アマ小説家の作品

◆パペット◆第15回 by日向 霄 page 1/3
 それすらも、誰かの思うつぼなのかもしれない。
 マリエラの言葉が呪文のように頭の中を回る。呪文というより、呪いの言葉といった方が正確かもしれない。あとからあとから際限のない疑念を生み出し、何も信じられなくさせる。自分自身さえも。
 とても眠れそうになかった。
 それなのに、ここでは長い夜をつぶす手段などないのだ。徹夜して読むような本もなければ、TVもない。酒もなければゲームもギャンブルもなく、語り合える友も抱きしめあえる恋人もいない。ただ次の日の労働に備えるために休養する、それだけの夜。偽りの夜なのに、なんと原始の夜なのだろう。
 ときおり眠りにおちては悪夢にさいなまれるうち、ゆっくりと、だが確実に時計の針が進んでいく。だが本当に、時はその針の動きの通り、歩みを進めているのだろうか?
 目の前にジュリアンの美しい、女のような顔が浮かんだ時、ムトーはまた悪夢が始まったのだと思った。
「おい」
 その声を、夢ではない生身の自分の耳が捉えていることを、しばらくは把握できない。
「起きろ」
 ムトーは目をしばたいた。
「ああ」
 意味のない、しわがれた声とともに、ムトーは体を起こす。無性に体がだるい。夢の名残りがベールとなって体を覆っているみたいだ。
「朝か―――」
 訊くともなく訊いた言葉に、思いがけずジュリアンが答えた。
「いや、まだ夜は明けてない」
「そうか」
「悪かったな、早くに起こして」
 言葉とは裏腹に、ジュリアンの口調はぞんざいだ。
「いや、どうせろくに眠れなかった。おまえこそ、もういいのか、具合は」
「肉体的にはな。精神的には、いつも最悪だ。……マリエラが眠ってるうちに、あんたと話がしたかった」
「またひきつけを起こすのがオチじゃないのか?」
 ムトーの言葉に、ジュリアンの口元がゆがむ。寂しげな笑い。
「俺には思い出せない。あんたの知りたがってるようなことは何も。マリエラに出逢うまでの記憶は、ひどく曖昧で、記憶がないと言ってもいいくらいだ。ただ大勢の人間を殺したという意識だけがある。たぶん、それは事実だろう。少なくとも、俺には殺し屋としての技術が備わってる。だが誰を、何のために殺したのか、思い出そうとすると警報が鳴る。頭の中で」
 淡々とした、ジュリアンの言葉。ムトーに話しかけるというよりは、ただ紙に書かれた事柄を読み上げているだけのようだ。
「記憶を操作されているのか、それともよほどひどいことがあって、自分で記憶を断ち切ってしまったか、どっちかだろうな」
 ムトーとしてはもちろん、前者であった方が都合がいい。ムトーの仮説を裏付けるためには。
「どっちだったとしても、俺にはそれほど重要なことじゃないんだ。どっちにしたって、俺がジュリアン=バレルとして追われてることに変わりはないし、死ぬまで逃げ続けなきゃならないことに違いはない。俺のことはいいんだ。死のうがどうしようが。ただマリエラだけは、マリエラにだけは生きていてほしいんだ」
 最後になってようやく言葉に感情が表れた。言葉だけではない、その眼には強い苦渋の色が浮かんでいる。


続き

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