挨拶(ライブ配信)
昨日、となりの幼稚園で運動会がありました。少子高齢化と言われるなか、元気な子供たちを見ている私も元気をもらいました。
それでは、礼拝の時をお持ちましょう。
前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック)
前奏
今週のお祈り
・AIの悪用から私たちが守られますように。
・アメリカの大統領を覚えて。
・世界が平和になりますように。
讃美
戒め・罪の告白・恵みのことば
愛の戒めを朗読しましょう
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
み言葉を朗読しましょう
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。
罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
以下のことばを朗読してください
一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン
みことば(その時は突然やってくる)
2026年11月8日(日)聖霊降臨後第24主日礼拝
アモス 5章 18~24節 (旧1435頁)
1テサロニケ 4章 13~18節 (新 377頁)
マタイ 25章 1~13節 (新 49頁)
●バナナはおやつに含まれますか?
おはようございます。皆さまは、「バナナはおやつに含まれますか?」というフレーズご存じですか?小学校の遠足に行くとき、必ずと言って良いほど、子どもが先生に質問したのが「バナナはおやつに含まれますか?」という質問でした。もちろん、これは定番のお約束の質問です。多分、バナナが含まれるかどうかでおやつの買い方が変わってくるじゃないか…そんな冗談だったと思います。
ともかく、当時、私は、学校で決められた300円を持って、駄菓子屋さんに行きました。確か、チョコレートは溶ける、ガムはだめ・・・そんな決まりあったかなって思います。ともかく、お弁当を食べた後の事を想像して300円で帰る最高の組み合わせを考えてお菓子を買っていました。
そして、遠足の説明会で言われたとおり、体操服をたたんで、そして、しおり、汗拭きタオル、敷くもの、そして、おやつ…必要なものを全てリュックサックにつめて、それを布団の近くに置いて、わくわく(うきうき)しながら布団に入ったのを覚えています。すると、眠れないんですね。明日は遠足だって思うと、嬉しくて中々眠れないんです。皆さまは、そのような経験なかったですか?そういう経験から考えると
早く、明日が来て欲しい…そんな思いで待つための準備は自然と力が入ります。
ところで、準備・備えということに関して、地震の備えというものがありますよね。日本では大きな地震を何度か経験してきましたので、地震の備えということに関しては、他の国より意識が高いと思います。実際に、近いうちに、大きな地震があると言われています。南海トラフ地震は、恐らく、日本の多くの場所がその影響を受けると言われています。ですので、「最低でも何日間の備蓄をしておきましょう」。という言葉をニュースで聞くことが多くなりました。
我が家も一応、地震に備えての備蓄は意識していますが、ずっと前に、リュックを開けてみると、期限切れの缶詰、つかなくなった懐中電灯、仕えるかどうかわからない予備の電池や医療用品…ほんと、何年も確認していないということが良く分かる状態になっていました。
リュックを準備した時には、いつ来ても良いように、本当に色々なことを想定して準備したつもりですが、何年も経つと、「ま、いいかな」そんな思いになっていくものです。
どうでしょうか?皆さまは、地震の備えができていますか?
●何が違うんだろう
遠足や旅行に行くときには、熱心に準備しますが、地震や災害については、分かってはいても準備に力が入りません。なぜでしょうか?多分、「いつ来るか分からない」というのが最大の理由だと思います。そして、「当分こないだろう」「私が生きている間はこないだろう」という思いがあるからではないでしょうか?でもそれが危ないんですよね。
わたしは、今日の聖書箇所を準備して思ったのですが、もう一つ理由があると思いました。遠足や旅行は楽しみにしている。しかし、地震は来て欲しくない、楽しみにしているわけではない…というのもあるのではないでしょうか。
同じ準備や備えであっても、楽しみにして準備するのと、万が一に備えてする準備には、力の入り具合に違いがありますよね。
●十人のおとめのたとえの説明
さて、今日私たちは、10人のおとめの譬えを見ています。世の終わりの日に備えて、信仰者としてどうあるのかを教えておられます。
イエスさまは、花婿を迎える10人のおとめの姿からお話しておられます。短い聖書箇所ですので、順をおって見ていきたいと思います。マタイによる福音書25章1~13節(新49頁)をお開きください。
まず、1節 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。」
イエスさまの譬えでは、10人のおとめは、花婿を迎えるために出て行ったようです。当時の、習慣が良く分からないのですが、まず、花婿は、婚宴の準備ができると、花嫁を迎えに行ったようです。そして、花嫁を連れて家に行き、そして、婚宴が始まったそうです。そして、恐らく、この10人のおとめは、家の前ではなく、少し離れた場所(もしかしたら町の門)のところで待っていて、そして、花婿が来た時に灯を持って、花嫁の家まで付き添っていったのだろうと考えられています。もちろん、彼女達は、花嫁の家か、花婿の家で、婚宴に参加します。
2、3節を見ますと、イエスさまは、10人のおとめを登場させます。5人は賢く、5人は愚かであったとなっています。そして、賢いおとめは予備の油を壺に準備しておいて迎えに出ました。
さて、ここで試練が訪れます。4節を見ると、花婿が来るのが遅れたので、眠気が襲って来ました。そして、ついに、誘惑に負けて、眠り込んでしまいました。イエスさまの譬えでは、賢いおとめも眠ってしまいます。
さて、真夜中になりました。『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がします。10人のおとめは皆起きて、それぞれのともし火を整え始めます。しかし、時間が経っていて、油が無くなろうとしています。そこで、油を持っていないおとめは、賢いおとめに言います。8節『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
これからしばらく灯を灯して歩かなくてはなりません。ですので、賢いおとめが呼びに準備しておいた油をあげることができないのです。賢いおとめはこう言います。9節『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちは、油を買いに行き、再び、一行に追い付こうと思いましたが、間に合いませんでした。10節を見ますと、花婿は家に到着し、婚宴が始まり、戸は閉められてしまいました。遅れて、5人のおとめがやってきますが、入れてもらえませんでした。他人ではありません。ちゃんと、最初に花婿を迎えようとしたおとめです。なのに、婚宴に参加することがゆるされませんでした。
イエスさまは、ここでこうおっしゃっています。ちょっと、注意して聖書を見てください。13節です。イエスさまは、何とおっしゃっておられるでしょうか?
イエスさまは、『目を覚ましていなさい』とおっしゃっているんです。“油を準備しておきなさい”とおっしゃっていませんよね。また、賢いおとめは、眠らなかったのではありません。彼女たちも眠ったんです。でも、『目を覚ましていなさい』とおっしゃっているんです。この譬えのメッセージは何なのでしょうか??
●何を準備するのかではなく…
この譬えを読むと、最後にイエスさまは「ちゃんと準備しておきなさい」といわず、「目を覚ましていなさい」とおっしゃるのです。あれ?って思いません?でも、この譬えは、眠らなかった5人ではなくて、予備の油を準備していた5人に焦点があたっていますよね。
これは、多くの人が、イエスさまの再臨を意識しないようになってしまうからではないかと思います。それは、人間の弱さとして描かれているのかなって思います。そこで、5人の賢いおとめは、眠ってしまった、でも、準備していたというところに注目したいと思います。
そこで、今日、この10人のたとえの話を聞いて、受け取って頂きたいのは、「わたしたちは何を準備するべきなのか」ではなく「私たちは、誰が(どのような人が)、私たちの所に来てくれるのか」ということです。
私たちが待っているのは、イエスさまです。そして、私たちを迎えに来てくださるのがイエスさまです。
私たちの罪をすべて背負って十字架で死んでくださった方。私たちに美しい義の衣を着せてくださった方。私たちの命を大切に思ってくださる方です。そのイエスさまが、もう一度来てくださいます。花婿が花嫁を迎えに来るように、私たちを迎えに来てくださるんです。そんな劇的な時が最後の日なんです。
●待ち望む気持ちで
初めに、遠足の話をさせて頂きましたが、遠足が楽しみだったとき、「何を準備しなければならないだろうか」と難しく考えることはなかったような気がします。むしろ、“これを準備しておくように”と指示があった以上に、何か持っていくと良いものないかな、友達と電車で、バスで、また、歩きながら、これがあったらいいだろうな…そんな感覚で準備していたと思います。楽しみだったからこそ、自然に準備するものが見えて来たのだと思います。
地震って、そのような感覚がないから準備不足になるのかなって思います。つまり、怖い出来事だから考えないように。また、まあ、“起こりそうにないよな”、“私が生きている間はないだろうな…”そのような、待ち望んでいない事なので、準備不足になってしまうのかなって思います。
5人の賢いおとめは、楽しみだったから準備したということではないかも知れません。そのような役目を頂いたからということかも知れません。でも、花婿が来ること、そこに喜びを感じていたのは事実だと思います。
何を準備しなくてはならないか…それは、どう待っているかによって変わって来るのだと思います。
●再臨はある人には裁き、ある人には喜び
イエスさまの再臨は、突然やってきます。ある人にとっては、つまり、準備していない人にとっては裁きの時です。でも、待ち望む人にとっては、それは(婚宴に喩えられるくらい)喜びの時(福音)です。
私たちは、再臨を信じています。ただ、日々の忙しさ、仕事の事、家族の事、健康の事…色々なことを考えながら生きています。また、“いつ”という事が分からないだけに、再臨のことに気持ちが向かない、忘れているということもあると思います。それは、イエスさまの譬えのように、みんな眠ってしまう姿に現されている真理だと思います。
本当は、目を覚ましておかなくてはならない。神が、今という時、私たちに何を望んでおられるのかを意識して生活しないといけないと思います。でも、意識し難い私たちにとって大事なのは、信仰を持ち続けるということです。日々、聖書を読むこと、日々、祈ることです。
でも、もっと大切なのは礼拝に出ることです。なぜなら、やがて来られる方と霊的に交わることができる時だからです。
礼拝は、イエスさまが来られる日に備えて、信仰を保ち続けるためだけにあるのではありません。私たちを救ってくださったイエスさまが(再び私たちを迎えにくる花婿が)今も私たちに御言葉と聖餐式を通して恵みを与え、また、交わってくださっているからです。
イエスさまの譬えの中の言葉にこういう言葉があります。11節、12節。「その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。」何とも厳しい言葉ですよね。
もし、「準備しておかなかったら、あなたのことを知らない」という言葉で受け取れば、それは律法の言葉ですよね。でも、「あなたを迎えに行きます。その喜びの時を忘れないようにしなさい」という言葉として受け取るならば、それは福音ではないでしょうか。前提によって、律法であり、福音となるのです。
●聖餐式を通して
イエスさまは私たちの目の前に将来現れてくださるんです。聖書の話は、抽象的な未来を話しているのではありません。具体的な話が未来に待っています。イエスさまは、弟子たちに、記念としてこれを行いなさいと言って、聖餐式をするように命じられました。「記念として」というのは「定期的に覚えて」という意味です。神さまも覚えてくださっています。間違わないでください。聖餐式もまたイエスさまとの具体的な交わりの時です。
こうして、イエスさまは霊的に私たちを整えてくださっています。そして、「主よ来てください」という思いを強めてくださっています。
今日、是非、イエスさまの再臨のことを思い起こしてください。
どんなことが起こるのか?ではなくて、誰が迎えに来てくださるのか?です。
その時は突然やってきます。でも、もしその出来事を期待して待つことができるならば、私たちは自然にその準備ができるようになっています。
人のすべての思いにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。
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使徒信条
使徒信条によって信仰を告白します
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
讃美
主の祈り
イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
頌栄
最後に
主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。
最後にお祈りをして礼拝を閉じてください