挨拶(ライブ配信)
最近、AIの能力が悪い事にもちいられているような感じがします。神さまの力が示され平和が来ますように。
それでは、礼拝の時をお持ちましょう。
前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック)
前奏
今週のお祈り
・夏休み、子どもたちが水難事故や交通事故から守られますように。
・熊本地震の被害・復旧のために。
・戦争が終わりますように。
讃美
戒め・罪の告白・恵みのことば
愛の戒めを朗読しましょう
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
み言葉を朗読しましょう
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。
罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
以下のことばを朗読してください
一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン
みことば(神のものは神に)
2026年10月18日(日)聖霊降臨後第21主日礼拝
イザヤ 45章 1~ 7節 (旧1135頁)
1テサロニケ 4章 2~10節 (新 374頁)
マタイ 22章 15~22節 (新 43頁)
●政治的発言の落とし穴
おはようございます。
政治の世界では、政治家が何気なく口にした言葉が、大きな問題になることがあります。ちょっとした言葉遣いや、つい本音が出てしまった時に、激しく批判され、場合によっては、その一言によって、その職を辞めなければならない・・・そんなことさえ起こります。
記者会見などを見ますと、わざと失言を引き出そうとしている記者の方もいらっしゃいますよね。わざと腹が立つような聞き方をしたり、答えを誘導しようとする記者が時々います。また、国会の予算委員会などでの質疑を見ていてもそういうところが度々あります。責めるような質問を何度もしたり、責任を追及したり・・・そんな議員さんも多くいらっしゃいます。もっと、有意義な時間の使い方をして欲しいと私はいつも思います。ともかく、相手を失脚させたい・・・この一点のように感じます。
実は、今日、説教の準備をしながら、いくつか政治家の方の失言の言葉を紹介しようと思ったんです。一度は、原稿として書いたのですが、「いや、待てよ」と思いとどまりました。というのも、そういって紹介することが帰って、私の失言となってしまわないか・・・そんな風に思ったからです。やっぱり、政治のことって色々な考えがあって、失言をした方を支持しておられる方もいらっしゃるので、軽はずみに紹介して「言わなけばよかった」とならないように原稿から削りました。本当に公に発言するって難しいんですよね。
●答え難い質問
さて、今日の聖書箇所ですが、まさに、そういった「相手を失脚させる・・・そのための責める口実を引き出す問いかけ」をイエスさまにした人達の話です。イエスさまの前に現れたのは、ファリサイ派の弟子たちとヘロデ派の人たちです。実は、この組み合わせも異例でして、本当は仲の悪い人達同士なんです。なのに、イエスさまを倒すという点では利害が一致して、一緒になってイエスさまを試そうとしています。そして、彼らは、どちらを答えてもイエスさまにとって不利になるような質問をしたのでした。その質問はこうでした。
「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
皆さまはこのような質問をされればどう答えますか?実は、これは、非常に答えにくい質問なんです。税金を納めることは“律法に適っているか”ここがポイントとなています。イエスさまがこの質問に対してどうお答えになったのかは、後でお話しするといたしまして、ちょっと、国会の答弁ではこんな風になるかなぁ・・・そんなことを想像して考えて見ました。答えに困る様子、何とか答えさせようとする状況・・・それを感じてもらえればと思います。
議員:「総理、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。それとも、適っていないでしょうか。答えてください。」
総理:「え~、皇帝に税金を納めることが正しいかどうかということでございますが、税金につきましては、法律に基づいて行うことでございますので、法律に基づいて、適切に納めることがよろしいかと思います。」
議員:「いや、そうではなくて、私は法律のことではなくて、律法に適っているかどうかを質問しているのです。もう一度お答えください。」
総理:「え~、律法ということでございますが、ここは国会でございまして、法律について議論する場でございます。ですので、宗教上の教えについて適っているかどうかを議論する場ではございません。その点につきましては、お答えを控えさせていただきたいと思います」
議員:「総理、ちゃんと答えてください。私は納めることになってしまっているこの日本の現状に対して、総理としてどうお考えになっているのかを聞いているんです。いいのですか、よくないことなのですか、国の代表として、イエスかノーでお答えください。」
総理:「え~、この問題には、さまざまな歴史的背景がございまして、様々なお立場の方々もおられますので、そういった質問に、個人として、お答えすることは難しいと考えております」
議員:「難しいことではありません。イエスですか、ノーですか。」
総理:「え~先ほどから、申し上げているとおり、これは法律に基づいて適切に判断していくことでございますので、それが私の答えであります」
日本では、こういうやりとりになるのかなって思います。つまり、相手の手中にはまらないように、あたりさわりのない答えを言いい続けるというパターンです。イエスさまへの質問は、まさに、追及する側が考え出した巧妙な質問だったんですね。でも、イエスさまは、はっきりと、先生としてお答えになりました。
●イエスさまへの質問の意図
ところで、ローマ皇帝に税金を納めることの何が宗教上で問題なのでしょうか?それは、まず、イスラエルという神の民の国家が他国に支配されている状況にあるのが問題でした。また、皇帝を神のように扱わないといけないのが問題でした。しかも、神のように扱うことは十戒に大きく反しているんです。
イスラエルの人たちの中には、宗教に熱心な人達がいます。彼らは、やはり独立してイスラエルの国家を樹立したいのです。また、ローマ皇帝を神のように扱わされるというのは屈辱なんです。神さまは唯一、お一方しかいないわけで、その神さまに仕えることが生き方なわけです。ですので、人を神として拝むというのは絶対に無理なんですね。もし、律法に適っていると言えば、その人達から攻撃を受けることになります。適っていないと言えば、ローマ皇帝を敵に回すことになってしまうのです。もちろん、身近な所では、ヘロデ派、サドカイ派、また、ヘロデ王を敵に回すことになります。
どちらに答えても、イエスさまは敵を作ってしまうわけです。敵を作るだけではなく、どちらに答えても、イエスさまのメシアとしての立場を消し去ることができるのです。
では、イエスさまは、どうお答えになったのでしょうか?国会の答弁のように、はっきしたことを言わず、のらりくらりとかわされたのでしょうか?
イエスさまは、彼らの罠から巧みに逃れられたのではありませんでした。知恵によって無難に答えられたというのでもありません。イエスさまは、彼らの巧みな質問に逃げることなく、その陰謀の中に入りつつ、はっきりと神の国についておはなしなさったのです。
●イエスさまの答え
イエスさまは、まず、彼らに「税金を納めるお金を見せなさい」と言って、デナリオン銀貨を持って来させます。“彼らは持ってきた”とありますが、その理由は、神殿にはその貨幣を持ち込むことがなかったからです。なぜなら、デナリオン銀貨には皇帝の肖像が刻まれていて、さらに、「神とされたアウグスティヌスの子ティベリウス皇帝」という文字が刻まれていたからです。人の顔が刻まれていること自体、偶像なので問題です。さらに、もっと、ユダヤ人にとって問題だったのは、人間でしかない皇帝が神格化されていたことです。だから、神殿の中にいる彼らはデナリオン銀貨を持ち合わせていないんです。だから、彼らはわざわざ持ってきたのです。
調べて見ますと、当時、イスラエルの国で流通している全ての貨幣に顔や銘が刻まれていたのではなかったようです。1デナリオン銀貨に肖像と銘が刻まれていたとありました。
そして、一説によると、人頭税にあたる額が丁度、1デナリオンだったと言われています。ですので、肖像と銘が刻まれた1デナリオン銀貨で人は納税していたと言われています。そう考えると、イエスさまが「税金に納めるお金を見せなさい。」と言ったら、彼らがデナリオン銀貨を持ってきた理由と繋がります。
次に、イエスさまはおっしゃいます。「これは、だれの肖像と銘か」。彼らは答えます。「皇帝のものです」。するとイエスさまはこう結論してお答えになります。
「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
ここで、イエスさまは「返しなさい」とおっしゃっていますが、単語としては「納めなさい」「支払いなさい」という意味でもあります。ですので、税金の話で考えるならば、イエスさまは納税することを否定しておられません。税金というのは支配のしるしですが、その支配によって恩恵を受けているわけで、そういう意味では、納税は義務でもあるんですよね。ですので、政治的に正しい答えを言っておられます。でもそれでは、宗教的には納得がいかないわけです。ですので、「神のものは神に」という言葉をちゃんと言っておられるのです。さらに言えば、宗教的にローマ帝国の支配を嫌っている人達にとって、さらに、デナリオン銀貨を忌み嫌う人達に対しては、それを皇帝に返してしまいなさい。そんな答えにもなったと思います。
●私たちの生き方
このイエスさまの言葉から、政治の世界と宗教の世界は別だということもありません。聖書を読みますと、旧約聖書も新約聖書も、“この世の支配者もまた神に選ばれたものである”と教えています。もちろん、悪い王を神が喜んでたてられたということではないんです。どんな人であっても、神の選び(もしくはゆるし)なくては、誰も統治者になることはできないということなんです。ですので、統治者は謙遜に生きなくてはなりません。これが、聖書の世界観です。でも、戦争ばかりして国民の命を犠牲にする指導者もいます。では、聖書は何と教えているのかと言いますと、立てられた指導者のために祈りなさいと教えます。さらに、良い指導者が与えられるように願うのも私たちの務めです。ですので、私たちは、日々、首相(他の国のトップの人)のために祈らなければならないんですね。
キリスト者は神の統治のもと、この世のリーダーのもとに生きています。時に、悪いリーダーがたつと大変です。初代教会のキリスト者はローマ皇帝を崇拝しないということで大変な迫害を受けました。ユスティノスという人は、皇帝を崇拝しないキリスト者を弁明するためにこんな風に皇帝に書き送りました。“私たちは決して皇帝を崇拝することはありません。私たちは神だけを礼拝します(仕えます)。しかし、それ以外のことでは、他の誰よりも喜んで皇帝のために仕えています(原文のままではありません)”そんな風に記しています。つまり、あなたが迫害するクリスチャンは、他の誰よりも正しく生き、義務に従っているのです。それなのにどうしてここまで迫害されなくてはならないのでしょうか・・・そんな訴えなんです。ユスティノスは、そこで、今日の聖書箇所「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という言葉も引用しています。
イエスさまは、「皇帝のものは皇帝に」「神のものは神に」とおっしゃいましたが、それは、私たちが二つのものに単に属しているということではありません。ローマの信徒への手紙12章1~2節でパウロはこう言っています。
『こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。』
「あなたがたのなすべき礼拝です」とありますが、ここでの礼拝という言葉は、日曜日の礼拝のことを言っているのではなくて、日々の生き方において神さまに仕えて生きるということです。
「神のものは神に」というイエスさまの言葉は、「私たちは生き方を通して、その実り(正しさや愛の実り)を神さまに捧げていく」そのような感じです。
先ほど、ユスティノスという初期の司祭の方の手紙を紹介したんですけど、同じ迫害下の時代に書かれた、キリスト者を擁護する手紙に、ディオグネートスの手紙というのがあるんです。その一部を要約しますとこんな風に書かれているんです。
「彼らは肉において生きているが、肉に従っては生きていない。彼らは地上で生活しているが、天に国籍を持っている。彼らはすべての法律に従うが、法律が求める以上の基準に従って生活している。彼らは全ての人を愛しているが、すべての人は彼らを迫害している。」
つまり、初期のクリスチャンの人たち(私たちもそうであるべきですが)は、地上で生きていますが、神に属しながらこの地上に生きるものとなっているのです。国籍は天にあります。そして、この地上での生き方とは、自分のためだけに生きるのではなくて、隣人のためにも生きる生き方です。神さまは私たちに命を与え、賜物を与え、時間、富、その他、色々なものを当たられます。それらは、神さまから託されているものです。私たちがそれを生かして生きることを喜ばれます。
同時に、国籍が天にあるというのほあ、私たち自身が神の所有であるということでもあります。私たちは神のものなんです。
創世記を見ますと、私たちは、神さまに似せて造られたとあります。この世で生きる私たちです。私たちが所有しているほとんどのものがこの世の属していますが、私たちの魂は天に属している、神さまのものなんです。それって嬉しくないですか?私たちは、死んだら今度は天国に行きますというのではなくて、私たちは死んだときに、神さまの所有なので、その所有者のもとに戻って行きますということです。私たちは所有者のもとにかえっていくのです。
●全てをご存じのイエスさま
さて、この問答があった、三日後、イエスさまは捕らえられ、人々は、ピラトのもとへ引き連れていきますが、その人たちはこういったんです。
「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」(ルカ23:2)
彼らは、イエスさまがおっしゃこととは違うことをピラトにいったんです。嘘をついたんです。イエスさまは、この世の支配者のもとで正しく生きることを教えられました。でも、彼らはそれを捻じ曲げて、ピラトに「税を納めるのを禁じました」そう偽証したのです。でも、イエスさまは驚かれませんでした。そうなることを全てご存じだったのです。イエスさまは人の企てにより十字架で死なれました。でも、それを超えて神の救いのご計画が“同胞に捨てられる・裏切られる”ことによって成就していったのでした。
イエスさまの今日のお答えは私たちに何を教えているでしょうか?それは、この世の統治者の前に、そして、神の前に正しく愛に生きることです。でも、もっと覚えておいていただきたいのは、私たちは、神のものということです。
人のすべての思いにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。
礼拝をライブ配信しております。メニューボタンにある【WEBライブ配信】をご覧ください。
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使徒信条
使徒信条によって信仰を告白します
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
讃美
主の祈り
イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
頌栄
最後に
主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。
最後にお祈りをして礼拝を閉じてください