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         デフレ・インフレの一般理論
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2007年02月20日 デフレの経済では、努力が報われない社会である。

デフレは努力が報われない社会である。

経済的な意味での努力が、報われるか報われないかはその労働に対して得られる資金の価値の多さにおいて測られる。この問題提起はデフレやインフレ、及び正常な経済において努力が報われるかどうかの問だと思う。

資金量を縦軸に取り、生産量を横軸にしてその描く45度の線を所得線とすると、この時生産物に対してその資金の価値は1対1になる。ケインズやアダムスミスが分析している経済はすべてこの正常な経済であり、しかも一定量の雇用量から貯蓄も存在する経済である。この場合を基準にして生産量すなわち努力量に対して、得られる資金量を1対1とする。
しかしここで資金量が生産量に比べて大幅に減ると、所得線が45度以下になる。貯蓄量以上に資金が市場からなくなるとデフレになる。
この時資金の価値と生産物の価値が変わり、デフレでは生産物の価値が1に対して資金が1以下になる。これは明らかに正常な経済状態における生産物に対してその対価である資金が減っていることを意味する。

それ故デフレにおいては、生産量に対して、あるいは、労働量に対して、あるいはまた努力量に対して、資金量が正常な場合におけるものより少なくなる。
努力が報われないのがデフレ社会であると言えるだろう。
デフレにおいてはあらゆる生産要素の価格が、資金量の減少と共に下がっていく。そしてデフレ特有の現象として、価格が下がっても生産量は下がらず反って増えていくのである。

これは労働量においも同じである。普通の経済状態であれば、賃金が下がれば、労働者は他の賃金のよい企業に移るが、デフレでは他も同じように下がっているため、労働が移動せず、賃金の低下にもかかわらず、より以上に働かねばならない。それが低賃金の過剰労働となって現れている。デフレにおける労働の生産曲線は資金に対して右下がりである。
同じ1万円を稼ぐのにデフレでは正常な経済状態の時よりも多く働くか、努力しなければ手に入らないのである。

これは労働者だけでなく、経営者や資本家にも当てはまり、彼らも経営者利得や、不動産利得が正常な場合に比べて、少なくなる。会社も同じで、株式が下がり本来の価値より低く評価され外資などから買収され易くなる。デフレでは、あらゆるものが
資金に対して過小になり、より多くの努力が必要となる。おもしろいことにさらにみんなが努力すればするほど、稼ぎが少なくなるのである。これがデフレの正体である。
それ故、デフレは、努力が報われない社会である。これは完璧に言える。

疑問があれば「デフレインフレの一般理論」を参照してください。