アマ小説家の作品

◆パペット◆第16回 by日向 霄 page 3/3
 どちらが幸せだろう? ここでジュリアンを待ち続けるのと、あの隠れ家で還らぬ父を待つのと。
 心地よいそよ風が頬を濡らした涙を乾かしていく。老人が家の中に戻っていく気配がした。マリエラの心がひとまずは落ち着いたと踏んだのだろう。
 ひとしきり彼方を眺めてから、マリエラもまたゆっくりと家の中へ戻った。
 朝食の席は既に片づけられ、子どもたちは朝の掃除に取りかかっていた。
 この子達にとっては、いつもと変わらない朝なんだわ。繰り返される同じ毎日。なにげなく過ぎていく平穏で幸福な日常。ジュリアンが私に与えようとしたもの。
 ムトーのいた部屋を、ユウリが片づけているのが見えた。シーツを取り替え、ベッドを整えている。振り返った彼女と、目があった。
「帰ってくるかもしれないから」
 相変わらず怒ったような口調で、ユウリは言った。
「帰ってきて、あたしが怠けてたって思われたら癪だから」
 彼女は取り替えたシーツとムトーのシャツを抱えてマリエラの前に立った。
 そして急に泣き出しそうな顔になり、小さな声で言った。
「帰ってくるわよね?」
 マリエラは目頭が熱くなるのを覚えた。せっかく乾いたばかりなのに、また涙があふれそうになる。
 何も言えずに、マリエラはユウリを抱きしめた。この子はもう前を向いている。待ちぼうけの時をただやり過ごすのでなく、一生懸命に待とうとしている。そうすることで必死に信じようと。
「当たり前じゃない。私達が待ってるんだから」
 待ってさえいれば。
 信じてさえいれば。
「私も、ジュリアンの部屋、掃除しとかなきゃね」
 ユウリの瞳一杯にたまった涙を拭ってやりながら、自分に言い聞かせるようにマリエラは言った。
 今朝までジュリアンが眠っていた部屋に足を踏み入れる。ベッドは乱れたままだ。
 枕元に腰を下ろし、既に冷たくなっているシーツに頬を押しつける。
「夢じゃないのよね。本当に、あなたはいたのよね」
 その問いかけに答えるように、一筋の髪の毛がマリエラの視線を捉えた。漆黒の、やわらかな髪。
「ジュリアン」
 シーツにぬくもりが戻ってくる。それは確かにジュリアンが今朝までこのベッドに寝ていたことの証であり、二人が出逢ったことの証であり、そしてそれが決して不幸なことではなかったことの証だった。
 そうよ、そんなの決まってるわ。レベル6で父を待っているより、ここでジュリアンを待っている方がずっと幸せだって。出逢わなければ別れることもなかったけど、それでもジュリアンに出逢えて、ジュリアンを好きになって、ジュリアンに守られて。
 ジュリアンはきっと戻ってくる。なぜか、そんな確信が芽生えてきた。
 ジュリアンはきっと戻ってくる。たとえ誰が何を仕組もうと、私がこうして待っている以上、きっと―――。


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