1 ペットロスに・・・
長女犬を10年4ヶ月で亡くし…娘同然の子が居ない寂しさに耐え切れず即刻、犬専門の繁殖のお店を訪ねマルチーズのメスを探してもらった。二ヶ月程すると連絡が有り1999年6月17日に引き取りに行った。お店でシャンプーしてもらい、ペットシートを敷き、ケーキ屋さんの様な持ち手のある段ボールの箱に入れてくれた。車の免許を持っていないので、お店の近くの最寄り駅からは電車に乗った。10分程で、途中で泣かないかと心配したが、おとなしくしてくれて、一緒に我が家に帰ってきた。
1999年4月24日生まれ。体長は20cm程で小さく…少しでも力を入れると壊れそうだった。名前は「藍」と名付けた。我が家に着てからは毎週100gずつ増える。最終的には2000gに落ち着いた。シェリーはカメラを向けるとポーズまで取る子だったが、藍はカメラを向けると逃げてしまう。餌で吊りながら追っかけ回しての撮影する。でも残念ながら、パソコンを買い換えやトラブルで、可愛い時期の2000年~2001年の写真が消えてしまった。長女犬の事を忘れられなくて、家中に長女犬の写真が飾り、藍を迎え、ペットロスから立ち直り、愛犬の居る生活が始まった。
2 生まれ変わり
長女犬シェリー亡くなったのが1999年4月25日。藍(その時はまだ名前がない)は1999年4月24日生まれと知り、何だか、シェリーの生まれ変わりの様に感じた。血統書の正式登録名は「ブロッコリー」。何故、そんな名前が付いたのかは分からない。我が家に藍が来たのが、54日目の1999年6月17日。ペットショップで段ボールのケースに入れて貰った。店からJR駅まで歩き、自宅までの最寄り駅まで1駅を、手荷物料金を払い連れて帰った。家に着いて箱から出すと…何も指示しないのに、100円ショップで買った籠にちょこんと入った。その日、台所用の秤に乗せると、体重は650g。我が家での一日目は鳴き声をあげる事も無く眠り、藍を迎えた生活が始まった。
3 犬も性格が違う
シェリーを飼った時は何もかもが初めてだった。俗に云う「甘噛み」が怖くて恐る恐る触っていた。その為か人を噛む様になったので、人に触って貰えなかった。藍には甘噛みを思い存分させた。子犬時の歯ならそれほど痛くはなかった。
先ずはトイレのしつけだったけど、シェリーの体験から、意外と上手くいった様に思う。けれどシェリーは「お手」「おすわり」「おいで」などはいつの間にか出来たし、ボール遊びも好きで、ラップの芯や蓋類や箱などでも飽きるまで遊んだが、藍はマイペースで遊びは興味を示さない。犬にも性格の違いがあると、悟った。芸は出来ないが、比較的吠えない子で愛くるしい顔や表情で和ませてくれる。マルチーズの中でも美形だと、藍を貰い受けたお店の人が言った様に、会う人が、文句なしに「可愛いねぇ」と称賛してくれる事が嬉しくて、自慢が出来た。
4 藍と通院
てんかんという病気を持ちながら生きることになった藍。発作を起こし、よだれを出しけいれん、尿も便も垂れ流しの状態を目の前にすると、それが深夜や早朝だと苛立ってしまう。 発作は2ー3週間位の周期で起きる。単発の時もあるが2日に渡り数回から、多い時には10数回連続して起きる。当の藍が一番苦しく辛いのは当然だけど、発作が深夜や早朝に起きると発作後の処置が負担になてしまう。
発作で尿や便が垂れ流し状態になるので犬用のオムツをしていても、けいれんで体が反り返るので、バスタオルなどで包む。けいれんが治まるとオムツを外す。深夜や早朝にもけいれんが起きる度に作業が付いて回る。
発作が起きている間は眠れないし、昼間であっても放っておけない。買い物にも外出も心配で出来ない。初めて、けいれんを目にした時は驚いた。何度見ても、けいれん状態に慣れ無いけれど、対処のやり方には慣れたので気持が落ち着いている時には余裕で出来る。
頭痛持ちで、藍の発作と片頭痛が重なった時は苛立ちは極限に達する。けれど、物言えぬ故に虐待する訳にもいかないし、声を少し荒げながらも、処置は懸命に確実に行うようにと日々頑張った。痙攣が治まっても、脳の神経の一部が壊れている様なので、徘徊するかのように足をもたつかせ壁伝いにクルクルと動き回る。深夜や早朝にも部屋中を徘徊されると何とも耐えがたい気持ちになる。
5 自治会長と病気の愛犬
2006年1月、抽選で自治会会長に決定!!一年間、自治会に貢献する羽目となった。夫は会社員の為に全ての用事は、私がする事になる。藍に「てんかん」の発作が見つかり、通院も日常になり、心身共に忙しい日々を過ごすことになった。
てんかん発作を見た当初は、このまま死んでしまうのかと思うほど心配し、驚いたが、獣医師に話を聞き次第に心が落ち着いていった。何度発作を見ても慣れる事は無いが、発作が治まるまで藍を支え、見守る事が出来るようになった。2キロ足らずの体重しかない藍の細い足の血管に点滴の針を刺し、点滴液をぶら下げながら病院通いも体験した。運転免許を持ってないので、タクシー呼び動物病院まで往復する事も度々だった。その点滴の姿が辛くて…獣医師に訴えると飲み薬処方に替えてくれた。それでも週一度の通院をして病院でのみの点滴は続いた。
一年間の自治会長は終わったが病院通いは続く。動物病院までは片道歩いて30分程だけど、2㎏未満の藍も抱き続けると、両手はしびれるし、重さを感じる。雨の日は極力通院は避けるが、夏の日差しの強い日は日傘が欠かせないが、藍の為に頑張って歩き通院を続けた。
6 獣医と信頼関係
犬のしつけ云々が言われるけれど、病気の子には、躾は強要することは出来ず、甘い甘い飼い主になり下がっている。獣医師にもそんな話をしたら「躾よりも、この子が少しでも元気に暮らせる事を考えてあげて下さい」と励まされる。
藍にとって薬を飲まされたり目薬を差したりするのは非情な事の様で、体を触られたり抱かれたりするだけで、噛み付くしぐさをするなど、やや狂暴になっる時がある。病気の影響で食欲が無くなったり体重が激減するので、点滴の為に病院に駆け込み、狂暴性を獣医師に訴えると、「それくらいは元気のある証拠だと思って見てあげて下さい。元気が何よりです」食欲が少しでも増したり、体重が微量でも増えると「良かったじゃないですか」と自分の事の様に一緒に喜んでくれる。長女犬シェリー頃からお世話になっている獣医師のお陰で病気持ちの子が居ても、安心して暮らせてるので幸せだ。自宅で点滴をする為に足の血管に点滴を針を入れている藍。獣医師が針チューブを隠す為にピンクの包帯を巻いてくれた。
7 縁が切れない
藍が我が家に来てすぐ、予防注射もしていない頃に耳を痒がり、長女犬の時からお世話になっていた動物病院に行った。藍を迎えたことで、ペットロスからも解放され先生に新しい愛犬のお披露目となった。ダニなのかと心配をしたが耳の中の分泌物が悪さをして痒くなるとの事。たれ耳の犬種に多いと教えてくれた。季節的な事も因果関係が有るようで、梅雨の時期や蒸し暑い日にも耳の中に分泌物が発生するようだ。
予防注射やフィラリアの薬や、に耳の処置にも通うようになり、動物病院とは縁が切れなくなった。獣医師は優しく丁寧で日々の思いなども聞いてくれる。説明もきちんとしてくれるし、犬を扱う時も犬を従わせるのではなく、犬に合わせて先生自身が動いて治療や処置をしてくれる。初めて出会った時と全く変わることなく犬にも飼い主にも誠実に接してくれる。先生が苛立ったり動物を叱ったりする姿は一度も見た事も聞いた事もない。
友人が以前通っていた獣医師は、最初こそ親切丁寧だったけど患者が増えて、繁盛してくるに従って、動物にも飼い主にも横柄な態度を取るようになり、病院を替えたと話していたが、我が家が通う病院は先生もスタッフも当初と対応は全く変わらない。病気になった藍には獣医師が欠かせない。良い獣医に巡り合ったと思っている。
8 犬も要介護
子供の頃、野良犬が居ると保険所から捕まえに来たらしいが、実際には見た事は無い。近所には犬を飼っている家は、あったが、大抵は、大きなお宅で、敷地内の庭などで放して飼いだった為か、散歩をさせているのはあまり見掛けなかった。私の家にも雑種犬やスピッツを飼っていたけれど、父が大工仕事で作った犬小屋が有り、首輪もして鎖に繋いでいた。餌をやった記憶はあるけど、私は犬を散歩させた事は無かった。
近年はペットブームでペット関連の産業が繁盛している半面、手に負えなくなったり、病気になったペットを飼い主が保険所等に持ち込むケースが増えているとか。藍は当初から病院通い。平成18年頃から発作痙攣を起し、病気持ちだが、可哀想だこそ思えど、居なくなれば良いと思った事など一度も無い。大事な家族の一員だから…。
排泄の躾は出来ていたのにけいれんを起す様になり、何処でも排泄をするので、考えた結果、叱るより良いだろうとペット用オムツを使うことにした。排尿はオムツでカバーできるけど、排便は気付かず、うっかりすと、尻尾を出す穴から便がこぼれ落ちる。
てんかんの発作を起す時などは排尿も排便も同時に出て悲惨な事になる。けれど藍自身が悪いのではないし後始末は全て私がする。高齢になれば介護は犬にも必要な事になる。その覚悟が無いと動物は飼えないし、可愛い所だけを見ていたいのなら飼ってはいけないとさえ思う。病気になる犬も、少なからずいるのだから。小型犬でさえ病気の介護は大変だから、大型犬を飼う自信は私には無い。
9 犬友達が無い
病院通いが多くなり車の免許を持たない為に病院まで30分を歩く事になる。藍を歩かすと時間が掛かるので、ついつい抱いてしまう癖が付いた。リードを見せても全く関心を示さない。散歩行こうと誘っても無視する。藍の自意識には散歩する項目が薄れてるようだ。獣医師にその事を話すと、散歩嫌いのワンちゃんもいるのを気にする事は無いと言ってくれる。排泄は室内なので特に連れ出す必要も無いしとも思い、ゴミ出し時に10分程度抱いて連れ出す程度にしていた。
動物病院に行くと次々色んなワンちゃんが来るが、藍はそのワンちゃん達にはま、まったく関心を示さない。犬好きの飼い主さんが構ってくれても、愛想が無くて、呆れられてる様子が窺えるので申し訳ない。犬同士が挨拶を交わす様子は微笑ましいが、藍には、そんなそぶりも無い。散歩をさせて頻繁に犬同士遊ばせる事をしなかった事の弊害が出たのだろう。
病院の待合で藍を見た人から「おとなしい子やねえ」と言われる。でも…おとなしい…以前に体調が良くない事が理由なのを説明するのが億劫になる。病い気持ちの犬の飼い主なら分かり合える事もあるだろうけど…。藍には犬友達が居ないのは、私が藍以外の犬に接するのが、苦手な事が大きな原因でもある。
10 藍と抱っこ散歩
藍との生活が始まった頃、夫の目の病気が発覚した。シェリーとはドライブや泊りがけの旅も出来たけど、夫が長時間の運転が出来なくなり、藍と一緒の旅は1999年5月に山陰の旅のみになった。その頃、デジカメとパソコンの故障などで大切な写真データーを失った。唯一の藍の旅は城崎温泉丹後半島と間人岬~丹後半島城崎温泉だ。その記念旅は実母と一緒に行ったので、母と一緒に撮った写真が一枚のみ。
体が小さい為なのか外を歩くのを嫌がり面倒なので直ぐに抱いてしまう。近所の人に会うと「いつも抱っこやね」と言われ「抱っこ散歩」と命名。藍のお出掛けと言えば動物病院への通院になってしまった。歩くのは得意な私なので、
ゴミ出しや銀行などの用事の際に抱いて行く。もっと色んな所へ連れて行ってやりたいが、車の免許を持たない故、公共の乗り物も犬連れでは肩身が狭いし、食品を扱うお店等へは、到底連れて行けない。2kg足らずなので、バッグに入ってればバレないとは思うが…道徳的常識的に出来ない。
ペットOKの宿泊施設や店もあるようだけど、免許持たない身では実現出来ないし、近所にそんなお店も無いので諦めている。藍と近所を抱っこ散歩で我慢するしかない。
11 藍ありがとう
11歳と2カ月で亡くなった藍は半分は病気との闘いだった。平成22年4月26日に起こした発作のダメージが酷くて5月の連休は、ほぼ毎日病院に通った。食欲が無くなり体重は目に見えて減り毛は全く生えなくなり尻尾はまるで鼠のようにだった。排便排尿は垂れ流し状態なのでオムツを外せない。そのオムツは市販されている最小のSSでさえ大き過ぎて二重に巻けるほど体は骨と皮のみになった。それでも懸命に頑張って生きていた。650gで我が家に迎えて11年。元々小ぶりの子で最大でも2㎏だった子が、6月頃には、台所用秤に乗せると1kgを切った。痩せていく一方。てんかんの発作は一日に数えきれいほど、襲ってくる。それでも体重は1400g迄増えて、これで大丈夫と思ったけれど…。
平成22年7月11日、参議院選挙の投票日の午後4時頃に意識は無くなり、私の腕の中で静かに息を引き取った。私の両親も夫の母も、私たち子供に介護をさせることなく亡くなった。母は風呂場で急死するという悲しい別れだった。友人たちの多くは親の介護で今も大変な労力をしているので、私の両親は「子供孝行の親だ」と羨む。けど、後悔ばかりが残ってしまった。
親と一緒にしては申し訳ないが、病気の犬の介護も楽なものではない。言葉で表現できない犬ゆえ、察してやらないといけないので、余計に辛いものがあった。発作は夜でも起きるので、眼が離せなく、熟睡が出来なかった。病院へは、手作りのポシェットに藍を入れて自宅から30分往復、歩いて通った。歩くことに自信と楽しみがあったので苦にはならなかったが、病気の犬と知らない周囲の人に「いつも犬を抱いて歩いてはるね」と言われて説明するのも面倒で「散歩が嫌いな子やから」と答えていた。
仲の良い友には今でも「よく頑張ったね」と慰労の言葉が嬉しい。病気の犬をかかえて感じたのは犬も人間も同じだって事。犬も高齢になると介護が必要になる。親への介護が無かった分、藍の介護は誠心誠意尽くしたつもりでいる。親を介護しなくて良かったねって友に言われると、嫌味にさえ思った。でも私の気持ちは親に何もしてあげられなかった介護を藍に対して出来た事に安堵感がある。
藍の症状と付き合い、徐々に死期への覚悟が出来てくるのを学んだ。長女犬の時の様なペットレスにはならず、自身の心が吹っ切れた。突然逝ってしまう悔いよりも見守る事が出来たのは幸せだと思う。藍と過ごした大切な時間は私の宝物になった。
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