1619年、安芸・備後国を治めていた福島正則が無断で城を修繕したことで信濃川中島へと転封されると、毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑えとして、徳川家康の従兄弟・水野勝成が備後国東南部と備中国西南部の10万石を与えられ、転封、1620年に福山城築城に着手する。
築城には伏見城(山城国)の遺材も多数用いられ、伏見櫓、月見櫓、多聞櫓なども移築された。築城開始から約3年で完成に至った福山城は、5層天守、3重櫓7基を含む20以上の櫓を持ち、10万石のお城としては異例の巨城であったといえるだろう。