遺伝子とは
・・・なんて、こんなことを書くと、何か「分子生物学」みたいな感じを受けますが、いえいえ、 僕が書きたいことは、そんな難しいことではありません。 難しいことは専門家(または専門家のホームページ)にまかせておき、これからはザックバラン に遺伝子を「論じて」ゆきたいと思っています。 「メンデルの法則」で有名なメンデル(1822〜1884)は、例のエンドウ豆の研究で、「遺伝」 というものに着目し、エンドウの持つ色々な形質(色とか形とか)が、親から子に伝わる遺伝現 象を説明するのに「遺伝因子」と名づけた「架空の物質」を想定したと言われています。 この「遺伝因子」が後に「遺伝子」と呼ばれるようになったのだと、池北・小原共著の「図解雑 学・遺伝子のしくみ」という本に書かれています。 「遺伝因子」・・・「遺伝のもと」みたいな言葉 が後に「遺伝子」となったのだ・・・と、今はそういうふうに解釈しておきましょう。
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遺伝のもと
さて、ではいったい「遺伝のもと」って何でしょうか。 平たく言えば「精子」のことです。 植物で言えば「花粉」のことです。
ザックバランに言って、動物は「精子」がなければ、そして植物は「花粉」がなければ何も始まりません(生まれません)よね。 だから
すべては「精子」または「花粉」によって始まっているのですから、当然ながら「遺伝」もそこから始まるのであって、だから僕はそれを
「遺伝のもと」と名づけてみたのです。
図にすればこうなりますね。 「遺伝因子」 ⇒ 「遺伝のもと」 ⇒ 「遺伝子」 こうして「遺伝子」という言葉ができました。
もっとも、書物(上掲書)によれば、「メンデルが始めて(注、「初めて」のことか?)報告した『遺伝因子』は、1909年にヨハンゼンの
提案によって『ジーン(Gene)』と呼ばれるようになった。 そして日本語訳としては『遺伝子』があてられるようになった」と書かれてい
ますから、正確には「遺伝子」という言葉は、1909年以降、すなわち20世紀初頭に初めて世に現れた言葉なんですね。

ふたたび
遺伝子とは
個体(生物、もちろん人間を含めて、そのカラダ全体のことを「個体」と言います)は、すべて「細胞で出来上がっている」というのが
常識となっています。 人間(ヒト)の場合、その「細胞」の数はおよそ100兆個だそうで、しかもそれらは、みんなまったく同じ数の
「染色体」で構成されていると言われています。 「染色体」って何でしょうか?
「細胞」の1つ1つには「核」があり、その「核」の中に「染色体」というものがあって、その「染色体」は「遺伝子」と「タンパク質」とが
集まったものだということです。 何だか話がやゝこしくなって来ました。 面倒なので「染色体=DNAとタンパク質のかたまり」である
とまとめて覚えてしまいましょう。
はじめに「難しいことは専門家にまかせましょう」と書きましたが、何だか難しいことになって来ましたので、このへんでガラリと話題
を変えてみたいと思います。
そもそも「遺伝子とは何か」ということから言えば、遺伝子とは「我々のカラダそのものである」ということです。 頭の先から足の裏
まで「細胞」で出来上がっている「我々のカラダ」というものは、言い換えれば、頭の先から足の裏まで「遺伝子で出来上がっている」
のと同じであり、結論から言えば、「我々はすべて遺伝子から出来上がっているのである」と言うことではないかと、こう思います。
ですから、遺伝子とは、我々をつくり上げている「もと」であり、「遺伝因子」であり、「遺伝のもと」であると思うのです。 こう書けば、
「それって、ちょっとおかしいんじゃない?」と思われるかも知れません。 遺伝子とは「眼に見えない小さな物」であって、我々の全体
ではあっても、それ自体には何の問題意識も持つ必要がないのではないかというご意見が聞こえて来そうです。 でも、それは正しい
のでしょうか? そのへんのことをもう少し書いてみたいと思います。