5月31日 三位一体主日

挨拶(ライブ配信)

 先日、にんにくを収穫しました。例年より早めの収獲です。異常気象でしょうか。でも、神さまは永遠の方で変わらない方です。その神さまと今日も交わりましょう。

 

それでは、礼拝の時をお持ちましょう。

前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック

前奏

今週のお祈り


イランとアメリカの戦争が終結しますように。
住みやすい世界になりますように。
・新しく始まった常議員会を覚えて。

讃美

戒め・罪の告白・恵みのことば

愛の戒めを朗読しましょう
 心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。

み言葉を朗読しましょう
 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。

罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
 全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。

以下のことばを朗読してください
 一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン

みことば(神のみ名)

2026年5月31日(日)三位一体主日礼拝

出エジプト 3章  9~15節(旧 97頁)
     2コリント13章 11~13節(新341頁)
マタイ  28章 16~20節(新 60頁)


●「み名」は多くの場所に登場する
 おはようございます。今日は、「神のみ名」についてお話したいと思います。お話が終わった時には、みなさまの日常、また、こうした礼拝、さらに、祈りの時に神さまの大きさ、素晴らしさ、温かさを感じることができるようになればな・・・そう願っています。ただ、少しボリュームが大きすぎましたので2週に渡って「神のみ名」についてお話したいと思います。

ところで、「神のみ名」と聞くとどんな風にイメージしますか?私たちは、主の祈りでは、「み名が崇められますように」と「み名」という言葉を使っていますよね。また、十戒の中では、「あなたの神、主のみ名をみだりに唱えてはならない」と「み名」の用い方について厳しく命じられています。さらに、日々の祈りの中では「イエス・キリストのみ名によって祈ります」と祈っています。もう一つ、礼拝の中では、式の初め、また、最後に、さらには、洗礼の時には、三位一体の神さまのみ名を唱えています。これらは、とても深い意味がありまして、これらのことを今日、お話できればと思っています。

さて、「み名」と聞くと、多くの方は、まず、“畏れ多い”というイメージを持たれると思います。
畏れ多いという点でいいますと、王様とか、“僕であれば家の主人”に対しては、軽々しく、名前を呼ぶということはいたしません。
何年も前からですが、幼稚園の園庭で子ども達が遊んでいる時に、子ども達が、園長先生の名前を呼んでいるんですね。しかも、“さん”とか“先生”という言葉を付けずに、名前だけを呼んでいるんです。親しみがある関係性という点ではいいのかも知れませんが、私たちの時代(昭和の時代)にはありえなかったと思います。
もちろん、古代においても、神々の名を軽々しく呼ぶということはありませんでした。ですので、古代から神さまの名前というのは、個別の名前というよりは、“どんな神さまなのか”を表す呼び名だったようです。たとえばバールという神ですが、それは「主人」という意味です。また、太陽神ラーという名前は、そのまま光とか太陽を意味する言葉だそうです。

●神の本質を表す名
 では、私たちの「神さまの名」はどのような“名”なのでしょうか。
聖書の中で、神さまの名がとてもはっきりと示される場面があります。それは、出エジプト記に記されています。是非、皆さまのお手持ちの聖書をお開きください。旧約聖書の97頁をお開きください。出エジプト記3章12節からです。

ここは、モーセが燃える柴のところで神さまに出会った時の話です。神さまがモーセをファラオのもとに遣わし、民をエジプトから連れ出すことを告げた時の話です。
(11)モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」・・・わたしには無理ですという意味です。
(12)神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」・・・あなたは一人で行くのではないということですね。

ここでのポイントは、神さまが「必ずあなたと共にいる」とおっしゃっているところです。そしてこれが“しるし”であるとおっしゃっているところです。つまり、ファラオは、モーセを見て、モーセの神はずっと共にいる神なんだと共にいる神さまの本質を知る事になります。このことは、私たちにとっても重要な点でもあるんです。

教会から近鉄百貨店に行く途中にお地蔵さんがあります。この前、そこでお婆さんが何かを供えて、信心深く手を合わせておられました。そのお姿を見て、素敵だなって思いました。でも、恐らく、私のように、そのお婆さんの姿を見た人は、お地蔵さんではなく、その方の信仰心が美しく・素敵に感じると思うのではないでしょうか。つまり、仏様ではなく人を賛美することになります。
わたしは、そのような信仰心を否定するつもりはありません。ただ、聖書の神さまは違います。「わたしは必ずあなたと共にいる」とおっしゃったんです。“これがわたしだ”とおっしゃるんです。しかも、それが「しるし」であるとおっしゃるんです。つまり、ファラオはこの後、信仰者モーセではなく、信仰者モーセから離れず、ずっとそばにいる神さまを知ることになります。これは、ダビデも同じだと思います。ダビデは、ただ「私の信じている神さまは強い」と思ってゴリアテに戦いを挑んだのではなく「私と共にいる神さまが闘う(だから勝利する)」と信じていたのでゴリアトに向かっていったんですね。

話を戻しまして、次はモーセがこう尋ねます。
(13)モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」・・・ここでみ名を聞こうとします。
すると、神さまがこうお答えになるです。
(14)神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
ここで、神さまはご自身の名を示されるのですが、ホップ・ステップ・ジャンプのうち、ここでは、ホップ・ステップにあたることを神さまはいっておられます。
 まず、こうおっしゃいます。①「わたしはある・わたしはあるという者だ」これは、不思議な表現ですが、とても大事な表現です。ここに神さまの“本質”が表されています。
神さまは、造られた方ではありません。初めから存在しておられる方です。何かが無いと存在できない方でもありません。私たちは、水、空気、太陽、食べ物、そういったものがないと存在できませんが、神さまはそうではありません。つまり、神さまは「永遠に存在しておられる方」です。その本質が、「わたしはある」という言葉に示されています。
そして、ホップ・ステップのステップですね。どうおっしゃるのかと言いますと、イスラエルの民に②『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」言えと言うのです。
つまり、「それは誰なのか?」と尋ねられれば、私を遣わしたのは「わたしはある」というお方(永遠の神以上のお方)だと紹介せよと言うのです。
さあ、この次です。ジャンプにあたります。15節をご覧ください。
(15) 神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である【主】がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。
 ここで神さまの名前が出てきます。でも、名前は隠されて訳されていません。ただ、【主】と訳されています。この【主】と訳されているところが、神さまの名です。これは、「ヤハウェ」と発音すると言われています(ヘブル語では「YHWH」)。
神さまは、これ(YHWH)が永久にわたしの名、代々にわたしの呼び名だとおっしゃるのです。このYHWHという名は、「わたしはあるというお方」に近く、神さまの本質を表している表現です。整理します・・・。
 ① 「わたしはある(神→人)」というものだ ② 「わたしはある」という方が遣わした と言いなさい。そして③ 「主(YHWH)(神←人)」が、わたしの名であり呼び名である。とおっしゃいました。
 ただし、イスラエルの民は、私たちもそうですが、ヤハウェとは言わず、【主】と言い換えて、呼んでいます。

まず、覚えて頂きたいのは、神さまの名は、「神さまの本質を表している」名前であって、それは、“永遠に存在する方”、“わたしたちと共にいてくださる方”であるということです。

●み名によって祝福する神
さて、その名のとおり、永遠に存在し、必ず共にいてくださる神さまなのですが、神さまはただ名前を教えてくださっただけではありません。
神さまは、ご自身の「み名(すなわち本質ですね)」を私たちに示し、困った時にはいつでも、神さまを呼び求め、神さまに祈るように招いておられます。それだけではありません。「必ず共にいる神さま」は、「その民をその何よって祝福する神」なのです。
神さまは、その「み名」をご自分の民の上に置き祝福してくださると約束されています。そのことが良く分かる箇所があります。民数記6章22~27節をご覧ください。(旧221頁)

主はモーセに仰せになった。アロンとその子らに言いなさい。あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。
彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

よくご存じの祝祷の言葉がここに記されていますが、ここで注目して頂きたいのは、最後の27節の言葉です。神さまはこう言っておられます。「彼ら(アロンをはじめとする祭司のことです)が、わたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき(つまり、神のみ名を民に向かって唱える時)、わたしは(つまり神さまは)彼らを祝福する」とおっしゃるのです。
つまり、神さまはご自身の名を置く民を①必ず守り②必ず恵みを与え③必ず平安を与えると約束してくださるのです。

このアロンの祝福の言葉は、私たちの礼拝にも深く関係しています。礼拝の最後に「主があなたを祝福し・・・」というアロンの祝祷の言葉が用いられます。また、「主イエスキリストの恵みと父なる神の愛・・・」という三位一体の神さまのもとにある、祝福の言葉が用いることもあります。
こうして、礼拝に集う私たちの上に、神の名がおかれ、私たちは、祝福を頂いて・確信して・実感して帰っていくのです。主の名による守り、恵み、平安が私たちと一つとなるのです。

神さまは、永遠のお方です。そして、神さまは、私たちと共にいる神です。さらに、わたしたちを守り、恵みを与え、平安を与える神さまです。それを神さまはご自身の名を通して約束してくださっています。

●主の祈り・十戒
十戒で、「あなたの神、主のみ名をみだりに唱えてはならない」と命じられていますよね。これは、永遠であり、私たちと共におられ、私たちを守り、恵みを与え、平安を与えるという神さまの本質とは違う姿を人々に示してはいけませんという意味です。ルターは、みだりに唱えるのではなく、むしろ、いつも神さまを【主】と呼び求め祈り、主を信頼し、主を愛し、主を賛美、感謝しなさいと教えています。
また、主の祈りで「み名が聖とされますように」と祈っていますが、これは、神さまご自身は常に聖なるお方なのですが、私たちの間でも、正しく神さまが解き明かされ、また、私たちが信仰深く生活することで、それが保たれるようにと願っています。

 今日、神のみ名についてお話をしてきましたが、時間が足りなくなりましたので、来週、「神のみ名」について、今度は、洗礼と聖餐式の中でどうみ名が力を持って現れているのか、さらに、主のみ名によってお祈りするとはどういうことを意味するのかをお話させて頂きたいと思います。

 まず、今日は、神のみ名はその本質そのものであって、それは、①永遠であり、②必ず共にいるという神であるということ。そして、その神は、③ご自身の民を守り、恵みを与え、そして、平安を必ず与えるということ。それが神さまの本質であるということを覚えて頂ければと思います。


人のすべての思いにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、
キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。
アーメン。

礼拝をライブ配信しております。メニューボタンにある【WEBライブ配信】をご覧ください。
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使徒信条

使徒信条によって信仰を告白します

 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。

讃美

主の祈り

イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう

 天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

頌栄

最後に

 

主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。

最後にお祈りをして礼拝を閉じてください