昭和十年前後の何年間か、郡中小学校では小学3〜4年生以上の男子生徒を対象に寒夜の胆試し会が行われていました。
肝試しの行事は何故か赤穂浪士討ち入り日の夜と決められていましたが、全員参加を強制する行事でもなかった様です。高等科の生徒が専ら脅し役で、6年生以下の生意気盛りの悪ガキが試される側でした。
当時の高等小学校生徒は、今の中学1〜2年生です。身長や体位は現在の中学生に一歩を譲るとしても、精神的な社会性それに体力面では、比較にならない程大人寄りの兄さん姉さんだったと思います。
当日の夕方6時頃、夜の帳も下りた暗がりを、怖さ半分に期待半分の面々が次々と校庭に集ってきます。女子生徒の居ない校庭は、鼻垂れ水を服の袖口で思いっきりしゃくり拭き上げる坊主頭の集合です。その中何分の一かは、襟巻きを巻き込んだ着物姿で、足元は草履・八つ折れといった出で立ちです。
暗がりの校庭に突然、教頭先生らしいだみ声が響きわたります。
「集れ!…こっちへー 集れ!」
運動場に高等科生徒の姿はありません。高等科生徒は夫々の胆試し現場で、肝おどし?準備の真っ最中なのでしょう。
「良いかっ!… 行き先は八幡さんの森ぞー」
「ひえーっ どがいしょー おとろしー」
「静かにー 静かに 静かにせんか ええかー 八幡さんのー石段上がったら正面にー お賽銭箱が在ろー 皆な知っとるなー」
「そこにY先生とK先生が待ってなさる! 先生は脅しゃせんから安心せー! 先生からお参りした証拠の手形を貰え! 貰ろたら八幡さんに頭一つ下げてー…下げとかな罰当たるぞ! 帰りは裏の石段を降りて帰れ!」
「降りたら 田圃の中の道 何時も通っとろがー 鳥居を出た前の道じゃー あれ通って学校まで戻って来い!
「途中の右手はお墓ぞー 夜は怖いぞ― おとろしいぞー 胆潰さんと、手形は証拠じゃきん 手から離さんように 大事に持って帰れ!」
五人づつに組み分けされた子達は、数分おきに促されて正門を出ます。
八幡さんへの往き来の道は、目を瞑っても行ける程の手慣れたコースですが、夜道は子達の不安を掻きたてずには置きません。
梢川の土手辺りの暗がりで、太目の笹竹を護身用みたいに手にする者も居ます。
八幡さんの鳥居辺りまではガヤガヤ…ワイワイ、胆試しの道行きだなどはすっかり忘れて、お互いに夜道との出会いを愉しみ始めます。
その当時、先生から大目玉を食らった、うろ覚えのご禁制艶歌?まで、クスクス笑いながら一節〜二節飛び出す始末です。
「 お嬢さん ブランコ遊びは 良いけれど
昇り 降りの その時に チラりっと 見えます ・・・・・ 」
世相は軍国化・独裁化の危険な道をひたすら歩み始めた頃です。何も知らない・知らされない子達は、意外と健全で人間性豊かな精神世界で、自由を謳歌していたのかも知れません。
夜道の道行も、気が付くともう八幡さんの鳥居下です。鳥居を潜り、両側を深い森に囲まれた五十数段の石段を前にして、坊主頭は漸く今夜の八幡詣での意味を思い出すのです。
「… こゝ辺で 出るじゃろか…」
「何ぞ! どの辺ぞ ねやっ!」
「そげな事 分るもんか …」
普段昇り慣れた石段も、真っ暗がりでは思うように足元が定まらない。前に出発した筈の仲間の気配も無く、しーんと静まりかえる不気味さが子達を包みます。
「… 淋しいなー ホラッ!」
「脅すなよっ! でー …」
K先生の問いかけに、坊主頭は誰も答えようともしない。
「な―んも 無かったねゃ」
そんな答えで先生をがっかりさせても…など、子供は子供なりに気を使うのです。
「ほら ホラ! 通行手形持ってかんのかー? 裏の石段降りて帰るんぞ! 気ーつけて! こけるな! 怪我するぞ! コラッ! 拝んで行かんか!」
気の所為か、手形を渡すY先生にK先生二人とも、何か笑いをかみ殺しているように思えた。
先程から少しづつ身体も冷えて来た子達は、貰った手形を手にピョコンと神さんに一礼するなり、意味不明の一言に気合を込め、漆黒の裏手石段へと駈け向います。
ここまで書きながら、僅かに半世紀余りを経たに過ぎない今の小学校の状況に、つい考え込んでしまいます。その余りの落差にです。
現在でも主に夏休みの頃、夜の胆試し行事を実施する小学校は在るようです。でも、PTA関係の方々の事前の準備、行事中の安全対策・対応などへの手当は大変だと聞きます。
真冬の夜、小学上級生とは言っても、昔も今も少しも変わりません。数人づつに組み分けして、数分置きに鎮守の森に送り出す。子達がたどる距離も決して中途半端ではありません。
ぶらぶら歩けば、昼間でもニ・三十分は優に掛かります。先生方も何人かは、途中に出動していたかとは思いますが、父兄会(PTA)は誰一人として係わる事はありません。小学校が行う生徒達の、単なる寒夜の胆試し道行くらい…と、軽く受け流していたと思われます。
行事の安全対策は、現在ではとても考えられない程不充分だったと思います。とんでもない行事計画かも知れません。でもこれは日常至極当り前という感覚でした。そんな時代です。
危ない・怪我でもしたら・事故に遇ったら・若しもの責任は誰が?などは、町中の殆んど誰もが、あまり気にも留めなかった…その必要も無かったのでしょう。
考えればよく平気でこんな行事をやっていたものです。この町・村に住む人達・子供達の、家族集団みたいなお互いの普段着姿が、平気でそうさせたのかも知れません。
地域を包む日常生活の一体感が無ければ…こんな気軽な催しの企画など考えられません。
当時の郡中町は?と聞かれたら、小学四年生・十歳のT少年は戸惑い気味に、多分こんな答えをしたかもしれません。
「町中の人は大概皆な知っとるよ! 皆の家の中もなー 大概入ったことあらい! 町の端から端まで、表の道も裏の路地も、村の道も、何本もある谷上山の登り道も全部、警察・役場や郵便局の中も中の人も、学校の先生の家も…僕ら皆な知っとらい…なー!」
鎮守の森は、町・村の築山みたい?な森、身近な存在でした。
「今年の胆だめしは八幡さんでやるんか? 腰抜かすな! 怪我すなや! 済んだら何ぞえゝもん呉れるじゃろ! 奮発して貰えよ!」
子達が毎日のように訪れる遊び場の森だから、手馴れたものです。本殿横手をすり抜け裏手の石段を、微かな明りが覗く下の方へ トン・トン・トン…トン・トン・トン…
ベタッ・・・ ぺたっ・・・
「出た― 出たぞー 何ぞー …」
しゅっ・・・ ぺたっ・・・
「うゎー 冷めたー うゎー …」
「血・ちー おー … うゎー …」
ガキ猿達はたまらず転がり落ちます。何時もの遊びで身につけた反射動作も、暗がりでは咄嗟の間に合いません。悲鳴を残して転げ落ちに近い状態で駈け降ります。
「あゝ おとろしー おとろしーがな…」
「ひどいなー ひどすぎるー!」
「いかん…いかん! ありゃ いかんぞな! なー Tちゃん 」
ハーハー…息詰まらせながらも、一人また一人大した怪我もなしに寄ってきます。冷や汗を何とか拭き取って少し虚ろに励まし合い、気を取り直して町の明かりを目指します。
それでも、途中で交わす会話は
「帰ったら なん貰えるんぞ?」
「言うとったねゃ 今年は義士饅じゃと!」
「太鼓饅じゃろが」
「義士饅も太鼓饅も、ついじゃろが!」
「ひぎり焼き呉れんかのー 分厚て美味いがい!」
大分身体も冷え込んできた、皆なの足取りは次第に早まるが、あれほど気にしてた農道右手の墓地の事など、皆なすっかり忘れてしまっていた。
「だー…ギヤー… うわゎー…でぃぇたー… 」
突如、言葉にならない子達の絶叫が寒空を切り裂きます。
右手墓地の墓石から身を乗り出した白衣…淡いローソク明かりの傍で陰にこもった呟き…
"うらめ…うらーー…" "ザワ…ザワ・ザザ…"
摺れ軋るような音、一瞬の静寂、軋る、呟き…子達は引きつった顔で、無言の疾走に息を切らします。
高等小学校生の兄ちゃん達の肝試し仕掛けの準備は、昼間から着々進行していました。
「おい! 蒟蒻屋で確りした大きめの蒟蒻な…括る紐、太めの荷造り用の紐でええか…それと…細手の竹棹にバケツか…バケツの水忘れんとけよ!」
「竹棹は余り細すぎたらいかんぞ…蒟蒻ぶらついて…顔に当てにくいきんなっ」
「お墓のゆうれん(幽霊)役は、誰がするんぞ? まー 四〜五人は要ろぞい! 羽織る着物は白っぽいの借りとけよ!汚れるきん 安もんでえーえー 」
「ローソクとマッチ、それに小笹も要るぞ! 10本くらいはなー 足らんか?」
「… ええかー 皆な 今日は本気で 肝だますぞー … 」
「…近頃ちょっと偉そうにしとるきん 腰抜かさしちゃれ!… 」
年の瀬も近い義士討ち入りの日、何故この日に?の理由も定かでない師走の寒夜、小学高学年組の胆試しの会は、こうして2時間余りでお開きを迎えます。
寒夜の行事に参加した子達の想いは唯一つ… 天下無二焼き のゲット!
トーキョーケーキの じつえんせんでん
しかいせんでんのため あじみははタダです
東京ケーキの 実演宣伝
斯界?(世界?)宣伝の爲 味見は無料です
店主兼売子のおいさんが、威勢良く "天下無二焼き" の実演宣伝販売を始めたのは、この年の夏も終りに近い頃だった気がします。場所は梢川が暗渠になる伊予鉄郡中駅前、川沿い南側に新装開店したモダンな小さなお店です。"天下無二焼き"を焼き上げる様は、通りからも見通しです。
郡中港線が未通の当時ですから、郡中小学校への通学路みたいな通りで、汽車の乗降客の目にもつき易く申し分ない立地でした。
記憶と現実がどうも整合しそうにない不思議が一つだけあります。
前記の " トーキョーケーキの… " で始まる宣伝文句ですが、これが繰り返し・繰り返し、辺り一面に飽きることなく流れ続けていました。
テープレコーダーも無い時代、拡声器さえ?個人で手持ちするのは、かなり難しい頃です。おいさんが、焼きながら声を出し続けるのも無理だろうし…でも繰り返し流れ続けていたあの宣伝文句と声のトーンだけは、T少年の記憶から消えることはないのです。
ナレーションを流す宣伝販売自体が大変珍しかった当時です。突如みたいにお店が出現し、それ程長くは続け?なかったモダンな店舗、その近代的な小規模多量焼き上げ機…
まさか!…まさか!…と思う反面、数十年のタイムスリップ空間!が、あそこに出現していたのかも?…の想像を100%否定もし辛いT少年なのです。
天下無二焼は回転焼きのどら焼き版といった代物です。回転焼は町の通称にはなく、義士饅とか時にはも少し高級に "日切り焼き" とか言っていました。
半世紀有半の昔、当時としては驚くほど近代的な焼き菓子機を店頭に備え、現代の対面製造・販売の先駆みたいな方式の店舗が、本当に突如出現したのです。
少なくも町の子供には、あの日あの時出現した、現実のメルヘン世界の凄い驚きでした。
小学校からの帰途、その店先の柱に寄りかかるようにして、天下無二焼きの焼き上がり過程に見とれていました。
初めて目にした半自動のどら焼き機、あっ気にとられた子達の驚きの眼、見とれる姿…でも、近代の幕開けと言うには、少しばかり早すぎたみたいだし、異質なものには違いなかったけれど…
天井から吊るした長方形の容器が、原料の小麦粉素地ペースト容れです。容器の下側にはニ・三十個の丸い流し口が設けられ、おいさんのレバー操作で、生地ペーストが下の焼き鉄板の上に一斉に流れ出ます。
生地は焼き鉄板上を一列置きに埋めていきます。略焼きあがった列の生地に、天井の別の容器に容れた餡子が、先程の素地ペーストに似た要領で一斉に押し出されます。
餡子詰めが終わると、隣り合った列の焼き上がり素地を、今度は千枚通しを持ったおいさんが、手で素早く餡子詰め素地に被せていきます。
半自動のどら焼き多量生産機といった代物でした。子供心にそれ以上機械のカラクリは理解出来ず終いでした。
高度文明のお菓子の國に迷いこんだみたいなT少年には、半ば夢み心地の時空間でした。
「皆んなー 無事帰ったかー 」
「寒い中 よぉー 頑張ったなー 」
「頑張り賃は ちゃーんと あるきんなー 身体ぬくもるぞー 」
「せんせー 頑張り賃 今年は何呉れるんぞな? 」
「天下無二焼き! 二つづつじゃー! 温もるぞ! 」
" 天下無二焼き "の店は、それ程長く町に逗留しなかった様です。あれほど子達の関心を呼んだ異質のモダン店舗だったのに…
姿を消した時の記憶は全くありません。朝夕の通学路に面したお店だったのに…子達の話題にも上らないまま消えて行きました。
あれは間違いなく、近未来の時間空間を、気まぐれで一瞬だけこの地に設定した
Time slip space の異星人
の仕業に違いない!
天下無二焼きは、文字通り二度とは味わえない無二の味を、この地の子達に暫時味わわせて呉れました… ?