◆パペット◆第33回 by日向 霄 page 3/3
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ムトーは窓から身を乗り出し、上を見上げた。今自分がいる建物を。
なくなっていた。
ポリスでも一、二を争う高層ビルの上三分の一ほどが、消え果ててしまっていた。
“消滅する”って、こういうことか。
ムトーは駆けだした。部屋の中も瓦礫だらけだ。その上をよろめきながら、ムトーは廊下に出た。ドアは手動で開いた。
廊下もまた損傷が激しい。壁や天井の一部が崩れ、粉塵がもうもうと舞っている。ムトーは非常階段を目指した。逃げまどっている人間の数はそれほど多くない。消滅した高層部にいた人間は逃げる暇などなかったろうし、下層の人間はとっとと外へ出てしまっているのだろう。ムトーがいたのは中層部。普段からそれほど人が多く詰めている階ではない。
そう言えば、“正義の盾”の本部は高層に位置していたはずだ。さっきの部屋は一般の会議室だった。一般と言ったって、もちろん俺達のような下っぱだけで使用することはできないのだが。もしゲーブルの執務室に通されていたら、今頃木っ端微塵になっていたところだ。
ムトーは懸命に階段を駆け降りた。メインコンピュータの鎮座する地下一階へ行くつもりだった。レベル1以上の、ポリスの頭脳とも言うべきコンピュータが“地下”にあるというのも考えてみれば皮肉な話だ。空間的位置の高い方が偉いなんて、結局幻想に過ぎない。
両手に手錠をはめられたままのムトーを見咎める者はいない。皆それどころではない。いつまた爆発が起きるかしれないのだ。大統領官邸ビルの崩壊は記憶に新しい。ただ外へ出るだけではダメだ。できるだけ遠くへ離れておかなければ。
退避命令は出ているのだろうか。命令を出す立場の者は生き残っているのだろうか。システムがダウンすれば、外部との連絡もつかない。
階段は永劫に続くかと思われた。塵芥が舞っている上に、空調もストップして酸素自体が足りない。暑い。両手の自由が利かないためにバランスが崩れ、何度も足を踏み外した。
意識が混濁して、自分が何故階段を降りていくのかわからなくなった。ジュリアンやレマンはどこへ行ったのだろう。何故自分は独りぼっちなのか。
――早く来い、ムトー。手遅れにならぬうちに。
誰かが俺を呼んでいる。
――早く来い。おまえが来るまで待っていてやる。
そうだ、誰かが待っているから、俺は走っているんだ。
「ムトー!」
よく知っている声が、彼の名を呼んだ。
階段の下、メインコンピュータルームの扉の前で、ジュリアンが待っていた。
「遅かったな」
言いながら、ジュリアンは銃で無造作にムトーの手錠を撃つ。
「ジュリアン、おまえ……」
その美しい、女のような顔を見て、ムトーの頭は急にはっきりした。俺がここまで駆けてきたのは、これが自爆なのかどうか確かめるためだった。『私は消滅する』と決めたコンピュータが公安もろとも心中しようとしているのか。
「よく、無事で」
ムトーの声は疲労にかすれている。倒れかかるように、ジュリアンの首を抱く。
「言ったろ、最後には俺達が勝つ」
ジュリアンの背後で、開くはずのない重い扉がゆっくりと開き始めていた。
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