神戸聖約キリスト教会    Mission Covenant Church of  Kobe

聖書について

聖書はこれまでに最も売れた本であり、古くからそれを読んだ多くの人々にひらめきや安らぎ、また指針を与えてきました。聖書は私たちに、ただ感動を与える本なのでしょうか?———いえ、聖書はそれ以上に意味深いものです。


●聖書とは?

日本語で「聖書」と訳されるギリシア語の単語は「グラフェー」という言葉ですが(例:ルカ24:45)、これは「本」を意味します。それでは聖書は一体どのような本なのでしょう?

その問いの答えには2つの側面があります。まずはじめに、聖書は、厳密に言うと冒頭の「創世記」から巻末の「ヨハネの黙示録」までの66巻の書簡の集まりです。これらの書簡は数千年の間に書かれ、ヘブライ語、アラム語、そしてギリシア語で書かれました。その中には、歴史的なもの、預言書、詩、手紙など、さまざまな種類の文書があります。そのような聖書は、人間的な見方だけで申しあげるなら文学の傑作であることは間違いありません。

2つ目は、「聖書とは?」という問いについての、先ほどよりもはるかに重要なことです。それは、聖書が「神様のことば」だということです。聖書は、神様が、聖書の各書簡の著者にお与えになった教えが集められたものです。そのような聖書は、神様が教会を通して私たちにお与えになった贈りものです。聖書は、古代の寓話や神話が蒐集された本ではなく、聖霊なる神様が、今日の私たちに向けて神様のことばを伝えるためにお用いになる、確かで確実な、神様ご自身の手段なのです。


●人は聖書をどのように受けとったのでしょう?

このことについて聖書自身が次のように説明しています。

『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。』 (テモテへの手紙 Ⅱ 3章16節)

『なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。』 (ペテロの手紙 Ⅱ 1章21節)

古代の人々は、聖書が実際に神様のことばであることを知っていたので、細心の注意を払いながら、文字ごと、単語ごとに細かいところまで注意を払ってそれを写筆し、さらに写筆を重ねました。今日、聖書の原本はもうありませんが、聖霊が私たちのために神様のことばを守ってくださったことは確かです。とくに新約聖書の何千もの写本を注意深く研究してゆくと、さまざまな写本の間に小さな違いはあるものの、聖書の重要な教えについては矛盾するところがないことが分かっています。私たちが用いる日本語の聖書は、元の言語からの翻訳です。信頼できる翻訳を使用すると、真の神様のことばを確かに受けとることができます。神様のことばがヘブライ語、アラム語、ギリシア語であっても、翻訳が元の言語に忠実である限り、それは英語や日本語においても神様のことばです。私たちの教会では、信頼できる日本語の聖書として「新改訳2017」を使っています。


●なぜ聖書は重要なのでしょう?

ある人は「聖書は私に何をすべきかを教えてくれるので、私にとって大切です。」と言われ、別の人は「古典としての聖書には豊かな知恵があるから。」と言われます。あるいは「聖書は私の日常生活のガイドブックです。」と言われる方がおられるかもしれません。これらの答えはそれぞれ的を得ていますが、聖書の重要性についての真の理由を見逃していると言えます。聖書は、イエス・キリストが誰であり、このお方が私たちのために何をしてくださったかを知るための源です。イエス・キリストご自身が次のように言われました。

『あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。』 (ヨハネの福音書 5章39節)

聖書のおもなメッセージは、イエス・キリストの生、死、復活によって世界(私たち)を神様ご自身と和解させようとされる神様の働きについての「善き知らせ」(福音)です。旧約聖書と新約聖書の全体にわたる聖書の主題は、ご自身のひとり子イエス・キリストを世が受け入れるために神様がいかに準備をされたか、そして実際にイエス・キリストがこの世界に来られた間に行われたことについての記述です。また、教会がこの栄光の救いのメッセージをどのように受けたのか、そしてそれがどのように成長し、この世界に広まったのかも伝えています。

かつて16世紀の宗教改革者マルティン・ルターは、聖書を、幼な子イエス・キリストが包まれたおくるみにたとえました。聖書は、私たちを愛しておられる神様が、私たちにお与えくださった救い主イエス・キリストを中心としています。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』 (ヨハネの福音書 3章16節)

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