コラム

社員の化学日記 −第44話 「マニアってます」−

マニア,オタクなどある一分野にのみ興味をもって専門知識を有する人間を指していう言葉がある。

普通は趣味,趣向を対象とする言葉であるが,前職の化学系専門学校講師時代に化学マニア,化学オタクと学生からよく言われていた。 自分たち(私だけではなく同僚の講師陣も)大学等で専門に勉強してきたことを授業や実習でやっていただけで,そんな自覚はさらさらなかった。

先日,夜10時頃からやっているテレビ番組の1コーナーでいろんなマニアの方の特集をやっていた。 たい焼き魚拓収集マニア,エスカレーターマニア,バスのボタン(車内にあって、降りたい時に押す「次止まります」ボタン)マニアなどなど。変わったマニアの方々がいらっしゃるものである。

ただ,たい焼きマニアでもいろいろあるようで,いろんなたい焼きを食べ歩く人,食べる前に写真を撮る人,魚拓に残す人, 自分で満足のいくたい焼きをつくり続ける人(ここまでいくと,ただのたい焼き屋さん?)などこだわりが異なるようだ。

自分は化学の中でも分析化学という分野が専門である。分析化学という分野は,工業製品などの人工物や水,空気,土壌,動植物体などの天然物中にどのような化学物質がどれだけ含まれるかを調べるための学問。 そう,化学マニアの中のでも調べることが好きな人のくくりに入るのだろう。 逆に,無機化学や有機化学という分野を専門とする人たちは,主に化学物質の合成を主分野とするいわゆる”ものづくり”をくくりとする化学マニアである。

これもテレビ番組のネタであるが,果物のリンゴに針金とイヤホンを刺すことによってラジオを聴くことができるか試してみようというもの。昔の某情報雑誌に掲載されていたらしいが,記事を書いた記者もすでに故人となり,どのような原理かも全く不明で,とにかくやってみるしかないといった番組の展開だった。

ここで”調べる”くくりの化学マニアの血が騒ぐのである。 もし,本当にリンゴに針金を指してラジオにできるのならば,リンゴの中のどんな成分が影響しているのか。 そもそもリンゴの果肉中の化学成分にはどんなものがあり,それらを分析するにはどんな前処理が必要でどんな化学分析法が適しているか。

考えずにはいられないのだ。

もともとラジオ波から音声信号を取り出すには電流を一方向にだけ流す「整流作用」を持つ電機部品(いわゆる「ダイオード」というやつ。二極真空管や半導体ダイオードは整流作用をもつ)に電気信号を通す必要があるが,このような役割をもつ化学物質がリンゴの中に存在するか。

方鉛鉱(主成分:硫化鉛),黄銅鉱(硫化銅),黄鉄鉱(硫化鉄)の結晶の整流作用を利用したのが「鉱石ラジオ」。 これらの鉱石の代わりにゲルマニウムダイオードを用いたのが「ゲルマニウムラジオ」。 いずれも微弱な電流でも整流することができるので電源を用いない「無電源ラジオ」といわれるらしい。

鉱石の結晶にしてもダイオードなどの電気部品にしても,その結晶構造または電気部品としてのマクロ的構造はある一定の方向性を持っていてその方向性が整流作用に大きく影響している。 リンゴを包丁で切ると見た目はどう見ても均一な果肉で(中には完熟して芯の周りに蜜がたまっているものもあるが),一定の方向性があるようには思えない。 とすると,電気的な整流作用は果肉中の成分の化学的性質のみに頼ることになる。 そんな役割ができる化学物質はリンゴの中に含まれるのか。

調べたくてたまらない。

番組では結局,リンゴでラジオを聴くことはできなかったが,アドバイザーとして登場していた工業高校の物理の先生は,リンゴでラジオを聴くこと自体を完全否定していなかった。 番組でやっていたのは「聴くことができない」ことを実証する実験ではなく,かつ記事を掲載した記者に話を聞くこともできないのでその根拠,原理も不明であるからだ。

この物理の先生もマニア(化学マニアではなく,物理マニア)であり,マニア魂に火がついてしまったのかもしれない。 最後には故人である記者と話がしたいのでイタコ(東北の霊山・恐山の霊媒師)を呼んできてほしいとリクエストするくらい。 物理マニアであるのに非科学的な発想かもしれないが,それくらい追求・解明したいという気持ちが強いのだろう。

分野は異なるが,同じマニアとして,この先生の気持ちがよくわかるのである。

【道修町博士】

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