挨拶(ライブ配信)
本日は、子供祝福式を礼拝の中でいたします。子供たちが神さまの祝福を実感して歩んで欲しいです。
それでは、礼拝の時をお持ちましょう。
前奏をお聞きください(ライブ配信は↓のボタンをクリック)
前奏
今週のお祈り
・教会員の方々の健康が守れますように。
・総裁に選ばれた高市氏が良い政治を行ってくださるように。
・世界の戦争が早く終結しますように。
讃美
戒め・罪の告白・恵みのことば
愛の戒めを朗読しましょう
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい。これが、いちばん大切な第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。
み言葉を朗読しましょう
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
(ヨハネの手紙1 1章8~9節)。
罪の告白と憐みを願います。以下を朗読してください
全能の父なる神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない憐みにより頼みます。憐み深い神よ。み子イエス・キリストのゆえに、すべての罪を赦してください。聖霊によって、主と主のみ旨についてのまことの知識を与え、また、主のみ言葉への従順な心を私たちに与えてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。
以下のことばを朗読してください
一人の御子、イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された、憐み深い神は、罪を悔い、御子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださいます。アーメン
みことば(主の教えとゆるしに生きる)
【子供への説教】
この絵を見て欲しいんです。これ、わかります?これは、ある橋があって、その先には、明るい場所があるけど、これが天国なんです。そして、この崖の下は、火が燃えていて、そこが地獄なんです。先生は、小学生の時に、この絵とは違って、もっと簡単な絵だったんだけど、この絵から、天国と地獄の話を聞いたんです。
先生は、その時に、良い子になって、天国に行こう!だから、頑張ろうって思いました。
中学生の時に、聖書をもらって、その時から、聖書の神さまだけを信じるようになりました。聖書には、してはならないこと、しなければならないことが沢山書いてあって、先生は、その時、これを全部守るのは無理だなって思いました。だから、教会に行くことはありませんでした。
大学生になって、先生は、教会に行こうと決めました。そして、洗礼を受けて、良い人になれるように頑張ろう!そして、天国に行くんだって思いました。
でも、教会で聞く話は、何か違っていたんです。良い人になったら、天国に行けるって思っていたんですけど、そうではなくて、「イエスさまを信じたら、天国に行けます。そうではなければ、天国に行けませんよ」って、教えられたんです。
良く見ると、天国へ行くためのこの橋が、十字架になっているでしょ。
先生は、ずっと、神さまが見て、正しい人、間違いのない人、優しい人、怒らない人、いつもニコニコしている人、そんな素晴らしい人だけが天国に行けるのかなって思っていたら、そうではなかったんですね。イエスさまを信じたら、天国に行けるんです。どうしてだと思いますか?
私たちはみんな罪人で、誰一人神さまが見て、「よし」って言ってくれるような人は、いないんです。誰も自分の力では天国に行くことができないんです。(みんな一緒)
実は、イエスさまは、私たちの罪の全部を背負って、十字架で死んでくださったんです。「そのことを信じた人」、「神さま、ありがとうございます。イエスさまありがとうございます」って言う人だけが天国に行けるんです。
イエスさまは、「信じて洗礼を受ける人は救われます」って約束してくださいました。それは、洗礼を受けた人は誰もが、みんな同じように、どんな人であっても、天国に行けますよって約束してくださったんです。優しいですよね。
イエスさまを信じるというのは、イエスさまの教えに従って生きることもでもあります。でも、教えに従って生きるというのは、天国に行くためではなくて、周りの人を幸せにしていくためなんです。
イエスさまの教えに従う人は、豊かな実を結びますって聖書に書いてあります。
ぶどう狩りに行ったことありますか?先生は、何度かありますが、まず、思うのは、沢山実っている~って驚きです。そして、食べて思うのは美味しい!ってことです。沢山実っているぶどうの木もすごいけど、それを食べている人の笑顔っていいですよね。
先生は、昔、これをしてはだめです。これをしなさいという聖書の教えって、自分がいい人になって、天国に入るためかなって思っていました。でも、違うんですね。もちろん、自分も良い人になりますが、周りの人の顔に笑顔が溢れてくるんです。
周りの人が、びくびくしているよりも、周りの人が笑顔で集まっていると嬉しくないですか?その方法を聖書は教えてくれているんです。
聖書を信じて歩むって、実は、豊かな実を結び、喜びを周りに残していくことなんですね。それだけではありません。
恐れず、勇気を持つこともできます。
今、暗証聖句で、「死の陰の谷を行く時も、わたしは災いを恐れない」という言葉を覚えています。
先生は、怖い事沢山ありますが、この暗証聖句が伝えようとしていることわかるような気がします。神様を信じたら、イエスさまを信じたら、恐れないようになるということだと思います。
聖書って、ただ、良い事が書いてある本、ただ、天国に行くための本ではなくて、豊かな実を結ぶ人になり、そして、恐れなくなる人になるための本でもあるんです。
いいこと、いっぱい詰まっているのが聖書です。是非、聖書をちょっとずつでもいいから、大きくなってもずっと、離さず、読んで欲しいと思います。
【大へ人の説教】
ある家の庭に一本の木がありました。その木は、季節ごとに美味しい実をならせていました。その家の子供たちは、毎年、その実を食べることを楽しみにしていました。
けれども、長い年月が経つうちに、店には、色々な国の果物が並ぶようになりました。子供たちは、次第にそちらを喜ぶようになり、いつしか、庭の木の実を食べることはなくなりました。「この実よりも、あの果物の方が美味しいよね」と言うようになったのです。
それでも、木は、毎年、昔と同じように、実を実らせ続けました。ただ、その実は地面に落ちるだけで誰も食べようとしませんでした。
そして、とうとうその木を切ることになりました。「もう、必要ないだろう」と考えたからです。
ところが、その木を切った年の夏、記録的な猛暑になりました。庭の木陰がなくなった家は、強い日差しに、じりじりと照らされるようになり、家を冷やすために、クーラーをつけっぱなしにしなくてはならなくなりました。また、一緒に住んでいたお年寄りも、その暑さで、体調を崩しかけました。お父さんは、その時初めて、見向きもされなくなった木が、実は家族を静かに守ってくれていたのだと気づかされました。
思い起こすと、昔、大雨が降り、周りの家が水害にあった時、その家だけは、崩れることもなく、被害を受けずに済んだことがありました。後になって分かったのですが、その木の根が地中深くに張り巡らされていて、家や庭を支えていたのでした。
木を切った後、ある年、世界中が不作で、店から果物が殆ど消えてしまいました。お父さんは、その時、「庭の木があれば、実を食べることができたのに」と木を切ったことを深く後悔しました。
しかし、何年かたち、ふと、庭を見ると、小さな芽が出てきました。良く見ると、それは、その木がずっと落とし続けて来た実の種の一つが芽を出したものだったのです。その芽は、少しずつ、大きくなり、やがて、立派な木になり、再び、実を実らせるようになりました。
その家のお父さんは、その木を大切に育てるように子供達にも教えたのでした。
私は、神さまの愛というのは、この木のようなものではないかと思います。人が振り向かなくなっても、見向きしなくなっても、変わらずに、愛を注ぎ続ける(実をならせ続ける)お方。私たちを守り、支え、恵みを与え続けておられるお方です。
そして、聖書のことばも、「地味に見えるかも知れませんが、私たちを守り続け、支え続ける命の書」なのだと思います。
そして、聖書の言葉は、実は、み言葉に生きる私たちをも、そのような愛に生きる姿へと変えて行きます。聖書の教えは、自分が美しく見せたり、人気者にするための教えではありません。周りの人を豊かにする、陰ながらに支える。また、相手を大きな懐で受け入れていく・・・そのような姿へと私たちを変えて行く教えだと思います。
昔の私は、「良い人になりたい」と思って、聖書の教えを聞いていました。でも、その根底には、「人から良い人だと思われたい」という思いが隠れていたのだと思います。そのような愛は、振り替えて見ると、どこか独りよがりの愛だったなって思います。
でも、本当の愛というのは、人に認めてもらうために何かをすることではなくて、振り向かれなくても、感謝されなくても、同じ愛を注ぎ続けるものではないでしょうか?
聖書は「こうすれば、天国に入る」という指南書ではありません。「神の家に帰ってきなさい」という、無条件で迎え入れてくださる神さまからのメッセージです。
イエスさまはこうおっしゃいました。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
イエスさまは、「悔い改めて、律法を守りなさい」とはおっしゃいませんでした。「悔い改めて福音を信じなさい」とおっしゃいました。。「福音を信じなさい」とおっしゃったのです。
ルターは、このイエスさまの言葉について、「信じる者の全生涯が悔い改めであることを、キリストは望まれた」と言っています。悔い改めとは、一度きりの出来事でも、ある時だけの特別な決心でもありません。天国に入る日まで続いていく、神さまとの歩みそのものだ、というのです。
洗礼によって、私たちは罪の赦しを得、完全に自由にされました。けれども、自由であることと、「好きなように生きる」こととは同じではありません。人の罪は、この二つを、よく混同してしまいます。
本当の自由とは、「愛のある生き方」を求め続けることです。
私たちは、生涯、み言葉によって教えられ、歩みを正され、そして、豊かな実を結ぶように整えられて行きます。同時に、神さまの大きな懐に抱かれて生きます。そのような歩みことが、「悔い改めて福音を信じる」生涯なのだと思います。
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使徒信条
使徒信条によって信仰を告白します
われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。われは聖霊を信ず。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのちを信ず。アーメン。
讃美
主の祈り
イエス様が教えてくだった祈りを祈りましょう
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
頌栄
最後に
主イエスキリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さまと共にありますように。アーメン。
最後にお祈りをして礼拝を閉じてください