12月


13日
ハインリヒ・ハイネ(Heinlich Heine)

(1797年〜1856年)

なじかは知らねど心わびて、昔のつたえはそぞろ身にしむ。

ドイツの詩人

ライン川のほとりのデュッセルドルフで貧しいユダヤ人の子に生まれました。伯父の手に引き取られ、その二人の娘に恋して、早くも失恋の悲しみを知ったといわれています。伯父の援助でボン大学に入り法律を学び、弁護士を志しましたが、当時のユダヤ人の青年には、商業のほかにすべての道は閉ざされていたのです。しかし、彼には商業の才はまったくありませんでした。

しかし、彼は在学中から文学に惹かれ、1826年ハルツ地方の旅の印象をつづった「ハルツ紀行」を発表して有名になりました。

翌年、身をもって体験した恋の、美しいあけぼのと哀しい黄昏とを歌い上げた「歌の本」で抒情詩人としての地位を確立し、その清新平明にして甘美な調べは全ドイツの恋する青年男女の愛読書となったのです。

しかし、ドイツでは、ユダヤ人であるため、絶えず迫害を受け、彼は自由主義的な社会詩人との立場で政府を批判、追放されパリに亡命します。

パリでは、ユゴーやヴィニに迎えられ、自由主義陣営の一員として歓迎されました。マルクスをはじめ政治家、芸術家と交わり、革命思想をいだき、詩風も社会主義的傾向をもつようになりました。1848年以後脊髄疾患で病臥、詩作を続け、共産主義の勝利を確信しながら死んだといわれています。遺志によって、パリの北の墓地、モンマルトルに眠っています。

作品は他に、物語詩集「ロマンツェーロ」や「ドイツ冬物語」「パリ通信」等があります。

ハイネの墓石の左右両側には、ドイツ語で、次の詩句が刻まれているそうです。

この疲れたる旅人の つひの憩ひの宿いづこ   
南の椰子の蔭なるや ラインの菩提樹の下なるや
さもあらばあれいづことて 神の御空はここのごと  
身のあたりをば囲むらむ 黄泉路の燈火とばかりに
夜はわが上に星あらむ    (村松嘉津訳)
ハイネは、マティルドと呼ぶ手袋女工のフランス娘と結婚しましたが、この女性が無教養で金遣いが荒かった為もあって、いつも金を借り歩いては、すべての友人と仲たがいをしたといわれています。現実ってこんなもんでしょうか。
彼の有名な作品「ローレライ」は、明治42年、近藤朔風が「女声唱歌」に訳詞を発表し、若い女性を中心に好まれています。ライン川中流のローレライと名づけられた岩には妖女がいて、そこを通る船人たちは、歌声に魅せられて船もろとも沈んだという伝説があります。

    なじかは知らねど心わびて、昔のつたえはそぞろ身にしむ。
    わびしく暮れゆくラインの流れ、入り日に山々赤くはゆる。
    うるわし乙女の巖頭に立ちて、黄金の櫛とり髪の乱れを、
    梳きつつ口ずさぶ歌の声の、神怪しき魔力に魂も迷う。
    こぎゆく舟人歌に憧れ、岩根も見やらず仰げばやがて、
    波間に沈むる人も舟も、神怪しき魔歌謡うローレライ。
  私が知っているハイネの詩といえば、この詩ぐらいですね。皆さんはどうですか。

    君が瞳を見るときは
    たちまち消ゆるわが憂い。
    君にくちづけするときは
    たちまち晴るるわが思い。

    君がみむねに寄るときは
    天の悦びわれに湧き、
    君を慕うと告ぐるとき、
    涙はげしく流れ落ちたり。  (ハイネ詩集より)  

12月


13日
田山花袋(たやまかたい)(本名 田山録弥)

(1871〜1930)

明治、大正期の小説家

群馬県の館林生まれ田山十郎・てつの次男として生まれました。彼が5歳のとき父親は西南戦争で戦死してしまいました。そのため、幼い時から書店などで働きながら苦学しました。そして、館林東学校で学ぶかたわら、旧館林藩儒者吉田陋軒に漢学を学び、この頃から漢詩文を雑誌に投稿するなど、文学に目覚めていきます。

その後、彼が14歳の時一家そろって上京します、そして、19歳になったとき、彼は尾崎紅葉を訪れ、小説家を志します。初めは島崎藤村や国木田独歩などの影響を受けて、感傷的な田園詩や村を舞台とした恋愛小説を書いていましたが、英語を学びながら西欧文学に触れた花袋は新しい文学を試み、次第にフランスの自然主義文学に共鳴、明治35年、小説「重右右衛門の最後」によって文壇に認められるようになりました。

彼は、技巧を捨てて、事実をありのままに描くことを主張して、自らの体験を赤裸々に描いた「蒲団」を発表し、島崎藤村の「破壊」とならんで、日本の自然主義文学の確立者として、近代文学界に大きな足跡を残しました。

その後、「生」「妻」「縁」の三部作や、「一兵卒」「田舎教師」をはじめ多くの小説、評論を書いて自然主義文学運動をおしすすめました。晩年には歴史小説「源義朝」や、心境小説に取りくみ、その一生を文学ひとすじに歩みました。
蒲団
妻子ある中年作家、竹中時雄は、日々の退屈な日常を打破するために、若くて美しい女と新しい恋愛をしたいと願っていました。そんな彼のもとに芳子という神戸の女学院の生徒から弟子にしてくれという手紙が届き、彼女が上京してきます。喜ぶ竹中でしが、彼女は学生と恋に落ち、竹中は妄想と嫉妬と怒りのなか、表面的には理解者を装うのですが・・・

芳子のモデルは、花袋の弟子だった岡田美知代という女性で、彼は自分の体験を赤裸々に描いて話題を呼びました。「私小説」の先駆けとなった作品です。


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