アマ小説家の作品

◆パペット◆第29回 by日向 霄 page 3/3
 湖面に投げ入れた一つの石は、次々といくつもの波紋を生んでいく。一人の人生を弄べば、いくつもの人生が歪んでいく。その結果をすべて見通すなんて、神様でもなければ不可能だわ。
 マリエラは深いため息をついた。
「ごめんなさい、からかったりして。早く戻ってくるといいわね、ムトー」
 そう言って針仕事に戻ろうとするマリエラに、ユウリは戸惑いがちに話しかける。
「あたしは、ジュリアンが帰ってこなければいいなんて、そうは思ってないわよ」
「だから『ごめんなさい』よ。あたしはムトーのこと、戻ってこなければいいって思ったもの。あなたの気持ち、知ってるのに」
「二人は、一緒に出てったんだから、帰ってくる時も、やっぱり一緒なんじゃない?」
 一語一語確かめるようにゆっくりと、ユウリは言った。ユウリとて、何度も老人に尋ねた。老人の返事は決まっている。
「さぁどうだかな。だがこの場所を知って、帰りたいと思わぬ人間がいるとは、わしには思えんがね」
 他の子ども達は、相談相手にならない。ユウリほどムトーのことを気にかけていないし、むしろみんなマリエラのことばかり噂している。特に年長の男の子達はマリエラに気に入られようとして必死だ。
 嫉妬を覚えることもある。しかもムトーがいなくなる原因を作ったのはこの人の恋人だ。でも置いてきぼりにされた哀しみや不安を共有できるのも、この人しかいない。
「そうね。そうだといいわね」
 もしもどちらか一方しか帰ってこなければ……。
「おじいさんが、いつも言うでしょ。あなたがいるから、ジュリアンは帰ってくるって。でもムトーは、あたしのために帰ってくるってことはないし、ひょっとして地上に恋人がいるんだったらきっとその人といる方を選ぶよね。あたし、やっぱり、やっぱりムトーとは」
 もう逢えないのかな。
 急に喉が詰まって、声にならなかった。他の子がムトーのことを忘れてるように、あたしのことなんかムトーはもうすっかり忘れてるかもしれないんだ。
「あの、でもほら、さっきも言ったけどムトーって、あんまり女性にもてるタイプじゃないし、それに彼、ジュリアンもだけど、地上じゃお尋ね者だから」
 慌ててマリエラは言った。ユウリがそこまで頭を巡らしているとは思わなかった。毎晩色んな可能性を考えて寝付けないマリエラでも、ジュリアンに他の女ができるかもという心配はしたためしがない。ユウリには、『帰りを待つ不安』だけじゃなく、『片思い』の苦しみすらあるのだ。
 まったく、なんておませさん。こんなのんびりした“楽園”に育って、どこで男女関係なんか学ぶのかしら。そりゃあたしだって、男の人を想うことの何たるかを知ってたわけじゃなかったけど。そう、ジュリアンに出逢うまでは。
 誰もが憂いなく満たされている場所を“楽園”と呼ぶのなら、ここすらも“楽園”じゃないわね。あたし達の心は、こんなにも憂いで一杯だもの。
「あのね」
 涙のにじむ目でテーブルを睨みつけているユウリの顔をのぞき込むように、マリエラは言った。
「ジュリアンって、記憶がないのよ。自分が本当は誰なのか、昔のことを覚えてないの。だから、ジュリアンにもホントは恋人っていたかもしれない。その人のこと忘れたみたいに、あたしのことも忘れちゃうかもしれない。ムトーの考えじゃ、誰かがジュリアンを操ってて、あたしも、その誰かの都合のいいように少しの間ジュリアンを守ってただけかもしれないの。ムトーも、少なくともムトーがここに落ちたのは、誰かに企まれてのことだと思う。
 だけど、なんていうか、あなたがね、そういうふうにムトーを想ってるってことが、その誰かさんの計画を台無しにしちゃうんじゃないかって。だからって二人が無事戻ってくるかどうか、それはわからないけど、でもあなたの『好き』って気持ちはとても自由で、素敵で、きっと力があると思うのよ」
 うまく言えない。だけどムトー、あなただって、自分に恋してる少女のことを、『それも役目だから』なんて言ったりはしないでしょう?


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