木心乾漆像のお話  

 「木心乾漆造(もくしんかんしつづくり)」とは大まかな木彫像の原型を作り、その原
型に漆と木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて細部整形し、像を完成させる技法です。
荒っぽい言い方をすれば脱活乾漆造の原型である「塑像」を「木彫像」に置き換えたも
のです。

 天平時代後半ともなりますとインフレにより国家財政も破綻し、造像が国家的な事業
から私的な事業に変わったため仏像の制作に厖大な資金を消費することも出来なくなり
ました。結果、高価な素材である漆による脱活乾漆像の制作は不可能となり、そこで考
え出されたのは素材が高品質でない不純物を含む漆でもよく、しかも漆の使用量が少な
くて済む「木心乾漆造」が考案されました。
  時代の要望である漆の節約のためだけでなく漆の乾燥に時間が取られるのを避けるに
は必然的に薄い乾漆とせざるをえない理由から、原型の造形が丁寧に作られ 次第に完
成木彫像に近いものに変わっていきました。そのため当然の成り行きとして間もなく木
彫像の全盛時代を迎えることになりました。しかしいくら原型の木彫が漆と麻布で隠蔽
されるとはいえ干割れや歪が出たのでは像の表面に悪影響を及ぼしますので原型の木材
もそれなりの良材でなければなりませんでした。そこで原型の木材の品質を落としても
像制作を可能とするため内刳りの技法を採用することによって経費節減に繋がりました。
内刳りの技法は次代の平安時代に主流となった木彫像に受け入れられたのは申すまでも
ありません。

  乾漆の厚みが薄いとはいえ乾漆を均一に塗らなければ干割れを起こすため容易な作業
ではありませんでした。が、逆に「法隆寺百済観音像」は上半身に施された「木屎漆」
が細かい干割れを起こして、その影響でお顔の表情が憂いを富んだ柔和な感じになって
おり、それが日本女性の感性を揺さぶってうっとりさせる原因となっております。「百
済観音像」は芸術の都パリでの出開帳で、多くの人々に香り高い仏像として感動と興奮
を与え魅了した話はあまりにも有名です。像は東南アジアで類を見ない長身痩身で、細
長い素材は何かいわれのある霊木で、これ以上削り込むとあまりにも痩身となり過ぎる
ことから木屎漆で仕上げたのではないかと思われます。
 文献などでは「百済観音像」は「樟の一木造」または「樟の一木造一部乾漆」と分類
されております。
 明治の国宝指定では「乾漆像」として指定されたとのことです。

       
     百済観音像(法隆寺)

     
    十一面観音像(聖林寺)

     
     千手観音像(唐招提寺)

                       薬師如来像(唐招提寺)

                                                                                  

 「聖林寺(しょうりんじ)の十一面観音像」は明治の失政「廃仏毀釈」の際、大神神
社の神宮寺・大御輪寺(おおみわでら)に安置されていたのを聖林寺に移仏されたもの
です。像高は2メートルを超える209.1センチの巨像で「百済観音像」とほぼ同じ高さを
誇る堂々たる尊像です。指の表現は少女のように崇高な美しさです。官能的で妖しい魅
力の「十一面観音像」は性別で言えば男性ですが、胸と腰にボリュームがある割りには
胴は引き締まっている女性の憧れのプロポーションとなっております。
  「百済観音像」との違いは「条帛(じょうはく)」が左肩から右胴に流れるのに百済
観音像は逆になっております。「天衣」が白鳳・天平様式の2段となっておりますが百
済観音像は飛鳥様式のクロス形式となっております。「華瓶」は未開敷の蓮華が挿され
ておりますが百済観音像の華瓶には蓋がされております。この蓮華は華瓶の蓋代わりに
挿入されているとも言われます。「台座」には蓮弁がありますが百済観音像は飛鳥様式
でありません。両像とも大きく「内刳り」がなされており、内刳りの技法が飛鳥時代か
ら使われていたことには驚きを隠せません。
 「十一面観音像」は側面の体躯の堂々たる量感と両足の波型の衣文は「薬師寺の聖観
音像」と良く似ていると思いましたが頭だけは少し小さいように見えました。

 「聖林寺」は奈良の中心部から少し離れた桜井市にあります。明日香を訪れられまし
たら是非お立ち寄りください。聖林寺前バス停からは数分です。閑静でひっそりとした
非日常的空間で「十一面観音像」に向かい合うと自然と敬虔な気持ちになられることで
しょう。そのお姿の美しいことからも多分当時の飛鳥にはこんな端麗な美貌の女性が住
んでいて、その美人に一目ぼれした仏師が尊像に取り入れたのではないでしょうか。恋
焦がれる女人を青春の夢として仏像と言う形で残したのであればロマンチックな話ですね。

  「唐招提寺」と隣接する「薬師寺」が存在する地域だけを「西ノ京」と言いますが、
仏像を比較しますと唐招提寺は木彫関係が主であるのに対して薬師寺は銅像が多いのは
私寺と官寺、 それと創建の時代差によるものでしょう。

 


       本 堂 (聖林寺)

       
     総 門 (聖林寺)
  人影もなく、境内はひっそりと静まりかえった佇まいを見せる「聖林寺」です。
                                                        
                                                              
画 中 西  雅 子