するブロック
   です)

   <2015年初挑戦>
   22時に先着順とあったので、21時30分頃並びにいきました。すると、1700番くらいで、
   くじ引きさせてもらえず、アウト。(完全に甘くみてました) 翌日のCブロックで参拝
   しました。

   <2016年、2017年>
   前年の反省で20時前から並びました。ここからは、まず22時の受け付けまで1月の
   冬の夜の寒さをじっと耐えるだけです。この時の過ごし方としては、大学生の参加
   が多く、就活生も多くいてます。就職活動の話を聞いたりしてると、割りと時間は過
   ぎていきます。(笑)
   2時間後の22時受け付け。ここでは、運動靴かどうかのチェックがあります。神事
   (遊びでない)なので、ふさわしくない格好は受け付けできません。受け付けで、同意
   書を受けとります。同意書にはケガをする恐れのある危険な神事であることのよう
   な内容が書かれています。それを承諾して、再度0時のくじ引きまでさらに寒くなっ
   ていく1月の冬の夜の中で待ちます。そして1月10日の日付がかわった午前0時すぎ
   (並んでから4時間以上)に、くじ引きして、2016年2017年は外れでした。外れはなに
   もなく解散です。翌日のCブロックで参拝しました。

   <そして今年2018年>
   とうとうAブロック(108本/1500)の当たりを引くことができました!! 当たりを引
   くと引いた人だけが集まる場所にいきます。左手の甲に証明のハンコを押して、
   くじに書かれている番号(1~108)を確認します。僕は54番。これはあとで走る場所
   を決める順番になります。次はアンケートを記入します。内容は出生地や育った地、
   スポーツ歴などで、毎年どのような人が当たるのかを統計して、研究している人が
   いてるようです。

   <当たってから>
   カフェオレが振る舞われ、Aブロックの当たり108人が揃うと、開門神事を走る説明
   会、特にどれだけ危険かの説明があります。その例えで、朝の御堂筋の満員電車
   のすし詰め状態から全員でダッシュするようなことだと。一通り説明を聞いて、いよ
   いよ場所決める。横列12名×8列のますめに先ほどの順番で名前を書いていきま
   す。当然前列、中央から埋まっていき、僕は前から4列目の右端になりました。(良
   いところから走ろうと思えば30番くらいまででないとダメでした) それでようやく
   解散。その時点で1時30分頃、19時30分から並んでいたので、1月の冬の夜に5時
   間以上となります。

   <1月10日本番>
   Aブロック当選者の集合は午前4時です。午前4時に当選券と手の甲のハンコを見
   せて門の前のAブロックへ移動。走る順番にならび、最終説明を聞きます。そのあ
   とトイレなどの時間を挟み、5時過ぎにウォーミングアップ。この時に本番のスタート
   に見立てたスタート練習もします。ほとんどの人を怖いと感じてました。5時20分頃
   ウォーミングアップが終わり、ふたたび門の前へ。そこで神事についての話やら、
   参拝の仕方(2礼2拍手1礼)の話やら、東北大震災の復興の関係との話を聞き、お
   祓いを受けて、本番を待ちます。

   そして刻々と本番に近づき、高まる緊張感、一旦気持ちを落ち着かせるように、門
   とは反対向きに座って、2分前に門のほうに向きなおし、門の鍵が抜かれ、時報の
   6時ピッタリに『開門』の号令とともに、門が開かれスタートです。230mの短距離走
   でも何とかなるかなと思ってましたが、4列目の端からのスタートだとスタートで
   先頭から放され、学生や20代のダッシュにはついていけず、前にあったゲートが
   障害となって、避けようと砂利に降りたときに滑って転倒。全く見せ場を作ることな
   く、初めての開門神事福男選びは終わりました。

   <開門神事福男選びに参加して>
   今年は9日も10日も平日で仕事終わりにならび、翌日の参拝が終われば、すぐ仕事
   となかなかハードな2日間でしたが、きっちり神事をすることで、ささやかでいいん
   で、今年も無事に過ごせればなぁと思っています。もしこの投稿を読んで一緒に参加
   していただける人がいれば来年はご一緒に参加してほしいなぁと思います(笑)