1月 31日 |
フランツ・ペーター・シューベルト (1797〜1828) 「毎朝、私は数時間曲を書きます。一曲が仕上がると直ちに次の曲に取りかかります」 オーストリア、作曲家、「歌曲の王」 音楽の都ウィーンの郊外リヒテンタールで音楽愛好家の貧しい小学校長の4男として生まれました、父や兄から音楽を学び、11歳の時王立神学校の学寮に入り礼拝堂の少年歌手となります(後のウィーン少年合唱団)。16歳で変声期を向かえ、学寮を 去り、3年間父親の学校で教師となります。 この頃、すでに作曲も始めていました。18歳の時には1年間に歌曲「魔王」(詩はゲーテ)「野ばら」等、150曲もの歌曲を書いています。1820年最初のオペラ「ふた子」が完成。名が知られるようになりました。内気で素朴で誠実な彼の所には、多くの良い友人が集まり(ショーバー、フォーグル)、私的なサークル「シューベルティアーデ」(彼の作品だけを演奏する会)も生まれました。 1822年、尊敬するベートーベンと面会、ウェーバーとも知り合います。創作力は旺盛で、連作歌曲「美しい水車小屋の娘」「未完成交響曲」等が次々生まれますが、健康を害し、郊外に転地療養しますが、生活は苦しく、不規則な生活のため、ますます体を悪くしてしまいます。 1828年初めて自作発表演奏会を開いて成功を収めますが、31歳の若さでこの世を去りました。彼の希望によりベーリング墓地のベートーベンの墓のそばに葬られました。(ベートーベンを非常に尊敬しており、葬儀の時に棺を肩に乗せ、墓地まで歩いたと言われています) ドイツ、ロマン派初期の大家であり、後世に及ぼした影響は大きく、短い生涯の間に600曲以上の歌曲を残し「歌曲の王」と呼ばれ、死後高く評価されました。歌詞として選ばれたのは、ゲーテ、シルラー、ハイネ等です。 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」 歌 曲 「子守唄」「野ばら」 その他 「未完成交響曲」「ます」ピアノ「軍隊行進曲」 |
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シューベルトの日記より 本当の友人を持つ者は幸せである。 しかし、本当の友人である妻を持つ者は、もっと幸せである。 (シューベルトは、短い一生を独身で通しました、シューベルトは身長も低く(153センチ) 小太りで、 ヘアースタイルを気にせず 強度の近視で黒ぶちのメガネをかけており、残念ながら、ハンサムとは言えなかったようです。) |
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ショーバーとフォーグル ショーバーは裕福な家の生まれで、多彩な知識の持ち主で、友としてシューベルトを援助しました。また、フォーグルは有名な宮廷歌手で、シューベルトの 作品やシューベルトを多くの貴族に紹介しています。彼は友人にはたいへん恵まれていて、その他にも多くの友人が、シューベルトの人柄と才能にほれ込み、シューベルトを支えました。シューベルトの作品には友達と騒ぎながら作曲されたものも多く、安レストランのメニューカードの裏に友人が5線をひき、そこへ「魔王」のスケッチが描かれたというエピソードもあるそうです。 |
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