挨拶(ライブ配信)
梅雨が明けました。学生の子達は夏休みがもうすぐ始まります。事故などに巻き込まれませんように、お祈りしていきましょう。
それでは、礼拝の時をお持ちましょう。
前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック)
前奏
今週のお祈り
・イランとアメリカの戦争が終結しますように。
・住みやすい世界になりますように。
・ナフサ不足の影響下にある人達のために。
讃美
戒め・罪の告白・恵みのことば
愛の戒めを朗読しましょう
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
み言葉を朗読しましょう
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。
罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
以下のことばを朗読してください
一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン
みことば(耳のある者は聞きなさい)
7月5日(日)聖霊降臨後第6主日礼拝
ゼカリア 9章 9~12節 (旧1489頁)
ローマ 7章 15~25a節 (新283頁)
マタイ 11章 16~19節 25~30節 (新 20頁)
おはようございます。
「耳のある者は聞きなさい」今日は、イエスさまのこの言葉からお話したいと思います。
イエスさまは、神の国の真理を譬え話でお話されます。「迷子になった羊を探す羊飼い」に譬えたり、「瀕死の状態の人を助ける旅人」に譬えたり、「ぶどうの木」「パン粉」「小さい種」「真珠」「宝物」など日常で見かけるものを用いてイエスさまは譬えを話されます。聞いた人は、その情景を思い浮かべやすかったと思います。
確かに、イエスさまの譬え話というのは、分かりやすいんです。でも、イエスさまの譬え話を皆が理解したのかというとそうではありません。なぜなら、群衆には譬えを話し、その意味については、説明をなさらなかったからです。
なぜ、そうなさったのでしょうか・・・。それは、イエスさまのこの言葉「耳のある者は聞きなさい」にあります。イエスさまの譬えは、その意味を深く探ろうとした時に輝くからです。
今、料理の動画って多いんですよね。わたしも料理をする時によく参考にします。ちょっと調べれば、ほんと、ある程度のクオリティの料理を作る事ができます。昔、「キューピー三分クッキング」というのがありましたが、不思議なことに、その番組を見ていると、作った気になるんですよね。で、美味しそうに食べている映像を見ると、何か、食べた気になるんです。そんなことありませんか?でも、作ってもいないし、食べてもいないんです。これが譬えとも共通しています。
イエスさまの譬え話は、聞いていると、分かった気になるんです。そして、そうだなって思えるんです。でも、それで終わってはだめですよね。そこにある隠された意味を追求しなければならない。もしくは、実践しなくてはならないんです。
一か所、聖書を見たいと思います。今日の聖書箇所の次になります。マタイによる福音書13章34、35節です。新約聖書26頁です。
「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
隠されたこととは、一言で言えば、神の国の奥義です。それは、旧約聖書の中に隠されていました。多くは、イスラエルの歴史の中に隠されていました。それらは、イエスさまが来られるまで隠されいて(はっきりしていませんでした)、そして、今、イエスさまを通してその奥義が動き始めているんです。
さて、今日は、本当に有名な譬え話で、教会学校でもよくお話に出てきます。そのイエスさまの譬え話を見て行きたいと思います。では、今日の聖書箇所一緒に見て行きましょう。マタイによる福音書の13章です。24頁をお開きください。
1、2節にこうあります。「その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。」
恐らく、イエスさまは、誰かの家で人々にお話されていたと思われます。その後、イエスさまは、家を出て、湖のほとりに行かれました。それは、休むためではなくて、さらに多くの人の話ためです。イエスさまラビのように教えるために、湖のほとりに座られたんです。すると、ガリラヤ湖の岸辺に人々がどんどん集まって来るのでした。イエスさまは、そこで、舟に乗って、少し岸を離れます。そして、イエスさまは、またs腰を下され、教師として人々に教えられたのでした。
イエスさまが「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃったのには意味があります。それは、イエスさまの周りには、沢山の人が集まってきましたが、それぞれに、集まって来た理由が違うからです。真剣にイエスさまの話しを聞こうとする人、癒して欲しいと願い来た人、また、イエスさまの奇跡(しるし)を期待した人、また、イエスさまを陥れようとする人がいました。本当に色々な人が集まって来ていました。でも、イエスさまが求めておられたのは、イエスさまを通して何が始まっているのかを知ることでした。そのために、イエスさまは、現された神の国の奥義に耳を傾けるように(心を開いて、イエスさまが語る言葉を聞くように)促しておられるわけです。
3節を見ますと、「イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。」とあります。つまり、この時イエスさまは、この種まきの譬えだけ話をされたのではなくて、神の国について、多くのお話をなさったのが分かります。そして、その沢山の譬えが語られたその中の一つが、この「種を蒔く人の譬え」でした。たぶん、この「種を蒔く人の譬え」は、最後にお話なさったのだと思います。
でも、よく考えると、この種を蒔く人の譬えだけを聞くと、何が何に譬えられているのか、わかりませんよね。譬えというのは、説き明かされないとわかりません。ただ、イエスさまは、群衆には譬えをお話になり、説き明かされなかったと書かれています。
これは、どういうことかと言いますと、「それはどういう意味ですか?」と隠された真理(開始された神の国の力)を知ろうとする信仰を求めておられるからです。
先週の月曜日、吹田にある万博記念公園に行ってきました。真ん中の子の運転で行きました。残念なことに雨でしたので、最初はショッピングモールで食事をしたりしていました。午後になって、「緑の中を散歩しようか・・・」となって、昔の万博会場の方へ行きました。ご存じの方も多いかと思いますが、ゲートを通ると、目の前に大きな“太陽の塔”が現れてきます。太陽の塔は、岡本太郎さんがデザインした有名な塔ですよね。で、その時、「塔の中を見学することができます」という看板が目に入ったんです。「せっかくだから、太陽の塔の中に入って見ようか」ということになりました。
多分、晴れていたら、入ろうとしなかったと思います。多分、整備された緑の中を散歩していたと思います。でも、その日は小雨で、歩くにはちょっと大変で、さらに、人が少なかったので、当日券もあり、しかも、並ぶ必要もないというのが良かったのだと思います。ただ、見学するには料金がいるんですね。ちょっと高いなって感じました。「どうしようかな」と少し迷いましたが、せっかくだしと思い、三人で中に入ることにしました。
中に入ってびっくりしました。私は、当時の万博を知らなかったので、太陽の塔って、単なる外から見るだけの“シンボル”だと思っていたんです。しかし、中に入って見ると、下から上に伸びる生命の樹のようなオブジェクトがあって、そこに、岡本太郎さんの思いが表現されていました。私は、塔の中は空洞で、当時のことを説明するパネルがあるくらいだと思っていました。でも、全然違いました。岡本太郎さんがデザインした生命の樹が下から上までそびえていたんですね。太陽の塔は、外も、そして、中も、一つのテーマを表現した、しっかりした芸術作品だったんです。ほんと感動して太陽の塔から出てきました。
多分、中に入らなったら、私は今でも太陽の塔のことを、ただ外から見るだけの大きなオブジェクトだと思っていたと思います。でも、中に入ったからこそ、「そういうことか」という感動を得ることができました。万博会場を歩いていてもその気持ちがずっと残っていました。
扉って面白いなって思います。その扉を開けるとそこに何かが広がって言います。扉が無くて、空間を分けることもできます。でも、それだと、価値を見いだそうとしなかったり、通り過ぎるだけになってしまうこともあります。
でも、閉じられている空間、よし開けようと思わないといけない扉の場合、その場合、「中になにがあるのだろう」とか、「中にあるものを見たい(知りたい)」という思いが必要になってきます。でも、そうして、開いた扉の向こうには、新しい世界が広がってきます。これまで知らなかったこと、分からなかった世界を知ることができるます。
イエスさまの譬えは、それを聞いて分かったつもりで、終わるのではなく、その意味は何だ、神の国とは何だ・・・そういった、疑問を持って、深く真理を探り続けることが大切です。そうすると、私たちの内にある何かが変わるんです。逆に、聞いて終わるだけの場合は、真理や喜びが隠されたままとなってしまうのです。
このイエスさまの「種を蒔く人のたとえ」は、普通に聞くと、“あなたはどのような者であるか(どのような土であるか)を吟味しなさい”と問いかけているように感じます。でも、それが中心ではありません。
むしろ中心になるのは、種を蒔くイエスさまの姿です。ここに開始された神の国の姿があります。イエスさまは、種を蒔き続けます。それは、ご自身がお生まれになることによって、隠されていた奥義が芽吹こうとしているからです。
この譬えは、確かに、信仰を持つように教えています。でも、イエスさまが伝えようとされているのは、神様のみ言葉の力です。イエスさまを信じる人は豊かな実を結びます。その恩恵を豊かに受けることができます。でも、この世界には、それを阻むものが多いわけです。ですので、イエスさまは、最後までイエスさまについていくことを求めておられるわけです。
「種を蒔く人の譬え」を見ますと、最初、①道端に落ちた種は、鳥が食べてしまいます。これは、み言葉を聞いても、聞くだけで終わっている人のことを言っています。扉を開けようとしない人ですよね。一番、もったいないんです。
次に、②石だらけで土の少ないところに落ちた種ですが、これは、芽は出ますが、根が無いので、それで終わってしまう種だとおっしゃいます。イエスさまは、艱難や迫害によって(つまり、試練に耐えれなくて)そこで終わってしまう人のことだとおっしゃいます。これは、今のわたし達にも当てはまることは多いと思います。イエスさまは、素直になれと語るよりも、それを乗り越えてきなさいと励まされるのです。
その次の③茨に落ちた種ですが、この世の富や誘惑がみ言葉を覆い隠してしまって、実らない人のことです。これは、悪魔の誘惑だと思います。これもまた、人から神さまを遠ざける強い力です。大体、私たちは、ここで実りを失ってしまいます。
そのような私たちに、それを乗り越えてきなさい。そうしたら、100倍、60倍、30倍と豊かな豊かな実を結ぶよと励ましてくださいます。
イエスさまは、私たちに自分の状態を吟味せよと強くおっしゃっているのではありません。むしろ、私たちの弱さをよくご存じなんです。だから、いつも、私たちを励まし、信仰を持っていても、「こんなもんか」と勝手に決めつけず、最後まで励むように勧めておられるわけです。なぜなら、神のみ言葉には、命があり、力があるからです。だからこそ、イエスさまは、日々、そして、礼拝でのみ言葉によって、神の国の力を語り、それに信頼するように種を蒔き続けてくださっているのです。
イエスさまは譬えを用いて神の国を説明されました。、イエスさまの譬えは探ると、多くの場合、イエスさまの姿が見えてきます。また、十字架が見えてきます。譬えの多くはイエスさまと繋がっています。
イエスさまは多くを譬えでお話されました。その多くが、イエスさまを通して始まった神の国のことです。そこには、本当の救いとは何かが語られています。イエスさまの周りに集まって来た人の多くは、イエスさまに今の現状を変えて欲しいと願っていました。でも、イエスさまは、それ以上に素晴らしい福音。隠された真理。十字架でもたらされる本当の救いを伝えておられました。それが、本当に私の人生の実りとなるためには、その譬の扉を開き、真理を知る必要があります。「聞く耳のある者は聞きなさい」というのは、「私が考える実り」から「神が与える幸せ」に目を向けさせる招きの言葉です。
今日の譬え話にある種を蒔く農夫こそイエスさまです。
人のすべての思いにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとを、
キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。
礼拝をライブ配信しております。メニューボタンにある【WEBライブ配信】をご覧ください。
↓ボタンをクリックしていただいても【WEBライブ配信】に繋がります。
使徒信条
使徒信条によって信仰を告白します
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
讃美
主の祈り
イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
頌栄
最後に
主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。
最後にお祈りをして礼拝を閉じてください