◆パペット◆第25回 by日向 霄 page 3/3
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「お二人とも、昼食はお済みになりましたか?」
ハーヴェイが涼しい顔で入ってきた。相変わらずノックはなしだ。ちらとテレビの方に目をやり、満足そうにうなづく。
「地上では戦闘が始まっています。今はまだ公安が優位に立っていますが、ほどなく逆転するでしょう。あなたの演説が功を奏するはずです」
まるでハーヴェイの言葉を待っていたかのように、再びテレビからムトーの声が流れた。画像が乱れ、アナウンサーとムトーの声がだぶって聞こえてくる。
しかめっ面をしたムトーがスイッチを切るより先に、声は途絶えた。代わりにざーっという聞き苦しい雑音が流れ、灰色の画面の中で『しばらくお待ち下さい』の文字が何かに引っ張られるかのように右肩上がりで揺れている。
ムトーはテレビを消し、ハーヴェイに向き直った。
「市民を巻き添えにする気なのか?」
「いいえ。市民は自ら望んで闘うのです。多少の犠牲はいたしかたありません」
にこやかな微笑。心を痛めている様子は微塵もうかがえない。
「ここも安全ではなくなりました。場所を移っていただかなくてはなりません」
そう言ってハーヴェイが後ろを振り返ると、開け放たれたままのドアから若い女が姿を現した。
「同志サラがご案内します」
女が会釈する。ショートカットの黒髪と意志の強そうな瞳がボーイッシュな印象を与える。どこかで会ったような気がして、ムトーは記憶を探った。『女神の天秤』の資料にあったのだろうか。思い出せない。
「断る権利はないわけ?」
ジュリアンの問いに、ハーヴェイは大きくうなずいて見せて。
「お二人にはまだまだご活躍していただかなければなりません。こんなところで命を落とされては困ります」
ご活躍だと? 演説の次は一体何をやらせる気だ?
ムトーはいかにも気が進まぬという風情で立ち上がった。好むと好まざるとに関わらず、既に俺はこいつらの片棒を担いでしまった。今更俺は無関係だと言っても通じない。それにこいつの言うとおり、まだ死ぬわけにはいかないんだ。
サラ一人に導かれて、ジュリアンとムトーは隠れ家を後にした。外はレベル3。秘密の抜け道でも通るのかと思ったがそうではない。堂々と正規の通路を連れだって歩く。よれよれの作業着を着て労働者を装い、顔や髪も汚しているが、治安部隊に見つかったら終わりだ。
「この方がかえって安全なんです」
サラもまた、あちこち擦り切れた大きすぎる作業着に身を包んでいる。遠目には少年のように見えるだろう。
三人の周囲には、同じような格好の労働者が大勢たむろしている。本来なら地上で土木作業や危険な肉体労働をしているはずの者が、この内乱のおかげで職にあぶれて暇を持て余しているのだ。カードゲームに興じる大人達の周りを子どもが走り回っている。ところどころに固まって軒を連ねている商店には煌々と灯りがともり、焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。
入り組んだ街路の辻々に小銃を持った兵士がいることを除けば、のどかと言ってもいい風景だ。本当に地上では戦闘が始まっているのだろうか? ここにはそんな緊張感は感じられない。レベル3でこれなら、レベル4以下はまったく変わりない日常を営んでいることだろう。
地上と地下との間に横たわる断絶を今更のように感じ、ムトーは思った。
地上など、もはや必要ないのかもしれない。
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