3月


5日
メルカトル(1512〜1594)地図学者

 フランドルのルプルモンドに生まれました。彼はルーヴァン大学で地図学者のジェンマ・フィリジウスについて学び、科学器具制作者の予備測量士としての実務的な経験を積みました。若い頃の業績を買われて、カール5世の宮廷に出入りするようになりましたが、プロテスタント信仰に対する圧迫が次第に強まったので、1552年にドイツのラインラント地方に移り住みまし。同地のデュースブルグに仕事場を設けて定住し、64年にはユーリヒ、クレーフェ、ベルク等の公国宮廷付き地図学者となりました。
 彼は、大洋でもポルトラノ海図のように、コンパスだけで航海できないものだろうかと考えました。地図の上に目的地までの直線を引き、その角度に船の進行方向を常に合わせるだけですむように地図を描くことができれば、遭難も減るにちがいないと考えました。結局、彼が導き出した方法は、円筒図法をベースにして、緯線間隔を緯線の拡大率に合わせて徐々に広げていくことでした。1569年この画期的な投影法を用いた世界図は「航海者に最適の新世界地図」と題され、遠洋航海の安全を目的としていました。
 彼は、1585年から1589年にかけて、新しい情報をできる限り取り入れた地図帳を出版しました。高緯度での極端な拡大のためか、理解されるまでにしばらく時間がかかりましたが、コンパスによる航海が可能であることがわかると、徐々に航海者の間で支持を得ていきました。近代以降、ほとんどの海図がメルカトル図法で描かれるようになりました。
 メルカトルの没した翌年の1595年、ついに107図からなる全世界地図帳が完成しました。表紙にはギリシア神話の天空を支える巨人が描かれ、表題はその名をとって『アトラス』と名付けられました。その後『アトラス』は地図帳の代名詞となりました。
ポルトラノ
13世紀には、海上交易が盛んなヴェネチアやジェノバでは、船乗りや旅行者から情報を収集し、海図を作製して船乗りに売る、地図制作者が誕生しました。「ポルトラノ」とよばれるこれらの海図では、地中海付近だけを描いていたため、投影法や経緯線は取り入れられていませんでしたが、海岸線の形状と、距離や角度は正確に描かれていました。科学的であることよりも、とにかく安全に航海できることだけを考えて作られた実用的な地図でした
ポルトラノ海図のころ地図は羊皮紙に手書きされたものでした。12世紀に中国から製紙技術が伝えられても、痛みやすいためにまだ羊皮紙が中心でした。1454年グーテンベルクが印刷術を発明しても、地図は活字のようにはいかないので、しばらくは手書きの時代が続きました。地図はとても貴重なものだったのです。16世紀になると木版や銅版彫刻による印刷がはじまります。銅版にニードルで彫刻し、墨を塗り、プレス機によって型押し印刷するのです。しかし印刷でできるのは黒1色だけです。このあと絵師たちが絵の具を使って彩色するのですから、地図が高価になるのは当然です。印刷技術を導入したといっても大量生産はできなかったのです。
メルカトル以前にも「メルカトル式投影法」を試みた人がいましたが、メルカトルこそ投影法が考案されるきっかけとなった問題に関して、その解決に地図作製の技量を傾けた最初の人物でした。その問題とは、ロクソドーム(等角航路線)を直線として航海地図に記入することです。経度の頂点は両極で一点に集中しますが、もし一定の方位を持つ線が一定の角度で経線と交差するように記入できれば、各線は平面地図もしくは海図上では平行線となるはずです。この要請を満たすのは、赤道から両極に至るまで、それぞれ経度の長さを、経緯間の距離に比例して長くすることです。こうして各部分の形状を変えることなく、ロクソドームを直線で記入することが出来るのです。
しかし、これには世界地図全体がひずむという犠牲が避けられません。つまり、赤道から両極に向かうにつれ面積が極端に増加してしまいます。従ってメルカトル投影法による地図上では、オーストラリアやニュージーランド等高緯度にある陸地は、見かけ上は巨大な陸塊になってしまうのです。
「地図」を意味する英単語にはいくつかあります。
  ・map(マップ)
   1枚ものの地図、とくに地域図を意味します。“map out”といえば“計画を立てる”の意味です。
  ・atlas(アトラス)
   地図帳を意味します。世界地図帳だけでなく国内の地図帳や、道路地図帳にも使われます。
  ・chart(チャート)
   海図や航空路線図を意味します。図表の意味もあります。
  ・globe(グローブ)
   地球、あるいは地球儀を意味します。地球儀は厳密には、terrestrial globe といいます。

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