8月


21日
浜田彦蔵(1837〜1897)幕末に活躍した通訳、貿易商

兵庫県の船頭の息子に生まれました。1850年「栄力丸」に乗り込み江戸を出航しましたが、遠州灘で遭難してしまいます。その後52日間もの間漂流しましたが、アメリカ船「オークランド」号に救助されて、翌年2月サンフランシスコに上陸しています。

その後は海員生活や学校生活をしていましたが、1858年カトリック信者になってアメリカに帰化しからはジョセフ・ヒコと改名して、日系アメリカ人第1号となりました。

1859(安政6)年 T.ハリス公使に伴われ、通訳として神奈川に帰着。アメリカ彦蔵、ヒコダ唐人ともいわれました。しかし、攘夷派の志士に命を狙われるようになり、再び渡米します。その後、南北戦争に遭遇し、再度帰国、貿易業を営なみました。

そして、1864年6月日本最初の民間新聞「海外新聞」(当初は「新聞紙」といい、翌年5月に改題して木版印刷になっています)を創刊し、「新聞の父」と言われています。

また、当時の有力者、伊藤博文や桂小五郎とも交流があり、当時の日米交渉に大きな役割を果たしたことで知られています。しかし、その後は事業に失敗し、通訳や大蔵省勤務などで世を過したそうです。
彼はアメリカに辿り着き、アメリカの学校に入り、英語を覚えてゆきましたが「男子」をボヲヤ(boy)、「女子」をゲロ(girl)というように英語を覚えたということです。
浜田彦蔵は、南北戦争直前のアメリカの風景風俗を「漂流記」という書物で紹介しています。その中には、プロレス(ボクシング?)の紹介もありました。

「アメリカには角力もあり、また日本にこれなくはケンカ渡世のものなり。これは日本の鶏舎の女のごとく、力を極めて互いに血をそむにいたるまで組み合い、打ち合い、はなはだしきは死に至るものもあり。見物人双方より掛金をなして勝負を楽しみとするな
り」


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