9月


10日
トマス・シデナム(シドナム)(Thomas Sydenham)(1624〜1689)イギリスの内科医

オックスフォードのモードリンカレッジに学んだのち、兄弟とともに議会党について国王チャールズ1世軍と戦かいました。戦後復学して医学を学び、トマス・クレートンからヒポクラテスの説を聞き傾倒します。1656年結婚してロンドンで開業しました。

彼は初めて医療にアヘンチンキを使い、貧血に鉄を、またマラリア治療の特効薬としてキナ皮を発見し、普及させました。

また、最初に、猩紅熱 (しょうこうねつ) やヒステリー、小舞踏病について記述した最初の人でもありました。

医学においては診断および治療における態度と方法とを、理論的な学説からひきはなして考え、空論よりは実務を重視し、本や定説よりも患者を詳細に観察することを治療の方針とし、臨床現場における観察を重視する、今日的な病気観察の類型論を確立しました。

そのため、一生王立医師会員に推挙されず、52歳になって、ようやくケンブリッジ大学から学位を贈られました。17世紀最大の実地医家で、イギリスのヒポクラテスといわれました。
ヒポクラテス
紀元前五世紀から四世紀の古代ギリシアの医者。経験的知識に基づく医術を主張し、医道の基礎を確立しました。「医学の父」と呼ばれ、 医師の心構えを述べた「ヒポクラテスの誓い」をはじめ医学に関する多くの 著作を残しました。 彼のおかげで、医学はそれまでの巫術的な治療法や独断的な教条になりかねない哲学から独立した一つの学となったと考えられています。
ヒポクラテスの誓い

 『医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。
頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。
純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。
結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。
いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷のちがいを考慮しない。
医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。
この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。』
一人の素晴らしい道化師の登場は、薬をいっぱい積んできた二十頭のロバの到着よりも、町中の人々を健康にする。


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