6月


7日
ポール・ゴーガン(ゴーギャン)(Paul Gauguin)(1848〜1903) フランス 画家

パリに生まれましたが、彼が3歳の時、ルイ・ナポレオンのクーデターによる迫害を恐れた一家は、裕福な親類を頼ってペルーのリマに逃れました。この異国の地で、彼は幻想的で、恵まれた子供時代を過ごしました。

しかし、父が亡くなり、1855年にフランスに帰って小学校に通い、17歳で商船の見習い船員になりました。

1871年母の死によって海への望みを捨て、パリに帰って株式取引店の店員になり、家庭をもって日曜画家として絵を描いていましたが、1883年、画家になる決心をして店をやめ、家族とも別れています。

その後、マルチニク島に渡ったり、画家ゴッホと南フランスのアルルで共同生活をはじめ絵に熱中し、印象派の技法を捨てて、純色の広い色面を用いる総合主義を始め、象徴主義の文学者たちに高く評価されました。

やがて「天使と格闘するヤコブ」「黄色いキリスト」などの傑作を描いた。南洋人の原始性にあこがれて、1891年にタヒチ島に渡り、「タヒチの女」など明るく強い陽光の下に輝く色彩で女達の生活を描きました。

後いったん、パリに戻りましたが、腐敗したヨーロッパ社会にあきあきしていたゴーガンは、タヒチに移り住み、さらに、ドミニク島に移り、「海辺の騎手」などの、人間の存在意味を深く問いただす多くの作品を制作し、そこで亡くなりました。
ゴッホとの関係

ゴッホは、1888年に南仏プロヴァンスへ向けて旅立ち、芸術家の集団生活を夢見、アルルに「黄色い家」のスタジオを借り、ゴーガンに参加を呼びかけました。プロヴァンス地方の明るい色彩と強い光に感化されて、独自の力強い技法で次から次へと制作していきました。その年の10月、ゴーガンはついにやって来ました。9週間彼とゴーガンは共に制作し芸術に関して議論をしますが、ついに、二人の間に亀裂が生じ、12月、彼は精神に異常をきたし、ゴーガンをかみそりで脅し、しまいには自分の左耳の一部を切り落としてしまいました。彼はアルルの病院へ収容され1889年の1月まで入院しました。

6月


7日
ボアソナード

(1825〜1910)  

フランスの法学者

バンセンヌで生まれました。パリ大学で法学博士号取得しグルノーブル及びパリの両大学の助教授となり、パリ大学教授となりました。

その後、明治6年に、日本政府に招聘されて来日して以来明治28年まで20年余り、日本の立法事業と法学教育に尽くしました。司法省顧問として明治13年の旧刑法や、明治23年の旧民法は彼が起草しています。

しかし、旧民法の施行をめぐって、日本の学者の間で、特に相続などの条文が日本の民族習慣に合わないと反対意見が出て論争を巻き起こし、施行断行を主張する断行派(梅謙次郎)との間に激しい論争が繰広げられました(民法典論争)。延期派の穂積八束は「民法出デテ忠孝亡ブ」と論じ、結局彼の起草した民法は、帝国議会で施行延期となってしまいました。

彼は、司法省法学校、明治法律学校教授をつとめ、フランスの法律学および自然法思想を講じ、日本の立法事業ならびに法学教育に大きな足跡を残し、明治28年に帰国しました。

民法については、結局彼の帰国後、明治31年にドイツ民法にならった修正が加えられて「明治民法」が施行されています。彼が起草した旧民法は全体としてフランス民法に近く、彼が関与しなかったといわれる親族相続に関する部分も原案は進歩的だったのですが、法律取調委員会および元老院の審議の過程で保守化されていったそうです。
彼の、民法を断行するべきだと説いた断行派の中心人物に、梅健次郎がいますが、彼の誕生日も6月7日なのです。

梅謙次郎(うめけんじろう)

(1860〜1910)

明治時代の代表的私法学者。松江市灘町で生まれました。司法省法学校卒業し、明治23年東京大学教授となり、民法典論争における断行派の代表的人物として活動しました。その後、法典調査会委員となり、民法、商法、不動産登記法等を立案した1人です。著書には「商法義解」「民法要義」「民法原理」「最近判例批評」等があります。
ボアソナードの草案が批判された理由として、「妻や未成年の子供に完全な権利能力を認めていた。」「賃借権も所有権と同様、物件として扱って地主の権利を脅かすおそれがある。」ということが言われていました、それに対して断行派は「家長権は封建の遺物である。」と反対していました。

結局は明治31年、戸主権重視の新民法施行されてしまいました。この新しい民法では、
戸主権を絶対化し、父権や親権が強く、家父長的な家族制度を維持する役割を果たし、家族の居所指定権、結婚同意権、未成年者の親権を持つなど戸主権が強化されましたが。逆に妻は法律上の権利能力を欠く存在とされ、単独で法律行為が行えない等と、ボアソナードの草案とは全く異なったものになってしまっています。


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