◆パペット◆第11回 by日向 霄 page 3/3
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「そうかもしれませんね。でも、人は贅沢な生き物じゃないですか。食べ物と屋根があるだけでは満足できない。生きることに意味を求めてしまう生き物なんです。ただ次の卵を孵すためだけに生きて、その役目が終わったらあっさり死んでいくというわけにはいかない。知恵の木の実を食べて楽園を追われたというのは、きっと真実なんでしょう」
「だからこそ人は楽園を夢見るものだと思うのだがな。まぁいい。おまえさんも、いずれここを夢見るようになるさ。戻りたいとな。退屈な平和こそが素晴らしいのだと。そう気づくのが遅すぎないよう祈っとるよ」
「どうも。でも私は木の実を食べたイヴに感謝していますよ」
かつて『聖なる』とされた物語が、神々が死に絶えた後も時を超えて生き残っているわけが、わかったような気がした。
しばらくして、夕暮れが迫ってきた。
「きれいだねぇ」
幼い子供達が、刻々と色を変えていく空を見上げて目を輝かせている。ここには夕焼けさえもが存在した。その光景が美しければ美しいほど、何故そんなことが可能なのかと疑念が膨らんでゆく。美しい物をただ美しい物として受け入れられる子供達が、うらやましくもあった。
「きれいねぇ」
その同じ夕焼けを呆けたように見上げているのは、子供達だけではなかった。
「地上の空は、こんな感じなのか?」
男に尋ねられて、女は首を振る。
「ううん、地上の空はこんなにきれいじゃないわ。空だけじゃない、何もかも、こんなに美しいことはないわ」
女の声にはうっとりした陶酔がにじんでいる。
夕映えの花畑の向こうに、小さな建物が見えた。細めた男の眼に、動く影が映る。
「人がいる」
男の言葉に、女の表情が曇る。怯えの色。
その人影を、最初ムトーは何とも思わなかった。離れた場所で作業していた少年達が戻ってきたのだろうと、背を向けて小屋に入ろうとして。
振り向いたのは、何か予感があったのだろうか。
だんだん大きくなってくる影は、男と女の二人連れだった。
「誰か来たよー」
老人を呼ぶ子供の声が、その二人が部外者であることを告げている。ここの住人であるにはいくらか年がいきすぎ、ここの住人であるには少し――少し、何だというのだろう。この奇妙な圧力は。
女を背にかばうようにして近づいてくる男を、ムトーは知っていた。まだ顔もが見分けられないうちから、ムトーにはそれが誰だかわかった。
ありえざる地下の夕映えに全身を朱に染めたその男こそは。
「ジュリアン=バレル―――」
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