「頑張った者が報われる社会」は望ましい社会なのか?【後編】


(本稿は【前編】からの続きです。)

 【前編】の最後に述べたように、確かに本記事のタイトルは、企業が給与水準を総体として引き下げたいという真の理由を隠すために“悪用”されたスローガンとして登場したものに過ぎません。

 ですが、もしこのスローガンがそれだけのことであったなら、わざわざ前後2編に分けた記事の表題になんか選んだりしませんw

 実際は、もっと根深いものがあります。

 さて…、このサイトを読みに来た皆さんは、今回の大阪都構想への住民投票でそれが否決されたことや、米大統領選でトランプが敗れたことについてどのように受け取っておられるでしょうか?

 このサイトは、他の記事も含めて「経済主権国家というものは、貨幣は経済規模に合わせて必要に応じて貨幣を増刷して流通量を適性量に保つ権利と義務を持つ」だから「財政赤字を問題にすべきではない。むしろ国家財政は赤字でない方が不健全だ」という主張(いわゆる反緊縮あるいは積極財政派と呼ばれている主張)で構成されていますから、このテの主張に賛同する方々が多いのではないかと思います。

 このテの主張をする人たちは、まだ国民の多数派にはなっておらず、少数派、いやそれどころかノイズ扱いされているというのが現状で、それでも有名どころとしては、経産省の現役官僚で反緊縮のわかりやすい著書を多数書いておられる中野剛志さん、経済評論家で政治経済ブログでいつも上位に君臨する新世紀のビッグブラザーへを運営する三橋貴明さん、それから京都大学教授で、安倍内閣で官房参与をやっていた藤井聡さん、それから政治家では自由民主党衆議院議員安藤裕さんと、同じく自由民主党参議院議員西田昌司さん、そして野党では国民民主党代表衆議院議員玉木雄一郎さんれいわ新選組代表の山本太郎さん、そして、学者では立命館大学教授の松尾匡さん、そして関西学院大学教授の朴勝俊さんなどがいます。

 こうして列挙すると、いかにも大勢いるように見えるかもしれませんが、逆の緊縮派の有名人、政治家、学者はそれこそここで挙げた人数の数倍〜数十倍はいるわけで、多勢に無勢で、反緊縮派というのはとても主流からは程遠い、というのが現状です。

 これら反緊縮の人達は、思想的には右派から左派まで様々ですが、それでも傾向としては反グローバリズム反新自由主義である、という共通点があります。

 これ、ちょっと考えると不思議だと思いませんか?

 だって、反緊縮派というのは、変動相場制下の自国に発行権がある不換貨幣について、その正しい仕組みを理解している人たちのことを指す言葉であって、それ以上でも以下でもありません。

 これに対して反グローバリズムというのは、国家という国民を保護する仕組みを、国境を越えて儲けたい企業の利益のために毀損すべきではないという主張のことですから、これは正しいとか正しくないとかの問題じゃなくて、一つの思想、一つのイデオロギーですよね?

 そしてしかも思想的に左右が混じってすらいるのに、何で反緊縮という事実を知っているというだけで必ず反グローバリズムという特定のイデオロギーを支持するべき蓋然性があるんでしょう?

 それは、グローバリズムというものが、オカネに対する強欲が暴走したものに他ならないという事実と関係があります。

 そして、反緊縮派の人達というのは、実は反緊縮という名の貨幣論が単なる事実だから支持しているのではないと思うんです。

 恐らく、逆に反緊縮派の人達というのは、オカネに関する人間の強欲に嫌気がさしているとか、直接彼らの強欲から被害や迷惑を被っている、もしくは強欲な人たちの資力に対してルサンチマンを持っている人たちなのだと思います。

 この価値観こそが反グローバリズムであり、反新自由主義と呼ばれているものそのものですよね?

 つまり、反緊縮派の人達というのは、反緊縮が事実だから支持するようになったのではなくて、もともとの土台として反グローバリズムの思想を持っていて、そこに反緊縮という名の貨幣論がこの思想を正当化できる格好の事実であったからこそ、その反緊縮貨幣論に飛びついたのです!

 それじゃあ反グローバリズムの思想を持てば必ず反緊縮になるのか、と言えば、そうとは限りません。

 例えば、チャンネル桜などの天皇という國體を重んじる保守論客の人達は、企業の利益のために国家を蔑ろにするグローバリズムが大嫌いです。

 ところが、反緊縮というのは、確かに単なる事実ではあるのですが、その事実を理解するプロセスにおいて、国家財政については赤字と黒字の意味が家計の場合と真逆になるなど、一般的な常識と真反対の要素の壁を乗り越えなければならないため、反グローバリズムの思想を持っているからといって、必ずしも反緊縮の支持者になるとは限りません。

 つまりはこういうことです↓

 反緊縮から論理的・必然的な結果として反グローバリズムが導き出されるわけではありません。

 かと言って、逆に反グローバリズムなら反緊縮になるというわけでもありません。

 にもかかわらず、反緊縮の人はすべからく反グローバリズムを主張しているのはなぜか?

 それは、反緊縮派の人というのは、反緊縮の貨幣論という、常識を180度ひっくり返すような高い壁を克服しなければ理解できない理論を敢えて理解しようと努力した人たちであり、そのような努力を敢えてするためにはよほど強いインセンティブが必要で、憎きグローバリズムを理論的に批判し葬りたいという強烈な意思を持っていること自体がそのインセンティブになっているということなんじゃないか、と思うのです。

 さて、ここで大阪都構想への住民投票米国の大統領選の話題に移ります。

 前者は日本のバリバリの新自由主義地域政党である大阪維新の会が打ち出した、“府と市による二重行政を廃して行政を効率化する”ことを錦の御旗に大阪市という政令指定都市を廃止して東京のように複数の特別区に置き換える、という政策への賛否を問うものです。

 この大阪都構想という具体的政策の内容はともかくとして、維新が目論んでいるのが新自由主義政策の推進ですから、この投票が実質的にグローバリズムと反グローバリズムの対決であったことは間違いありません。

 一方、米国大統領選挙の方ですが、これが従来のような単なる民主党対共和党という“二大政党によるリベラル対保守の対決”などというような形式的なものでもなければ、“トランプという下品な差別主義者を退場させるための闘いだ〜”などという幼稚なポリコレに毒された表層的なものでもないことは言うまでもありません(…と書きましたが、大半の国内外のマスコミやネットも含めた識者による言説は大半がこのどちらかの論調ですから軽薄過ぎていやになりますねw)。

 トランプ大統領というのは、共和党の人であるという以前に三橋貴明さんなどが反グローバリズムの同義語として挙げるナショナリズムの人です。

 恐らくはDS(=Deep State)が世界を牛耳り始めて以来、彼らに魂を売らず、ナショナリストを貫いた歴代唯一の米国大統領だと言っても過言でないのではないでしょうか。ですから、ポリコレに毒されたマスコミ、特に戦後のGHQによるWGIP(=War Guilt Information Program)に洗脳された日本のマスコミはナショナリズムを敵認定していますから、ナショナリストのトランプはそれだけで悪人扱いです。

 そういうわけで、今回の米国大統領選も、その本質はグローバリズムと反グローバリズムの対決である、ということになります。

 ↑ここまでの理解は、先入観を持たない冷静な見方のできる人にとっては、いわば常識とも言える見解です。

 さて、問題はここからです。

 保守系の反グローバリズムの人達の中には、世界のグローバリストというのは、世界中の国家を己の利益のために自由に操ろうとするDSの支配下というか手下であり、今回の投票を世界の1%のDSに支配されたグローバリストグローバリズムに搾取されるのを嫌う残り99%の一般人との闘いのように見做す人もいます。

 しかし、今回の大阪都構想の投票結果も、米国大統領選も、投票結果は非常に伯仲しており、ほぼフィフティー・フィフティーという結果になりました。

 もし、グローバル派、すなわち大阪都構想では賛成に、米国大統領選ではバーデンに投票した人たちがすべて1%のDSに支配された人だとしたら、この1%の人達って、随分強力な影響力を及ぼすことができたものだな、と思いませんか?

 投票結果の属性別投票先を分析すると、大阪都構想の場合、地域ではタワーマンションの立ち並ぶ富裕層が住む地域、年代では30代から40代の年齢層賛成が多く、米国大統領選では高所得者の多い大都市部バーデン支持が多い、という特徴があります。新自由主義者反新自由主義者の対立はこのような地域差や年齢による違いを見ると、単なるDS支配下のマスコミによる洗脳が原因とは言い難いところがあります。

 なぜならTVの影響を受けやすいという高齢者ではなく、TVも新聞も見ない・読まないで、ネットを駆使する若年層が逆にグローバリズム賛成者が多いことはマスコミによる洗脳の結果とは見做しにくいこと、また富裕層にグローバリズム賛成者が多いことも、特にマスコミの洗脳とは関係なさそうだからです。

 特に米国のような貧富の差が激しい国で豊かになった人たちというのは、自分達の努力によって豊かになれたのだということを自己のアイデンティティーにしている人が多いし、30〜40代というのは仕事でも責任あるポジションを与えられ、自分の努力でステータスを得られていると自負する意識が強い。

 この意識こそが、まさに表題の「頑張った者が報われるべきだ」という思想に繋がることは容易に理解で想像できます。

 このような思想は、低成長期にこそ“真価”を発揮します。

 なぜなら高度成長期やバブル時代には、それこそ皆が豊かであり、そんな中で相対的にいくら仕事で“成功”して多少収入が他人より多くても、自分“だけ”の取柄を自覚するのが難しく、自己の存在意義を見出すのは難しい。

 ところが、低成長の“世知辛い”世の中になればなるほど、周りは生活が苦しい中、“努力して成功した”自分は彼らと違って豊かな生活ができている、というのは、それだけで自己の存在意識を十分に味わうことができるからです。

 一方、世の中の技術が進歩すればするほど、便利な道具を安価に入手することが容易になってきます。

 このことは、逆に言えば、世の中が進歩すれば進歩するほど、自分の存在意義を「他者に比べて如何に優れているか」という尺度で評価している人は、努力した自分達“だけ”が豊かにならないと気が済まなくなり、結果として、安価な商品ですら一般人にはなかなか手に入らないほど一般人の所得が少ないような、できるだけ“世知辛い世の中”の方を好むことになります(こういった人たちが、マクロに見れば自分達の首を絞めるはずの消費増税やら財政赤字の解消を主張して緊縮財政による世知辛い世の中を支持するのも、これで説明が付きそうです)。

 これは、新自由主義者の定義が“1%の選ばれし上級国民による99%の国民の支配”をこよなく愛する人々のことであるとするならば、自己の存在意義を「他者との比較優位」に置こうとする人たちはすべて新自由主義者である、ということになります。

 これに対して、それじゃあ新自由主義な人は、すべて、他者との比較なんか気にしない、達観した高尚な精神の持ち主か、と言うと、そんなことは無いと思います。

 やはり他者との比較で、逆に自分が劣位にあると自覚してルサンチマンに陥るか、あるいは皆が豊かでないのは政治の問題であると見做して、これを社会問題に転嫁し、それが新自由主義という思想に行き着く人が多いと思うのです。

 国家財政をゼロサムで積極財政を行わず、緊縮財政を続ければ、世の中のオカネの増減はゼロサム

 だからというわけではないですが、そういう集団的な潜在意識が働くのもあるのでしょう。世の中で自分を他者と比べて優位と考える人と劣位と考える人の割合もほぼゼロサムになるので、これに合わせて新自由主義者反新自由主義者の割合もフィフティー・フィフティーゼロサムになる…。

 以上が、今回の大阪都構想に対する投票も、米国大統領選の投票も伯仲した結果になった理由だ、と私は考えています。

 そうなると、投票結果をグローバリストに都合のいい結果にしたいDSの面々にとってはまことに都合がよいわけですね。

 投票の結果や事前に、気付かないようにちょっと細工をするだけで、すぐに過半数を獲得することができるのですから。

 で、今回の米国大統領選では、まさにDSがそのような細工を実力行使する、という挙に出た。

 前回のクリントンとトランプの対決では、上記のようにやはり両者は伯仲していたのだが、DS側は単に油断して対策を立てなかったために負けただけのことに過ぎず、今回は前回の失敗を“反省”してしっかり“対策”を立てたのが“奏功”した、というだけのことなのでしょう。

 これに対し、大阪都構想の場合は、日本人はその倫理観の強さで、米国の場合ほど露骨な不正選挙はできないので、前回と今回の2回続けて僅差でグローバリスト側が負けましたが、以上の理屈からすると、この住民投票は何回やってもほぼフィフティー・フィフティーになるから、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるじゃないけれど、否決されても否決されてもしつこくしつこく何回でも住民投票を行えば、確率的にいつかは賛成が過半数を超えることでしょう。

 最後に今回の投票結果に対する私の感想を述べましょう。

 まず米国の大統領選の結果ですが、これは、今回の選挙でトランプが敗れたのは結果的には良かったのではないかと思っています。

 なぜなら、上で述べたように、米国では親グローバリズムと反グローバリズムの世論は常に拮抗していますし、今後もずっと拮抗したままの状態が続くでしょう。

 なので、仮に今回トランプが勝っていたとしても、ちょっとしたイチャモンによる選挙のやり直しやスキャンダルの捏造と裁判所の買収などのようなやり方で、いつでもグローバリスト側に政権を奪い返される情勢にあった。

 これに対して日本側では安倍総理が謎の退陣をして、安倍総理よりめちゃめちゃ腹黒いけれども安倍総理より対DS対応では腹が座っていると思われる菅さんが総理の座に就いて、事前にバイデン有利との情報を得ていたと思われる中で、対DS対策が万全なうちにDSサイドの大統領が正式に決まった方が対策が立てやすい。

 それに、安倍-トランプ体制は、DS側にとって今までのような総理や大統領のように自由に操ることができない目の上のタンコブのコンビであったため、DS側の何らかの裏工作で両方を退陣させることに成功したわけだけれど、逆に反グローバリスト側から見ても、今までにないほど強力な安倍-トランプ体制のもとでも、それに最大限抵抗するDSの妨害が強すぎて硬直状態にあったわけで、このまま安倍-トランプ体制を続けても何も進展しない可能性があった。

 ここはDS側の作戦に便乗するわけではないけれど、一旦新しい体制のもとでこちらも新たな作戦を立てて臨んだ方が、硬直した局面を打開できる可能性がある。ただし失敗すれば逆にDS側の思う壺、というリスクもあるけれど、局面が硬直して身動きが取れないよりはマシだ、という考え方もできるわけです。

 一方の大阪都構想については、米国がこんな混乱した情勢の中で、大阪までグローバリストに好きなようにされたら反グローバリスト側は対応しきれない。

 なので、グローバリスト側が牙を吹く大阪市の廃止は次回(5年後?)までちょっと先送り。

 繰り返しますが、グローバリスト反グローバリスト、あるいは新自由主義者反新自由主義者の対立は、世論がほぼ拮抗した情勢がこの先もずっと続くと思います。

 もっと噛み砕いて言うと、今の人類が「自己の存在意義」「他者との比較優位」に置く、いや、もっと一般化すると、「個々の人間が、他人の作った評価の中で優劣を競うという呪縛」が続く限り、この新自由主義者反新自由主義者拮抗した対立は未来永劫続くものと思われるのです。

 そして、そもそも反グローバリスト側が正義であるという考え方もおかしい

 そもそも反グローバリストとグローバリストが対立して、民主主義に基づく正式な手続きを経るとはいえ、一方が勝って他方を押さえこんで支配するということだから、これは国民の半数に残りの半数の価値観を押し付けて支配するということに他ならない。

 結局は、ほとんどの国民が実は「他者の作った価値観に縛られて、その中で優劣を競っている」という呪いに縛られているということに気付いて目覚め、この意識から解放されない限り、無益な闘争が続く、ということでしかないと思うのですね。

 今までだって、実はこのような呪縛はあったのだけれど、それを利用したDSによる人間支配が見えなかったから人々が気付かなかっただけで、昨今の情報化社会の進展で、ようやくこのような事実が目に見えるようになってきた、ということだと思うのです。

 ここで表題の「頑張った者…」の話しに戻ると、この冒頭の「頑張る」って、「他者の作った価値観」「優位」を掴むために「頑張る」から苦しいのであって、そんな他者の作った価値観から解放されて、どうせ頑張るなら自分が真に意味があると自分で感じ、納得したことのために頑張ればよい。

 そういうわけで、それぞれの国民がこのような政治の混乱の中でどのように行動するのがよいのか、ということは、それこそ個々人が政治情勢の変動に一喜一憂するのではなく、そのような意味での政治への依存を止め、自らの頭で考えて、価値があると自分で真に思えたことをするために生きればよい。

 ちょっと大仰な言い方にはなりますが、人生なんて、それに尽きるのではないでしょうか


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