挨拶(ライブ配信)
GWがおわりました。身体がなじむまで頑張っていきましょう。そして、礼拝が大事です。
それでは、礼拝の時をお持ちましょう。
前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック)
前奏
今週のお祈り
・イランとアメリカの戦争が終結しますように。
・住みやすい世界になりますように。
・新しく始まった常議員会を覚えて。
讃美
戒め・罪の告白・恵みのことば
愛の戒めを朗読しましょう
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
み言葉を朗読しましょう
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。
罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
以下のことばを朗読してください
一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン
みことば(聖霊があなたを変える)
2026年5月10日(日)復活後第6主日礼拝
使徒言行録 17章 22~31節
1ペトロ 3章 13~22節
ヨハネ 14章 15~21節
●私たちを迎える神
おはようございます。教会に来るきっかけは、色々あると思います。最初から「神さまのことを深く知りたい」と思って教会の門をたたく人は、少ないのではないでしょうか。
たとえば病気になって、「これからどうなるのだろう」と不安を抱いて来られる方がいます。仕事や人間関係に疲れて、心を休める場所を求めて教会に来られる方もいます。また、何か問題の解決を求めて来られる方、心の拠り所を求めて教会に来られる方もいらっしゃいます。
また、結婚、出産、介護、死別、そういった人生の節目となる出来事があって、「どう生きて行けばいいのだろうか」と考えるようになり、教会を訪れる方もあります。
もちろん中には、友達に誘われて来たとか、教会のイベントに参加したことがきっかけになったり、あるいは、親に連れられて小さい頃から教会に通っていたという方もいらっしゃるかと思います。
教会に来るきっかけは、色々とあって人それぞれです。けれども、「それぞれのきっかけは偶然ではない」と私は思います。
私たちは、人生がうまくいっている時は、自分の力で何とか生きていけると思います。でも、何かのきっかけで、その思いが崩されて、“人間の力を超えた何か”に頼りたいと思わされる時が来るんですよね。それが、教会へ足を運ぶきっかけになります。教会にずっと集っていた人であっても、そういった「何か」が神さまを深く理解するきっかけになるものです。
大切なのは、そのように神様のもとに戻って来た、私たちに神さまは何を与えてくださるのかということだと思います。
「教会は弱い人達が集まるところだ」「キリスト教は弱い人達の宗教だ」と言われることがあるります。でも、私は、人間はみんな弱いと思います。その弱さに気付いて、自分を支えてくださる神さまと繋がろうとしているのが私たち、キリスト者の群れだと思います。
神さまは、そうして憐れみ(助け)を求めて来た人を温かく迎え入れ、恵みと平安で満たしてくださるお方です。
このことは、私たちが“神さまの所に行く”のか、それとも“神さまのもとへ帰って来る”のか・・・これは難しい問いではありますが、いずれにしても神さまは、ご自身えを求めてくる人を喜んでくださいます。
ただ、そこで、大事なのは先ほどお伝えしましたが
その私たちに神さまは何を与えてくださるのかということです。
●聖霊を与える神
求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい。そうすれば「与えられる」「見つかる」「開かれる」。とおっしゃるイエスさまですが、ルカによる福音書を見ますと、イエスさまは、求める者に天の父なる神さまは何を与えるのかというと、「聖霊を与える」とおっしゃるんです。(ルカ11:13)
普通考えると、困っている時には解決が欲しいのですが、イエスさまは、聖霊を与えるとおっしゃいます。それは神の国と深くつながるためです。
イエスさまは、十字架にかかられる前の夜、弟子達と過ぎ越しの食事をされました。「最後の晩餐」と言われる食事です。その食事の席で、イエスさまは、まず弟子達の足を洗われました。当時、足を洗うというのは、身分の低い者がする仕事でした。なのに、「主」であり、「先生」と呼ばれる、イエスさまが弟子達の前に膝をつき、彼らの汚れた足を洗われたのです。イエスさまは、弟子たちを前にして、ご自身を低くし、僕の姿(奉仕するの姿)を取られました。そして、イエスさまは弟子達に、「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と命じられました。
そして、次に、イエスさまはこれからご自身が捕らえられ、彼らの前からいなくなることを告げられます。弟子達は、困惑しますが、その時にイエスさまがおっしゃったのは、
「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(14:16)
という約束でした。これから自分達だけになってしまうと悲しんだ弟子たちに、あなたがたの側に、永遠に一緒にいる方が来られると約束されたのです。
この弁護者という言葉ですが、ここでは、“パラクレートス”というギリシャ語がつかわれていますが、これは、「側にいて助ける者、慰める者、とりなす者」という意味があります。ここで“別の弁護者(別の)”という風におっしゃっていますが、これば全然違うという意味ではなく、同じ存在だけども私とは違うという意味なんです。つまり、子なる神(イエスさま)に変わり「助ける者、慰める者、とりなす者」がずっと側にいるようになると約束されたのです。それが「聖霊なる神さま」です。
「助ける」という意味ですが、創世記を見ますと、アダムが造られた時に神さまは、
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
(創世記2:18)
とおっしゃっています。そして、「女」を「アダム」の一部をとって創造され、アダムの側に置かれました。彼女は「妻」となり、後に「エバ(命)」という風に呼ばれます。
この創世記の中で言われている「助ける者」という言葉は、ギリシャ語で「ボエーソス」という単語が使われています。一方で、イエスさまが「永遠にあなたがたと一緒にいる」とおっしゃった“聖霊なる神さま”をあらわす言葉は「パラクレートス」でした。同じ“助ける者”ではありますが単語が違うんですね。単語が違うというか、質が違うんです。「ボエーソス」というのは、「ヘルパー(ヘルプする人)」という意味合いが強いのですが、「パラクレートス」という単語の意味は、もう少し、深い言葉でして、“側にいて、弁護し、励まし、真理を語り、支え続ける者”という意味で、その人を根底から支える存在の事を言います。
●聖霊なる神さまが内に住む
「あなたがたに助け主を与える」とおっしゃったイエスさまは、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」とおっしゃいました。ここに、助け主である聖霊なる神さまは、イエスさまと同質の神さまであることがわかります。
そして、聖霊なる神さまは、私たちと共にいてくださるお方なのですが、ただ、共にいてくださるお方ではなく、聖霊なる神さまは、わたしたちの内に住んでくださると教えてくださっています(14:17)。
聖霊なる神さまが内に住むというのを聞いたことありますか?意識したことありますか?
聖霊なる神さまが私たちの内に住まわれるというのは、聖霊なる神さまが小さくなって私たちの中に存在しているということではありません。私たちの内側に永遠の神さまを納めているというのは少しおこがましいですよね。さらに、私たちが神さまのように聖なる者となったということでもありません。私たちを聖なるものとみなしてくださり、内在してくださるということです。
ですので、「わたしは聖霊なる神さまが住んでくださるのに相応しい者だろうか(となっているだろうか)」そのように内側を吟味することを信仰の歩みの中心にしてはだめです。なぜなら、私たちは、時が来るまでは、罪人であり、イエスさまによって罪の赦しを受け続ける者だからです。
確かに、聖なる神さまは私たちの内に住まれ豊かに働かれています。それは、私たちの内に水が湧き出ているようなものなのかも知れませんが、聖霊なる神さまは、内側から働きかけ、み言葉に耳を傾けさせ目を開き、そして、罪を示し、聖餐式を通してイエスさまの罪の赦しを受けさせておられるのです。つまり、イエスさまを必要とし、繋がり続けるようにしてくださるのが聖霊なる神さまの働きです。
そして、神の恵みの実りとして、隣人に仕える者に促し、愛に生きるものへと変えられて行くのです。
教会って、聖なる場所ではないでしょうか?神さまの宮です。でも、会堂は人間が立てた建物でしかありません。しかし、ここがどうして聖なる場所なのかと言えば、ここで、み言葉が語られ、洗礼や聖餐式を通して罪の赦しが与え続けられている場所だからではないでしょうか? つまり、神さまが臨在されるからです。
聖霊なる神さまが、私たちの内に住んでくださるというのは、私たちの内側を神さまの場所としてくださり、恵みをもって臨在し、支配し、内側で働き続けてくださる場所となっているということです。実は、会堂よりも聖なる場所なんです。
●私たちを変えてくださる
教会に足を運ぶきっかけは人それぞれであると思います。わたしは、「永遠のいのち」が欲しいと思ったからです。そして、もう一つ「愛のある人になりたい」と思ったからです。人を愛せる人になりたい。生き方の土台を「愛」にしたい。そういう思いがありました。
では、教会に来て、洗礼を受けて、私は変わったのかというとそうではありません。むしろ、自分では変えることのできない弱さとか愛のなさを知ることとなりました。でも、もっと大きな喜びを知りました。それは、イエスさまが私の罪のために十字架にかかってくださり、私の罪を全て赦してくださったことでした。神さまは、“私の姿”ではなくて、“イエスさまを信じた私”を見て義としてくださいました。そして、今も、み言葉と聖餐を通してずっと関わってくださっていることが分かった時、とても平安になりました。
神さまが内に住んでくださる大きな意味は、私たちを聖なる存在として受け入れていくださって、聖なる者とし続けてくださっていることにあります。さらに、イエスさまを見させてくださっているところにあります。
聖霊なる神さまが内に住んでくださり、私たちを内側から少しずつ変えてくださっています。その変化は劇的な変化ではありません。でも、聖霊なる神さまの働きは確かにあり、私たちに罪を示し、キリストを示し、罪の赦しを得させます。そうした歩みの中で私たちは少しずつではありますが成長していきます。
今日の聖書箇所でイエスさまは「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」と言われました。この“掟”とは、「互いに愛し合うことです」。イエスさまを愛したいという思いがあっても、掟を心から守る力が自分にはないことがわかります。でも、イエスさまを愛したいという思いがあること自体、神さまの業です。そして、罪の力と赦しの力に気づかされることも聖霊なる神さまの働きなんです。
聖霊なる神さまは、「あなたの愛はそれで十分か」と問い詰めるのではなく、「イエスさまの愛があなたを包みこんでいる」と福音の言葉を聞かせてくださいます。そして、悔い改めと罪の赦しを通して、神さまは、私たちを少しずつ造り替えてくださいます。そして、愛に生きる者、人に仕える者、すなわち、イエスさまの似姿へと造り替えてくださいます。
●聖霊を与える意味
イエスさまは、「求めなさい。探しなさい。門を叩きなさい」「そうすれば与えられる」と言われました。これはとても希望のもてる言葉です。この言葉に対してイエスさまは「求める者には天の父は聖霊を与えてくださる」と言われました。私たちからすれば、「すぐに問題の解決が欲しい」と願います。神さまは解決する前に、私たちに一番必要な、パラクレートスな存在、つまり、ずっとそばにいて、私たのために弁護し、助言し、励まし、助けてくださる方をくださるのです。
このパラクレートスというのは、法定用語で弁護士のような人のことだそうです。つまり、人生に大きく関わる重大な事柄に対して、助けとなる人です。私たちにとって、本当に助けが必要な時には、そういった専門知識を持った人が必要なはずです。神さまは、ご自身と深い交わりの中にわたし達を置きたいとまずねがっておられます。その交わりがあれば、必要としていたものが全て加えて与えられて行くのです。
今日は、わたしの内側は神さまの場所だって思っていただければと思います。
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使徒信条
使徒信条によって信仰を告白します
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
讃美
主の祈り
イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
頌栄
最後に
主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。
最後にお祈りをして礼拝を閉じてください