| 弥生時代中期後半(紀元前1世紀ごろ)の銅鐸の石製鋳型片が見つかった。(田原本町教委9月24日発表) 同遺跡では土製の銅鐸鋳型片が約100点出土しているが、石製鋳型は2点目。石製鋳型は土製鋳型より以前に使われたとされ、銅鐸の鋳造技術の変遷を知るうえで、重要な発見という。 鋳型は縦9.6cm、横8.2cm、厚さ5.7cmの砂岩製。弥生後期〜古墳時代の土層から出土したが、鋳型として使われた後に砥石に転用されており、弥生中期後半ごろの鋳型らしい。表面には、同心円状の半円を多数描いた「重弧文」という銅鐸の模様が刻まれていた。発見場所の南東約20mの溝からは1977年に、同遺跡で1例目の石製鋳型が出土しており、二つの破片は元は一つの鋳型のものとわかった。 破片の大きさや模様から、元の鋳型は高さ55cm、完成した銅鐸は高さ45cm、縦横の帯状の模様「4区袈裟襷(けさだすき)文」に「重弧文」を合わせた模様になると推定されている。しかし、この鋳型で作られた銅鐸はまだ見つかっていない。 同遺跡では弥生時代中期後半〜後期初頭に土製鋳型が使われたことがわかっている。土製鋳型は石製より銅鐸の大量生産に向いており、土製鋳型使用への技術革新が起きる直前、石製鋳型の最終段階のもの。銅鐸の形がほぼわかったことで今後の調査の重要な資料だという。 参考:毎日新聞9月25日朝刊 |
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