◆パペット◆第6回 by日向 霄 page 1/3
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「ジュリアン、食べ物を持ってきたわ」
二人はレベル6の迷路に開いた廃坑を隠れ家にしていた。使われなくなったトラップだ。レベル6の閉鎖性を守るためにトラップは次々に作られ、次々に捨てられていく。そうした捨てられたトラップの一つに、二人は身を隠していた。
「いつもすまない、あんたには感謝している」
マリエラの手からパン切れを受け取りながら、神妙な顔でジュリアンが言った。
「よして、そんな言い方。あたしも食べるんだもの。それに、少しは体を動かさないと美容に悪いでしょ?」
マリエラは笑って見せた。
この逃避行の間、マリエラは努めて明るく振る舞っていた。その笑顔がどれほどジュリアンを救っていることか―――。近頃はあまり悪夢にうなされることもなくなった。相変わらず殺しを続けているにもかかわらず。
彼女を守るためなら、と思う。彼女を守るためなら、喜んでこの手を血に染めよう。たとえ地獄に堕ちようとも、たとえ亡霊に苛まれようとも。
そう、マリエラに逢って、何故悪夢に苛まれていたかがわかった。守るべき者を持たずに闘うのは、不自然なことなのだ。今まで、ただ命じられるままに人を殺(あや)めてきた。理念という抽象的な理由に賛同しながらも、相手を殺さなければならぬという必然性が、彼にはなかった。自分の身を守るという理由さえ、言い訳にはならなかった。彼には自身の生きている意味が、生きていく理由が、よくわからなかったのだから。
今は、少なくともマリエラを守るために、彼女の笑顔を見、彼女の声を聞くために、生きていくことができる。ただ死への恐怖のために生き長らえるのでなく、生きていなければできないことのために明日も生きていたいと思った。
だがそれでもまだ、彼には何か自分自身にも説明のつけられない、奇妙な感覚がつきまとっていた。それはマリエラが最初に聞いた彼の言葉、夢にうなされ口走った、『違う』という一言に集約されていた。なにが違うのか? わからない。ただ、そう、強いていえば罠にかけられているという感じ。実験用の小動物が延々とコマを回し続けさせられるように、自分も知らずにコマを回させられているような、そんな―――。
「どうしたの?」
気がつくといつも、マリエラの澄んだ瞳が心配げに自分をのぞき込んでいる。
「ああ、何でもない。ちょっと、あんたのことをね」
「あたしのこと?」
「きれいだと思って」
「まあ、随分口がうまくなったわね」
マリエラは笑った。
こんなふうに追われながら、いつ殺されるかもわからない状況の中で笑えるのが、自分でも不思議だった。むしろ逃げ始めてからの方がよく笑っているのではないかと思うぐらいだ。
陽の昇らぬ地下世界には昼も夜もなく、あれから何日経っているのかはっきりとはわからない。一週間か十日か、せいぜい二週間ぐらいだろうか。もう何年も、二人で逃げ回っているような気がする。最初から、二人だったような気さえ。
ジュリアンがマリエラを守りたいと思うように、マリエラもまたジュリアンを守ってやりたいと思っていた。身を守るという意味では、マリエラはジュリアンに何もしてやれない。何もする必要がないほど、ジュリアンの殺しの腕は確かで、段々と意図的になっていく彼の殺しを、マリエラは複雑な想いで見ていた。
誰かを殺すたびに、ジュリアンの心も血を流すのだと、マリエラは知っていた。ジュリアンは傷つきやすく不安定で、危うかった。だからマリエラは微笑みかけた。生きていてもいいよと言う代わりに。
ジュリアンは生き始めた。
生きることは誰かを殺すこと。それは以前と変わらない。だが以前は、理由もわからず殺しを続ける殺人マシンだった。ただ命じられるままに。だが今は違う。少なくとも、追いすがる亡霊達に言うことができる。
俺はマリエラを守らなければならないんだ。
そう。その気持ちは嬉しいわ。誰かに守られているという感じ。父さんがいなくなってから、ううん、たぶん父さんがいた時から、もうずっとそんな感じとは縁がなかった。誰かが、命賭けで自分を守ってくれる―――。
でも。
ジュリアンには、人を殺してほしくない。いつか彼は、逆の意味での殺人マシンになりそうな気がする。あたしという大義名分のために、ジュリアンは傷つく心を喪っていくんじゃないか。あたしは、それが怖ろしい。
続き
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