左は本祭、曳山巡行の朝に曳山が天孫神社前に集合している場面です。

かつて大津祭は、天孫神社の旧社名にちなみ四宮神社例大祭ともいわれました。

江戸期の慶長年間(1596年〜1615年)に鍛冶屋町在住の塩売治兵衛が狸の面をつけて踊った事が現在の曳山巡行につながっています。



大津祭の曳山元祖である「西行桜狸山」は寛永十五年(1638年)の創建と伝えられています。

安永五年(1776年)創建の「月宮殿山」まで約140年を経て14基の曳山が建造されました(13基が現存)。

「三輪形式」や「からくり」が共通の特徴となっています。



大津祭は九月十六日の鬮取式(くじとりしき)から十月十六日の奉告祭(ほうこくさい)まで一ヶ月に渡る行事ですが、中心となるのは宵宮と本祭(曳山巡行)です。

かつては宵宮が十月九日、本祭が十月十日に執り行われていましたが、体育の日の移動に伴い、体育の日の前々日に宵宮、前日に本祭となりました。

今でも関係者は、ついうっかり「十日の用意はできたか?」などと口がすべることもあります。左は宵宮の様子です。



曳山巡行は江戸時代から変わることなく人力にてまかなわれています。

一基の曳山につき、おおよそ綱引き方が25名、囃子方が20名、山方が10名、警護方が6名程度かかわっています。

また各交通機関の関係者を含め本当に多くの人々に支えられています。



左は商店街のアーケード側へ転回しているところです。

重量3トン〜4トンの曳山をスムーズに転回させるのは大仕事です。

大津は今も昔も坂の多い町並みです、
曳山が三輪形式なのは坂の多い街中を巡行するのに適していたからかもしれま
せん。



大人も子供も皆一心に楽しめるのが祭の良いところ。

さて、本年も好天を念願しつつ!

まつり、まつり、と待つのが祭・・・