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イタリアアルテ津々浦々
Ottorino Respighi
(カラヴァッジョ「リュートを弾く男」)
オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)はボローニャ生まれの作曲家で『ローマの噴水/松/祭り』の≪ローマ三部作≫で知られる。彼の才能はまずヴィオラ奏者として花開き、21歳でサンクト・ペテルブルク歌劇場の首席奏者となった。また、そのロシアの地でリムスキー・コルサコフに作曲法、管弦楽法を師事するようになったことが、レスピーギの創作に大きな影響を与える。師の近代オーケストレーションの技法を吸収し、華麗に展開してみせたのが、≪ローマ三部作≫であった。
一方でレスピーギの別の一面を見られるのが『リュートのための古風な舞曲とアリア』である。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の図書館で中世からルネサンス、バロック期にかけての作曲家について調査していたレスピーギは、イタリアの音楽学者オスカー・キレゾッティによって編纂された16世紀のリュート曲集に目を留めた。その中からいくつか見出したダイヤモンドの原石に、彼なりのアレンジを加え、新古典主義風にオーケストラの曲として再生させたのである。特に第三組曲の第三楽章「シチリアーナ」(原曲はSpagnolettaというタイトルで知られていたらしい)は、おいしそうなパスタの映像といっしょにCMにとりあげられたこともあるので、日本でもおなじみの曲かと思う(リュートによる演奏だった気がするので、「シチリアーナ」ではなくSpagnolettaと呼ぶ方がいいのかもしれない)。
レスピーギの作品の方は何枚もCDが出ているだろうから良しとして、今回イタロマニアのBGMとて流しているのは、レスピーギの作品のfonteとなったリュート曲集から、作者不詳の「イタリアーナ」。もともと繰り返し付きの8小節のガリアルダ(16,17世紀に流行した三拍子の舞曲)だったが、写本の編纂者がLa Cesarinaという曲の初めの部分を誤ってくっつけてしまったため、原曲+アルファで現在の「イタリアーナ」ができている。弦のピチカートの美しいレスピーギの「イタリアーナ」の方がどこか哀愁が漂っていて個人的には好きだけど、リュートの方が音色が明るく晴れやかで、まさに“イタリアーナ”な感じがする。日の目を見た古の小品のその豊かな表情は、オーケストラの響きに決して負けていない。
Giovanni Boccaccio
偉大な著作家で、自ら描いた絵まで残した者がどれだけいるだろう。
『デカメロン』で有名なジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-75)はそんな一人である。作家自身がその物語にどんなイメージを持っていたのか探りたい、などといった真っ当な目的はなくとも、「どんな絵を描いたのかなあ、ほんとに上手なの?」といったちょっとした好奇心がそそられる。
ボッカッチョ自らが18の挿絵を残しているのは、パリの国立図書館(BNF)所蔵の写本P(codice parigino italiano 482)。1365年から67年、つまりボッカッチョが死ぬ10年ほど前の頃のもので、持ち主はボッカッチョ家とつながりのあったフィレンツェの家系である。テキストを筆写したのは、後にフィレンツェのプリオーレになったGiovanni d’Agnolo Capponi。写本Pは1370年頃の自筆手稿Hamilton 90(ここにもボッカッチョ自身の挿絵あり)に先立つものであり、かつボッカッチョの手元にあった写本…ということで、文献学者たちに非常に注目されている写本なのである。
(France, Rouen, 15世紀に作られた
写本より。BNF所蔵)
暗褐色のインクで濃淡のつけられた挿絵は、シモーネ・マルティーニなど14世紀の一流の画家のような華麗さには到底及ばないが、こちらはこちらで味わい深く、威圧感がなくて親しみやすい。伸び伸びとした自由なタッチは、『デカメロン』の文体にもどこか通じるところがある。まさに「ボッカッチョらしい」絵である。きっとボッカッチョはsimpaticoな人だったんだろうな、と思わせてくれる。暑さを避けてこの場にやってきた10人の若者たちが、輪になってnovellaを語ろうとしている場面から、心地よい微風と新鮮な草の香り、そして彼女たちの陽気な声がこちらまで伝わってくる気がする。
Cremona (Lombardia)
(CremonaのDuomo)
ミラノから電車で約1時間、クレモナに着く。16世紀初頭にヴァイオリン製作が始まり、それ以降、ストラディヴァリウスやアマティ、グァルネーリといった名器を生んだことで知られる。初期のオペラを代表する作曲家モンテヴェルディの生まれ故郷でもある。今も弦楽器の工房が数多くあり、ヴァイオリン製作を志す者やクラシック音楽ファンの訪問があとを絶たない。美しいコムーネ広場を中心に、中世の面影を残す赤茶色のクレモナの町は、私たちを優しく穏やかな気持ちにさせてくれる。

ジョヴァンニ・ボッテジーニ(1821-89)はクレモナ近郊の町クレーマで生まれ育った。彼の音楽人生はなかなか華々しい。1871年、カイロで行われた『アイーダ』の初演でヴェルティから指揮を任されたのは彼であった。
コントラバスの名人でもあったボッテジーニは、普段は縁の下の力持ちであるその楽器を、堂々の主役にまでした作品を多数残している。「コントラバスのパガニーニ」と称されることからも分かるように、彼の作品はいわゆる難曲で、演奏者に非常に高度なテクニックを要求する。だが決して曲芸を誇示するようなものではなく、コントラバスという楽器の性格でもあるのだろうが、
聴く者の心を魅了する、しっとりとした音楽である。その息の長く美しい叙情的な旋律は、ロンバルディアの小都市の赤茶色を一層輝かせる夕暮れのごとく、時の流れを一瞬止めてしまうかのようだ。
参考作品 G. ボッテジーニ : エレジー、夢想、ガヴォット 等
(上:かわいらしいクレモナのお土産
左:Domenichino「Santa Cecilia e Angelo con spartito musicale」(part.)のバス・ヴィオラ・ダ・ガンバ)
Acireale (Sicilia)
(Duomo)
カターニャの北、エトナ山を背景にイオニア海を臨む小さな町アチレアーレ。その歴史は古く、フェニキア人との交渉により繁栄したXiphoniaという都市が、アチレアーレの確認できる最初の記録である。
他のシチリアの町と同じように、アチレアーレもエトナ山の噴火や大地震、他民族の侵入という過去を歩んできた。1693年の大地震の後の再建により、バロックの建築物が町並みを統一している。カーニヴァルのお祭りはシチリアで最も素晴らしいと評判高い。
美しい景観に恵まれたこの地には、こんな伝説がある。
河神シュマイトスの孫アキスと、海のニンフ、ガラテイアはエトナの山裾で愛し合っている。ところが恐ろしい一つ目の巨人ポリュペモスもガラテイアを追い求め、ついに二人は見つかってしまった。怒り狂った一つ目の巨人の雄叫びはエトナ山をも震撼させる。怯えて海にもぐりこんだガラテイア、その一方で、逃げ迷うアキスは、巨人が山をもぎ取って投げてきたので、その岩の下で押しつぶされてしまう。悲嘆に暮れるガラテイアは、愛するアキスの身体から流れ出る血を澄んだ川の姿に変えた。今もアキスと呼ばれるその川のせせらぎは、二人の永遠の愛を奏でているのである。
観光地化されていない、静かなアチレアーレの高台に上れば、遠い昔を偲ばせる海の風を感じられるかもしれない。
参考図書 Ovidius, METAMORPHOSES XIII

(Chiesa di
SS. Pietro e Paolo)

(Corso Umberto)