挨拶(ライブ配信)
2026年、新しい年が始まりました。神さまを恵みはいつも私たちを覆っています。その恵みを信頼して歩んで行きましょう。
それでは、礼拝の時をお持ちましょう。
前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック)
前奏
今週のお祈り
・新しい年、良い事が沢山ありますように。
・総裁に選ばれた高市氏が良い政治を行ってくださるように。
・世界の戦争が早く終結しますように。
讃美
戒め・罪の告白・恵みのことば
愛の戒めを朗読しましょう
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
み言葉を朗読しましょう
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。
罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
以下のことばを朗読してください
一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン
みことば(名を呼ぶ声)
2026年 1月4(日)降誕節第2主日礼拝
エレミヤ 31章 7~14節
エフェソ 1章 3~14節
ヨハネ 1章 10~18節
江利口 功 牧師
街中を歩いていますと、本当にいろいろな音や声が耳に入ってきます。でも、その一つ一つの音や声を、私たちは認識しているわけではないと思います。でも不思議ですね。「チャリン」という音がすれば、その音を聞き分けて「お金が落ちた」って体が反応してしまうんですよね。これって、私に限ったことではないと思います。
また、雑踏の中で、色々な人の声がある中であっても、誰かが「お父さん」と呼ぶと、その声を拾ってしまうことがあります。特に、子供の声に似ていると、無意識に体は反応してしまうんですよね。これ、たとえ声が似ていても「おじいちゃん」と言う声には私は反応しません。
もっとすごいなと思うのは、赤ちゃんはお腹の中にいる時から、母親の声を認識し始めているそうです。ですので、生まれた時には、母親の声を知っているんですね。ですので、赤ちゃんは母親の声を聴くと安心するそうです。
赤ちゃんは、言葉を理解しているのではありません。でも、生まれてくる時に自分の命の源である声を認識して生まれてくるんです。
実は、救いもこれと似ています。私たちは、自分の力で神さまを選び取るのではなくて、「キリストの言葉(イエスさまの招きの言葉)を聞くことによって」私たちは目覚めるのです(ローマ10:17)。
このことと深く関係したことをイエスさまはおっしゃっています。イエスさまはおっしゃいました。「羊飼いは羊の名を呼ぶ」「羊は羊飼いの声を聴き分ける」「羊はその声を知っているので羊飼いについていく」これが、神と私達の関係を表しています。聖書は、私たちがキリスト教を選んだのではなく、神が私達を御許に集めておられると教えています。
今日、皆さまにお話ししたい、「神の選び」ということとも深く結びついています。
信じるということは、私達人間の力で生み出せるものではありません。人が造りだせるものではなく、神さまの創造的なみ業なんです。
エフェソの信徒への手紙にこのような言葉があります。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(1:4)
「天地創造の前に・・・お選びになりました」とありますが、ここでパウロが伝えようとしているのは、「いつ、私たちが選ばれたのか」という時間のことを言っているのではありません。パウロが伝えようとしているのは、「救いは偶然ではないんです」ということ、「あなたが頑張ってたどり着いた」のでもなく「親がクリスチャンだったので」ということでもなく「永遠の昔からの神の選びだった」とパウロは語っているんです。
そしてもう一つ大切な言葉があって、それは「キリストにおいて」という言葉です。神さまの選びは、「キリストの愛を通して豊に現されました・・・」このことを語っているのです。
まさに、このことが恵みであり、福音の本質なんです。
この慰めに満ちた福音の本質ですが、なかなか伝えにくいんですね。たとえば、こういう風な感じの証しを聞くことがあると思います。
「わたしは人生に悩んでいました。その時、友人に誘われて教会に行きました。そして、聖書の話を聞いて、学んで、イエスさまを信じようって決心しました。聖書を信じて、み言葉に従って生活するようになり、喜びに満ちてに生きることができるようになりました」
このような証しを聞きますと、主の素晴らしさを賛美したくなりますよね。この証は、とても分かりやすくて、福音の素晴らしさを表現しているのですが、ここに一つの危険があります。
それは、救いの物語の「主体(主語)」が、知らない間に「私」になってしまうことです。
先ほどの証し、
「わたしは人生に悩んでいました。その時、友人に誘われて教会に行きました。そして、聖書の話を聞いて、学んで、イエスさまを信じようって決心しました。聖書を信じて、み言葉に従って生活するようになり、喜びに満ちてに生きることができるようになりました」
この言葉は、
「私が人生に躓いた時」「私の友達が教会に誘い」「私が教会に行こうと決めて」「私が友人と一緒にいったら」「そこで聞いた話に私は感銘を受けて」「私は学び」「私は信仰を持った」という風に「私が主体」として、聞こえてきますよね。
間違ってはいなんです。このような時の流れを通して多くの人が救われて行きます。とても良い証です。ただ「福音」の本質を表現しきれていないんです。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(1:4)
パウロは、福音を語る時に、主体を「神」にしていますよね。他にもパウロはこう言っています。
11節「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」
13節「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」
14節「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」
今日、お読みした、ヨハネも福音を語るときに、主体を神にすることを徹底しているのが分かります。
10節「世は言によって成った。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。」
11節「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」
12節「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」「この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」と言っています。
「私は信じた・・・」「素晴らしさい気づいて信仰を持った・・・」これは間違いではありません。ただ、信仰が偶然だったり、私の人生の中でのあるきっかけであったりするなら不安定になってしまいます。
「聖霊が、福音によって、私たちの目を開き信仰へ導いてくださった。」
これが事実ですし、実は、主体を神さまにすることは、私達の人生を大きくかえる力となるんです。また、何かあった時の大きな慰めにもなるんです。
さて、私たちは、昨年、「神と人とを繋ぐ」という標語を掲げて一年間歩みました。私たちは、何とか、周りの人に信仰を持ってもらおうと頑張ります。でも、中々、信じてもらえないもどかしさも経験されてきたと思います。外国にはこういう言葉があるそうです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
これは一般的には、「人に助言しても、それを受け入れるかどうかはその人しだい」「環境を整えてあげることはできても、私達には、その人の意志までは支配することはできない」そういったことを言うことばです。でも、これは、信仰の一面も現していると思います。
私たちは、福音の素晴らしさ、力を良く知っています。神の愛、キリストの愛も実感しています。水辺というものがどれだけ素晴らしいものであるのかを私たちはまず実感しています。その上で、人を水辺に招くんです。
しかし、そこからは、神の業です。
確かに、信仰を無理に起こさせることはできません。けれども、神の御言葉は「聖霊が働く」ことによって人に信仰を呼び起こすのです。ここに、「名を呼ぶ神の声と応答する人の魂の関係」があります。
確かに人は拒むことはできます。宣教することに無力さを感じることも多々あります。ただし、私たちは、神の声はその人に信仰を呼び起こすということを信じて、水辺に招くことに励むんです。一緒に、この水を飲んで欲しいという願いを持って水辺に招くんですね。
そこからは、神さまとその人との関係です。人は拒む力を持っています。それは罪が人を支配しているからです。
私たちは「信じたらこうなりますよ」という語り掛けをしがちですが、「神さまがあなたを守ってくださっているから大丈夫ですよ」という神さま主体に表現が大事です。また、「こんなこと言って大丈夫かな」と思ったとしても、勇気を持って「あなたの罪のために、キリストは十字架にかかってくださいましたよ」という風に言う勇気が必要です。
もしかしたら、「あなたの罪のために、キリストは十字架にかかってくださいましたよ」と言える状況(言える環境)に持っていくのが福音宣教の第一歩なのかも知れません。
今日、色々なことをお話しましたが、
『あなたは生まれる前から神に選ばれキリストの愛に包まれていました』
このことを忘れないでください。これは、魂を潤す水のように、あなたの生きる力となります。
(祈り)
私たちの創造主であり、救い主である神さま。あなたは不思議なみわざによって私たちを造られ、さらに、御子が人となられることによって、私たちの人間としての姿を、なおいっそう豊かに回復してくださいました。どうか、私たちが、私たちと同じ者となってくださったキリストのうちに、いつも生きる者でいさせてください。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。
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使徒信条
使徒信条によって信仰を告白します
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
讃美
主の祈り
イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
頌栄
最後に
主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。
最後にお祈りをして礼拝を閉じてください