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研究報告
天野恵:騎士道と火器(3) [4/6]
もっとも、これ以前の騎士の華やかなりし時代でも、歩兵にとっての戦争というのは恐らくこれと変わらないくらい凄惨なものだったのではないかと小生は思う。
騎士たちにとって歩兵や農民の命などまったく問題にならなかったことは、彼らが必要とあらば何の躊躇もなく味方の歩兵を軍馬で蹴散らし、踏み潰しながら突撃や移動を敢行したことからも明らかだし、他ならぬアリオストの作品中にもそういう「平民の命はタダ」というメンタリティーを明瞭に示すくだりを見つけ出すことは容易である。
ただ、そういう一般人の置かれた状況については、いわばそれが当然と考えられていたからだろうが、あまり話が伝わっていないのに対して、貴族であった騎士にとっては、スイス歩兵の出現によって戦闘における自分たちの致死率が以前よりもグンと上昇し、しかも同じ階級に属する貴族にやられて名誉の戦死を遂げるのではなく、どこの馬の骨ともつかぬ無名の百姓どもの手にかかって死ぬわけであるから、オオ、何とむごい死にざま!昔はこうじゃなかったのに...ということになったのだろう。
こう考えてみると、やっぱりスイスは直接民主主義の国で、スイス歩兵の活躍は封建社会の民主化に一役買っていたのだ、というような気がしてこないでもない。
ただ、このあたり、百姓の子に生まれたばかりに、お侍に斬り捨て御免とやられても何も言えず、赤ん坊を間引き、娘を売り、老いた父母を山に捨て、それでも冷害の年には飢え死にするしかなかった江戸時代の農民の境遇と、赤紙一枚で狩り出され、制海権も制空権もない海域で敵の攻撃にさらされて沈没することが出発する前から分かっているような輸送船の蚕棚に詰め込まれたまま、あとからあとからと阿鼻叫喚の中で溺れ死んでいくしかなかった近代日本の国民だか臣民だかのそれとを比較して、一体どちらの社会がより民主的だったのだろうかと考え込むような、何かただただ暗澹とした気分にさせられるだけで簡単には答えの出そうにない、と言うか果たして正しく設定された疑問なのかどうかさえよく分からない大問題に踏み込んでしまいそうので、おとなしく話をルネサンス期のスイス歩兵に戻すことにしたい。