長女犬シェリーの話 
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1 初めて飼った犬
シェリーは1988年12月11日生まれのマルチーズ。正式名キャロライン。子供の頃、実家では、スピッツのメスを飼った事がある。名前はミッキー。高い声で吠えるし、私はよく咬まれた。余りに酷く、元の飼い主に戻した記憶がある。スピッツの後は大きな雑種犬で、触るのが怖く、私は散歩や餌やりも、しなかった。因みに、我が愛犬以外は、今でも犬を触れない。
そんな我が家で、犬を飼おうと言い出したのは夫だった。大きな犬は、怖いので、室内犬が良いと、私が主張すると夫は、自分が、お金を出すと言う。早速、子供の頃に墓参りした墓地の近くにある、犬専門のショップに行った。店内のサークルの中に白い小さな犬がポツンと座っていた。サークル越しに私が手を出すとペロペロと指を舐めた。店の女店主が、もう少しで仔犬が来る…と言ったけど、初対面の犬に指を舐められ、嬉しくて、飼う事に決めた。帰りの車の助手席の私の膝に埋まう程小さな子だった。犬の扱いも飼い方も犬の種類も知らないままに、1989年の2月5日に我が家の家族になった。名前は、色々考えた。好きだったアメリカンポップスの曲で好きだった「シェリー」が最終的に愛犬の名前に決まった。
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2 トイレの躾
室内犬は家の中でトイレの躾が必須。子供がいない我が家なので私には子供的存在。ある程度シツケがなされていないと一緒に住む事に弊害が出るので、室内犬シツケの本を買って、読み漁った。家の中で、入って良い部屋と駄目な部屋を決めて囲いをした。我が家は1階は和室が1部屋以外は廊下も階段も部屋はフローリングなので、排尿しても拭けば良いとは言うものの部屋中がトイレでは困る。シェリーのトイレを洗面所の一角と決めた。最初は部屋中に新聞紙を敷いた。白い犬なのに新聞の上を転げ回るものだから灰色になってしまいそうだった。そのうちに新聞の上で排尿する場所が決まり始めたので、その場所にペットシートを置いた。シートを徐々に洗面所に近づけていく。1ヶ月位でトイレの位置が決まった。1人遊びに興じていても急に辞めて、走ってシートで用を足す姿が可愛くて思わず笑ってしまう。犬と同居する為の基本的なトイレシツケはシェリーの場合は大成功で、苦労した思いは無かった。
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3 誰もさわれず…
おすわりとかお手…とかの芸もいつの間にか難なく覚えたようだ。初めて飼う犬にしてはスムーズに我が家に溶け込んでシツケに付いても苦労した覚えはない。犬好きじゃなくて、小さいにも関わらず触るのが怖かった。特に口の周りを触るのが苦手。仔犬の乳歯は小さく尖っている。手や指が当たると痛い。それが嫌なばかりに仔犬時代から体を触れなかった。その精かどうか…シェリー自身もからだを触られる事を嫌がった。特に子供が触ろうとするや歯を剥き出し唸り声を挙げる。散歩中に「可愛い」と寄って来る子供たちに「咬むから手を出さなでね」と注意していた。
時が経つと何とかダンナと私だけは触らせてくれたが…数え切れないくらい噛まれた。噛まれても日頃の手入れでもあるシャンプーは必要。手足廻りや目元のカットくらいは必要。世話をするのはすべて私の役目。シャンプーもカット等は餌で誤魔化しながら世話を続けた。いつ噛みつくか…と言う不安から少しも気が抜けない。数ヶ月に一度は犬の美容室でシャンプー及びカットーを頼んだ。トリマさんに咬みつくかを聞くと「口の周りをする時はちょっと噛まはるけど…大丈夫ですよ」ってことだった。4-5000円掛かかる。私自身のカットよりも高いけれど毎回綺麗にカットをしてくれるので流石に専門家だと関心しきりで…有り難いと思う。
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4 カメラ目線
現在の住まいに引っ越して暫くしてから、夫の希望で熱帯魚を飼っていた。水槽を掃除してくれる魚やエンゼルフィッシュやテトラも沢山居た。一番多く居たのがグッピー。グッピーは子供を産んでどんどん増えるって事だったのに、生れてもいつのまにか居なくなる。どうも共食いをされていたようだ。水槽を洗ったり水を入れ替えたり砂利を洗ったりの世話は、夫が言い出しっぺなのに、私が全て世話する羽目になった。
最初は和室の出窓に水槽を置いていたが、畳が湿気る。玄関の下駄箱の上に替えたが靴が湿る。それが何より嫌だった。そこに愛犬シェリーも飼う事になった。シェリーの世話も私がすることになる。熱帯魚は世話を怠ると次々と死んでしまう。それが辛く熱帯魚飼育は諦めた。シェリーを玄関の下駄箱の上の水槽の横に乗せてカメラを構えると座りスマシ顔をするのが可愛いくて、度々水槽の横に座らせて写真を撮った。
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5 冬は炬燵が良い
冬の日カメラを向けたら得意のおすましポーズを取る。別に教えた訳ではない。冬場は髪は長め。頭の中央にリボンをする方がシェリー場合は似合ってると思う。カメラを向けると、いつもお澄ましのポーズを取る。カメラ目線というヤ写真の数が少ないのが残念。デジカメを買ったのが平成11年。シェリーの頃はまだ普通の、いわゆるバカちょんカメラ。ネガは残っていたのでカメラ店でCDにした。元の写真が悪いのかイマイチ鮮明な写真がないのは、撮影の技術が下手なのかも。冬の日は炬燵に潜り込む。童謡の雪やコンコンの歌詞の「犬が庭駆け回り」は無くて、我が愛犬だけかもしれないけど犬も寒さを感じるみたい。
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6 暑い夏
暑い日のシェリーは扇風機の前で涼んだり床に、お腹を床に付け腹ばいになる。犬は足の裏に汗の線があるそうだ。体温は平熱で38~39度位で人間より高め。夏は体重は変わらないのに髪を短くする為に幾分痩せて見える。美容室から帰ると狂ったように走りまわる。いつも利用してるペット美容室は送り迎えをしてくれる。走り疲れて、寝そべってしまう。サマーカットは値段は通常より少し安い。何だか反対の様な気がする。
夏は2ヵ月…冬は3ヵ月程の間隔でカットする。人間は暑い時期は髪は伸びが早いから、犬も一緒なのかも知れない。犬は美容室に行くのはストレスの様だ。平成3年に私が入院の為二週間ホテルに預けたら、毛が抜けて円形脱毛になった。環境が、変わると犬もストレスになる事も知った。
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7 獣医師との出会い
犬の寿命は長くて15年だそうで…どんなに可愛がっても犬の方が先に死を迎える。だからこそ飼えるのかも知れないし先に飼い主を失った犬の方が哀れだ思う。生けるものは必ず死が訪れる。一番大事なことは飼った以上は最後まで責任を持ち飼い、飼い主が看取るのが、犬の幸せだと思う。
シェリーが10歳を過ぎ「あと5年一緒に居られる」と信じて疑わなかった。予防注射以外は病院には縁がなかった。近所で注射で通った獣医師が亡くなり、翌年から病院を替えた。その獣医師は、噛む癖のあるのを知ると家族は邪魔だと、診察室から出されてしまった。おまけに躾が悪いと叱られた。診察室の外に居ると、シェリーを押さえつけるようにして注射をする気配。何度か我慢したが、行きたくない。予防注射もしなかった。近所の友人の飼い犬が病気になり、開院した動物病院で診察を受けた。獣医は若いけど丁寧に診察し親切で優しく説明も丁寧だと、評判を聞いた。
シェリーがしきりに耳を振る。友人の評判を頼りに動物病院を訪れた。歩いても35分位の距離。診察の結果、耳ダニが居る事が分かった。耳の中を洗浄し消毒し薬を付ける。以前も、同じ症状だったけど、獣医の対応は全く違う。犬に優しく、押さえ込まず、逃げる犬の行く方に回り、声を掛けながら処置する。そのうちシェリーも大人しくなり、治療を受け、何度か通うと治った。それからは4種混合注射もその動物病院で受ける事にした。人間にとっても、犬にとっても、体調が悪い時には信頼の出来る主治医を持つことが大切だと思う。
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8 忍び寄る病の蔭
1999年4月、シェリーのお腹が何となく大きくなった。太ったのかなぁ…もう10年だから中年太りだぁ…と暢気に笑ってた。それが大きな間違い。それから少しずつ大きくなった。妊娠などしていない事は明らか。それから、食欲はなくなり吐くことが多くなった。かなり心配になり、動物病院に行った。
「子宮蓄膿症」という病名を獣医師から聞いた。子宮に膿が溜まる病気。子供を産んでいない犬が罹る病気だった。人間で言うなら子宮内膜症なのだろう。私も子宮内膜症で重症だと主治医に聞かされた。子供は産めなかったが、命は取られなかったし、手術で子宮と卵巣片方の摘出で完治した。我が子同然のシェリーまで同じ様な病気になる…。
その頃のシェリーの体重は3.5㎏だったので、子宮は鉛筆位の大きさという。3日後。体力が弱ってる為に、手術当日まで毎日点滴を受ける為に通院。
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9 手術をする…
手術の日の朝…急に鳴いたかと思うとヨロヨロと足がもつれて歩けなくなった。直前までシートのある洗面所に普通に歩いて行っいてたのに、その後は尿も便も垂れ流し状態になった。シートでのトイレの習慣がある為に、本人はシートまで歩いて行きたい気持ちはあるのだろうけど…。寝そべった状態から立てない。
自分の心と身体のバラつきをシェリー自身が感じているようだった。腰をバスタオルで包み「ここでしたら良いよ」と声をかける私の顔を申し訳なさそうに、私を見ている。そのうち嘔吐が始まった。手術は昼からだったけど状態を電話で獣医師に話すと「すぐに連れて来て下さい」と言われ、タオルケットにシェリーを包んで抱きダンナの運転で病院に急いだ。
後からの話だけれど…電話の時点では獣医師は楽観視していたけれどシェリーの急変に驚いたそうだ。 点滴をしながらエコーが撮られた。その映像を見て子宮を摘出するしかない状態。シェリーの体力はかなり弱ってるので、麻酔をかける手術が耐えられるかが問題で…かといって摘出しない限りは生きられない。手術しない場合は今晩位が山で助かる見込みは殆ど無い状態。手術さえ乗り切ってくれたら助かるかも…。何もしないで苦しむ姿だけを見るのは辛い。
獣医師と診察台を間にシェリーの身体撫でながら話す。涙が留めなく出る。
「なんでもっと早くお腹の張りに気付いてやれなかったんだろう」悔しい…哀しかった。獣医師の前で散々泣きじゃくりながら話した。後から思うと、恥ずかしいけどその時は号泣していた。シェリーと私を送ると、一旦自宅に帰っていた旦那と一緒に説明を受けた。一縷の望みで手術をする事を決断。苦しい選択…だった。
診察室の隣の手術室ではシェリーの心拍音が聞えてる。どれ位経ったか…音が急に狂いだし…それから間もなく音が消えた。先生の「あぁ」という何とも言えない声も耳に入った。それから暫くして、ダンナが呼ばれた。手術のリスクは大きかった。シェリーは息切れたのだ。私も呼ばれて手術室に入った。手術台に横たわるシェリーの腹部には縫合跡が痛々しい…。金属製のトレーに摘出された子宮が乗せられていた。子宮には既に穴が開いて膿が体内に流れ出たのが急変の原因だった。
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10 お別れに…
その日の朝、何とも言いようの無い声でシェリーが鳴いた時、既に破れた子宮から膿が出て…痛みが走ったのかもしれない。人間なら痛みを訴えて騒ぐ。犬は物言わぬだけに、何とも我慢強く、気が付いた時には手遅れになり、可哀相な事をしてしまった。
診察台を挟んで獣医師さんと話してる間、横たわるだけのシェリーが手術を決め、獣医師さんが準備を始めてる時、むっくりと起き上がり診察台に立って、私の顔をずーっと見てる。「シェリーちゃん頑張りや」って声を掛けた。それでもじっとして正面から目を背けず見てる。身体をずっと撫でてやる。きっと自分の最期を感じ取ったのだろうと後から思った。
家に連れて帰って、いつも使っていた籠に寝かせた。ま熟睡してる時の顔。死んだのが信じられなくらい。身体を揺すると今にも起き上がりそう…。ペットの葬儀社に電話した。
翌日に葬儀と決まる。スーパーで花を買う。籠のそばに、花を飾り、線香を供えた。昔 小学生の頃なら、道路に動物の死骸があると顔を背けた。死骸を触るのは考えもしない。
それが10年間一緒に暮らした愛犬なら不思議と抱くことも触る事も出来る。見てると今にも目を開きそうなので籠を揺するが目は開けない。顔を撫でて、目を触ると目が開くが本人の意思では閉じられず、開いたままになってる。「生きてるみたいや」 眼を閉じてやる。
一晩、籠のそばに枕と毛布を持ってきて添い寝した。何度も夜中に目が醒め、その度に籠を揺する。けどシェリーは全く動かない。「夢じゃないんや…」
翌朝、十時に葬儀社の人が来る。その十分前にダンボールにタオルケットを敷いて餌やガムを入れて飾ってあった花を千切ってシェリーの周囲に散らす。
葬儀社の人が来るまでは蓋を開けたままにした。葬儀社の車は白で名前等は、一切書かれてない。ライトバンの後が開けられると、小さな祭壇が設けられ、シェリーが入ってるダンボールには西陣織のような立派な布が掛けられた。係りの人が数珠を片手に合掌。犬と言えども立派な家族。ペット産業大繁盛の昨今。私個人の意見は犬の服などは批判っぽくなるけど、家族の一員の、犬の最後をこんなにも手厚く扱ってくれるなら賛成だなぁって思う。病気だったり、手に負えなくなったら捨ててしまう飼い主も居るんだから、商売であっても気持を込めて葬儀をしてくれる業者に感謝したい。
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11 三回忌
2001年4月25日で三回忌。
葬儀社から三回忌の案内はがきが届いた。4月22日4月が命日の犬たちの合同法要が営まれるという案内。その頃、体調が悪くて行けなくて供養費を送金すると、数日後、供養が終わった事を記した葉書が届いた。
連休に入った4月29日…二代目の愛犬と、夫の運転で、早朝に家を出て墓参りに出かけた。現場に着いたのは9時過ぎ。朝にも関わらず供養塔の周囲は手入れされ、花が飾られて雑草もなく、心が洗われるようだった。供養塔の前で手を合わす。他に参拝者は居無かったが、そこに立つと眼がウルウル。初めて飼い、10年間、暮らした子だ。シェリーの遺骨は供養塔の合同納骨した。写真は今も部屋に飾ってる。
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