「頑張った者が報われる社会」は望ましい社会なのか?【前編】


 今この記事を、いわゆる大阪都構想への賛否への住民投票が終わり、続いて米国の大統領選の結果が決まった時点(2020年11月9日)で書いています。

 この2つの投票結果とこの記事のタイトルには、一見関係がなさそうに見えますが、実は大いに関係があります

 まず、これらを結び付ける前に、現在大きな争点となっているグローバリズムについて考えてみることにしましょう。

 グローバリズム、あるいはニアリー・イコールで新自由主義という言葉がありますが、これらの概念はいつから唱えられるようになったのでしょうか?

 それは、戦後の復興に伴う高度成長で、国家の経済成長がこのまま未来永劫続くのかな〜と思っていたら、ある時期を境に成長が止まり、人々が働けど働けど企業の収益が伸びず、労働者の所得も伸び悩む、という現象が生じたころに唱えられ始めたといってよいでしょう。

 日本では、戦後の高度成長期が終わり、更にバブル景気もバブルの崩壊で終了した1990年代頃から。

 そして外国でも英国でサッチャーさんが登場した頃。米国では日本との貿易戦争で米国が悲鳴を上げ始めた、レーガン大統領の頃からですかね。

 とにかく、いくら国民が頑張って生産活動に勤しんでも、それまでのように景気が良くならない、なぜなんだろう?で、解決するにはどうしたらいいんだろう???

…ということで人々が原因を考えあぐねていたとき、

 「これはきっと人々が怠け始めたからだ!そういえば消費者を保護するためという名目で様々な規制があるが、これらに胡坐をかいて努力をサボっている連中のせいで経済が伸び悩んでいるんだ!きっとそうだ!そうに違いない!」

…というわけで、各国で次々に規制が緩和され、新規参入者が待ってましたとばかりに既存の業界に低価格を武器に乗り込んできて、ついでに海外に進出する際、外国の法律も

 「参入の邪魔だ、こんな法律は廃止しろ!」

 と露骨に内政干渉まがいの圧力をかけて、国境をも“破壊”し始めた、これがグローバリズムの発端であったと思うのです。

 で、このグローバリズムによって、経済成長の鈍化は無事解消したのか?

 この答は、国によって違うのですね。

 英国米国についてはYesでしょう。

 でも、これらの国では、経済が鈍化した理由は、そもそも労働者が怠けていたからではなかった。産業革命以降の先進国の経済の牽引車だった製造業が、ドイツや日本に品質面でお株を奪われて、自分たちが作ったモノが売れなくなったから。

 そこで英国や米国は何に活路を見出したかというと、とにかく国境の壁を失くして企業活動の垣根を無くし、企業の多国籍化、株の自由な売買による買収活動を自由化することにより、カネの力にモノを言わせて、投資や投機で食っていこうという方向に方針転換した。

 つまり製造業から金融業へのシフトです。

 しかし金融業は所詮は虚業。リーマンショックを境に再び実体経済に回帰する。

 とは言っても、実体経済の中身は、それまでの白モノ製造業からソフトウェアを中心とする情報産業へと変化し、しかもソフトウェアは物理的な製品とは比べ物にならないほどアクセスが容易なため、瞬く間に世界中のシェアを奪い、世界で寡占状態を作り上げて世界中から利益を吸い上げる…。いわゆるGAFAの出現です。

 それでは我が日本では?

 本当は日本の経済成長が鈍化した理由は英国や米国とは違うのに、思考が外国のマネしかできない日本は、ここで大きな勘違いをして、英国や米国と同じ原因だと考えてしまったのですね。

 英国や米国で製造業が衰退したのはドイツや日本に品質で負けたからなのですが、これを日本は品質で負けるということは品質向上の努力をサボったということだという風に翻訳して、英米は確かに労働者が怠けているから経済成長が鈍化したのだと解釈したわけですね。

 で、日本では規制に守られて努力を怠っている既得権者の利権を剥奪するという改革路線に邁進したわけですね。この象徴が小泉改革であり、公営事業の民営化なわけです。

 そして、このとき出てきたスローガンが、表題の頑張った者が報われる社会です。

 一見すると、このスローガンは正しいように見えてしまう。

 でも、よく考えてみてください。

 もし本当にこれが真理なんだったら、別に経済成長が鈍化してから取って付けたように言い始めなくても、経済成長しているときから正しいはずじゃないですか?

 そもそもこのようなスローガンがことさら主張され出したということは、経済成長が鈍化する前には報われていた人が、同じ努力をしても報われなくなってきたという事実の現れではないでしょうか?

 つまり、同じ努力をしているのに報われなくなってきたということなんですね。

 でも、これが英国や米国だったらわかるんですよ。

 ドイツや日本に品質競争で負けたからですよね。

 でも、当の日本では違うでしょ?

 競争で負けるも何も、逆に競争に勝った当人じゃないですか?

 競争に勝った方の国が、何で努力不足で経済成長が鈍化したんですか?

 おかしいでしょwww?

 じゃあ、日本の場合の経済成長鈍化の真の原因は?

 日本の場合、経済の鈍化は二段階に分けて考える必要があるんですね。

 まず、第一弾は、1970年代前半の、オイルショックによるもの。

 そして第二弾は、1990年頃のバブルの崩壊によるもの。

 でもね、オイルショックとかバブルの崩壊とか言ってみたけれど、これはシンボリックな出来事だからネーミングのためにダシにしてるだけで、これらが真の原因でないことはハッキリしています。

 なぜなら、オイルショックもバブルの崩壊も一時的な出来事で、しばらくして収まったのに、経済成長は元に戻らなかったから。

 じゃあ、第一弾の経済減速の真の原因は何か?

 次のグラフを見てみてください↓

 冷蔵庫・洗濯機・(白黒)テレビといった、いわゆる三種の神器と呼ばれた白物家電が1970年代の前半にほぼ100%の家庭に普及しきっているでしょ?

 え?何で家電の普及率が100%になったことと経済成長鈍化が関係あるの?

 それは、別稿(1)「税金(国税)は国家予算の財源ではない」ことを理解しよう!の第4節でも解説したように、製造業の主力商品である耐久財が普及し尽すと、売上が鈍化し、従って設備投資が要らなくなり、従って企業による銀行からの借入が激減し、銀行からの借金による信用創造で増えていた貨幣(預金貨幣)が増えなくなり、経済規模に比べて貨幣量が少なすぎる現象、すなわちデフレ経済に突入したからなんですね。

 つまり、本当は企業が借金をしなくなり、信用創造が激減したのだから、政府が代わりにオカネを刷って増やさなければならないのに、国家財政を家計と同一視するという勘違いをしてオカネを刷って増やさなかったから、経済成長が止まっちゃったんですよ、日本は。

 ちなみに第二弾の経済減速の真の原因も、中身は違いますが、本質は同じです。

 第一弾と第二弾の中間は、例のバブル景気の時代で、これは、今まで企業の設備投資に回っていた資本が行き場を失って不動産などに回った結果、供給量が限られている不動産は値が吊り上がって資産価値が急騰。

 当時は株にしろ不動産にしろ、価格は上昇する一方で下落することはあり得ないという右肩上がり信仰があったので、バブルは膨れ上がる一方で、皆が資産が増えて金持ちになった気になって散財して景気が良かった。

 ところが不動産の価格も、それ以上値が上がったら誰も取引できない、という限界点まで到達すると、買い手がいなくなり、一挙に取引価格をベースにした評価額は暴落し、あっという間にバブルは崩壊し、その結果、右肩上がり信仰それ自体が消滅したため、この右肩上がり信仰に支えられて生じていたバブル時代は二度と再び到来することは無かった…。

 それでですね、日本における真の問題は、この2度にわたる経済成長の鈍化ではないんです。

 真の問題点は、これだけ貨幣のカラクリが解明されているハズなのに、未だに国家財政を家計と同一視して、国が貨幣を刷って増やすということをしないばかりか、逆にプライマリーバランス・ゼロを目指すという正しい方向性とは真逆の政策を続けていることなんです。

 このように国家が貨幣の増刷をためらって、貨幣不足のデフレ経済が続くとどうなるか?

 企業は科学技術と機械化の進展で生産供給能力が極限まで上昇し、すべての消費者の潜在需要を満たすだけ生産する能力があるにもかかわらず、貨幣が足りないという誠にショーモナイ理由で、消費者がその有り余る商品やサービスを購入することができない…。

 で、貨幣が足りないので消費者は商品が購入できず、従って企業も売り上げが伸びず、従って給料を減らさざるを得なくなり、だからといって、ただ一律に給料を減らしたんでは従業員から文句が出る。

 そこで、企業は表題のような頑張った者が報われるぞ〜、というお題目の下で従来以上に差をつけた能力給を導入して傾斜配分を行い、頑張り方次第で給料が減らないで済むし、あわよくば増やすこともできるんだよ〜、と従業員をそそのかして給与全体の原資不足を取り繕うわけですね。

 以上で、ようやくこの記事の表題の欺瞞を暴くところまで来ました。

 じゃあこの表題と昨今の2つの投票結果とどういう関係があるのか、という話ですが、それは【後編】で詳述します。


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