稀代の大錯覚者鈴木大拙

 私は鈴木大拙には何の遺恨も怨みもない。だが彼の禅理論は全て誤った独善的理論であり、禅の極意に到達した私としては誤った禅理論が世界に蔓延することは放置できなかった。

 鈴木大拙は誤った禅理論を世界に発進し、後進の多くの禅を学ぶ人たちを迷わせた張本人といっても過言ではない。大拙の誤った禅理論のせいで、禅の世界では問いと答えが一体となるような風潮が大いに見られ、禅を指導していた師家の苧坂光龍は、その誤った見解を真に受けて、「帆掛け舟を止めてみよ」という公案に対して、自らが立ち上がって帆掛け舟になりきって止まる事を実演したそうである。このような誤った見解が禅林に横行しているとしたらまさに噴飯ものである。

 大拙は、問いを解くとは、それと一つになることである。と言う。しかし、一つになるそぶりのできる公案ならまだしも、一つになるそぶりのできない公案はどう解くというのだろう。「南泉斬猫」「香厳上樹」「趙洲洗鉢」と一つになるそぶりの出来ない公案はゴマンとある。禅の師家や修行者はその矛盾を疑問に思わなかったのだろうか。

 新しい仏教理論や新しい解釈などは一切マヤカシであるといっても過言ではなく、だから臨済も、一通りの学説をでっちあげ、得意になって人に説き示す禅学者や禅僧が数多くいるのでくれぐれもそういった者に惑わされてはならないと警告しているのである。

 
悟りとは、説くものもなく、示すものもないのが本道であり、悟りに到達した禅匠は誰しも、悟りに至るべきヒントは与えても、悟りとはああだこうだと述べることはしない。何故ならば、説くものもなく、示すものもないものを説くことは二律背反になるからである。悟りに至らない者ほどマヤカシの理論を述べるのである。しかし、説くものもなく、示すものもないものをああだこうだと説けば説くほどとてつもない矛盾を説いているという理屈になるのだ。その筆頭が鈴木大拙である。

 鈴木大拙を称賛する仏教学者や仏教評論家は未だに後を絶たないが、説くものもなく、示すものもない物を説いている大拙に矛盾を感じる者が一人もいないという事はそこまで仏教学者や仏教評論家は馬鹿なのかと呆れ返る。

 禅の極意に到達した者は、六祖慧能、南嶽、馬祖、南泉、趙洲、百丈、雲門、黄檗、臨済、その他ゴマンと居るが、彼らの誰一人として新たな仏教理論を述べた者が居るだろうか、否である。

 真に悟った者は黙して悟りの本道を貫くのである。仏教の真髄を知らない者だけがああだこうだと言い出すのである。維摩の一黙雷の如しとはこのようなことを言うのである。

 
 大拙は知ったかぶりに、釈迦が悟ったときの状態をこういう風に記している。
 
 
禁欲の修行や道徳の修練では、人はけっして自己を越えることはできない。だが自己を越えないかぎりは、われわれが実在を探求する契機となった問題の解決を得る機会はない。自己はあますところなく放下されねばならない。自己性の臭いのする一切のもの、すなわち自己と非自己との対立の跡をとどめてはならぬのである。

 仏陀はこのことを、実際に身をもって知った。ある日、かれは坐から立とうとして立ち得なかった。必要な食物をとっていなかったので、おのれを支え得ぬほど衰弱していたのである。かれは、肉体が自己を主張し得ないほどその力を弱めようと、最小限度のものしか口にしていなかったのである。
 
 目的は達せられた。身体はひどく衰弱して、もはやおのれを支え得なかった。しかし、
実在と真理の問題は依然として未解決のままであった。肉体を苦しめることは解決に到る道ではなかった。

 そこでかれは思った、「もしかれが死ぬとしたら、問うものは問いを未解決のまま死んでしまうのだ」と。

 このすべてをふくむ問題の探求をつづけるべく、かれは食物をとり、健康と体力の回復をはかった。だが、今度はどう歩を進めたらよいのであろう。知性は解決を与えてくれなかった。禁欲苦行もあまり役に立たなかった。かれはなすべきすべを知らなかった。それなのに、この問いに答えを得たい思いは、いよいよ募るばかりであった。もしかれの心がもっと小さく、力弱かったら、この事態の重圧につぶれていただろう。このいわば絶体絶命の窮地に追いつめられて、かれの全存在が反応した。かれは、もはや解くべき問いもなく、敵に立ち向かう自己もないことを感じた。かれの自己が、かれの知性が、かれの全存在が問いの中に注ぎ込まれた。言いかえれば、かれはいまや問いそのものとなった。問う者と問いの区別、自己と非自己の区別は消えて、ただ一つの未分の「不知なるもの」があるのみだった。この「不知なるもの」の中に、かれはとけ入った。

 その光景を心に描いてみれば、そこにはもはや釈迦牟尼という問う者もなく、自我を意識する自己もなく、かれの知性に相対してかれの存在をおびやかす問いもなく、さらにまた、頭上を覆う天もなく、足下を支える地もなかった。もしわれわれが、そのとき仏陀のかたわらに立ち、かれの存在をのぞき込むことができたとしたら、そこに見出し得たものは、全宇宙を覆う一箇の大いなる疑問符のみであったろう。もしかれがそのとき何か心をもっていたと言い得るならば、かくのごときがかれの心の状態であった。

 かれはしばしの間、このような状態の中にあった。そしてふと空を見上げると、明の明星が見えた。またたく星の光がかれのまなこを射た。このことが、かれの全意識を平常の状態に引き戻した。あんなにも頑強に、あんなにも執拗にかれを苦しめた問いは、もはやまったく消え去ってしまった。すべてが新しい意味をもった。全世界が、いま、新しい光に輝いていた。


 まるで見てきたような嘘を平然と書く夢想家の面目躍如である。それに釈迦が問うたのは
実在と真理ではなく、もっと身近な生老病死の問題である。生老病死実在と真理という表現に言い換えたのは生老病死という単純な言い方より実在と真理と表現する方が道を求める者に対しては重量感があったからではないだろうか。しかし、釈迦が問題を解決しょうとしたのは生老病死の絶対に避けて通れない無常観であり、それを勝手に実在と真理と言い換えるのは一種の剽窃にも似た行為ではなかろうか。

 それに、釈迦は悟りに到達したときに、「貪りと、怒りに従う者たちに、この理法はよくさとることができないと言ったのである。釈迦が最終的に「問い」のままに終わったとしたら「理法」などと言う訳がない。

 釈迦が
生老病死の問題の解決に到ったものは、悠久の古より存立しているたった一つの「法」なのである。ゆえに祖師たちも「一法」とそのものを呼称する。それは、一般の人間にはすごく理解し難い物であり、あえてその内容を言うならば、それ説法者は説くことなく、示すことなし。それ聴法者は聞くことなく、得ることなし。といった内容の物で、だから釈迦も、「貪りと、怒りに従う者たちに、この理法はよくさとることができない」と言ったのである。

 次の問答は鈴木大拙が創作したものであるが悟ったにしてはあからさまに間違った問答である。

「禅とはなにか」と問うならば、禅匠は答えて言うであろう。「お前は誰か」
 問い「キリストは私を救い得るであろうか。また救いたもうであろうか。」
 答え「お前はまだ救われていない」
 問い「仏陀は本当に悟っていたのか。」あるいは、「<悟り>とは何か。」
 答え「お前は悟っていない」
 問い「達磨はインドから、どんな教えをもたらしたか。」
 答え「即今、お前はどこにいる。」


 道を問う者に対して悟りに到達した者は常に、
それ説法者は説くことなく、示すことなし。それ聴法者は聞くことなく、得ることなし。といった姿勢で臨まねばならないのである。だから「禅とはなにか」と問われたら「おまえは誰か」と問い返すよりも、洞山のように「麻3斤」とでも答えるか、もし真似るのが厭なら「禅とはなにか」と問われたら「禅」とでも答えておいたらいいのである。
 
「キリストは私を救い得るであろうか。また救いたもうであろうか。」 と問われて「お前はまだ救われていない」なんて答えは、禅的応答ではなく普通の質疑応答である。まだ「猿のケツは赤い」とでも答える方が禅的応答になる。

「仏陀は本当に悟っていたのか。」あるいは、「<悟り>とは何か。」と問われて「おまえは悟っていない」なんて答えはやはり悟った者の答えとしては不適当である。「わしは眠い」とでも答えるほうが道を求める者に対しての親切であり正答なのである。なぜなら道とは、
それ説法者は説くことなく、示すことなし。それ聴法者は聞くことなく、得ることなし。の物だからである。

「達磨はインドから、どんな教えをもたらしたか」と問われて「即今、お前はどこにいる。」の答えは、いかにも禅的応答のような感じだが何の意味合いもない無関係な答えである。質問者に対して親切に答えるならば、「腹が減ったら飯を食い、飯を食ったら食器を洗えと教えているのだ。」とでも答える方が正当なのである。なぜなら道とは、それ説法者は説くことなく、示すことなし。それ聴法者は聞くことなく、得ることなし。の物だからである。

 この一件だけでも大拙が悟りを開いたというのは真っ赤な偽りと言える。そして鈴木大拙は悟りをこう分析する。

 
道とは完全な“悟り”である。道について言えると同じことが、また“悟り”についても言い得る。われわれがそれに向う時、すなわち、それについて問いがなされる時、もはやそれは問う者の求めるところにはない。しかしながら、もし求めようとしないならば、すなわち、それを突きとめようとして特に心を傾けることがないならば、われわれはけっしてそれを把握することはできない。道は論理的理解力では届かない、思惟のいとなみの限界の外にある。つまるところは、われわれが流れの彼岸にとどまるかぎり、“悟り”には到り得ないということである。

 これを自分は「悟りの論理」と呼びたい。この“論理”が理解される時はじめて、われわれはより正しく、仏陀の成就した“悟り”の体験の問題を取り上げることができる。そしてこの仏陀の“悟り”の体験こそ、やがてインドにおいて、また中国において、さまざまの展開をみせた仏教の出発点なのである。


 大拙は、道は論理的理解力では届かない、思惟のいとなみの限界の外にある。つまるところは、われわれが
流れの彼岸にとどまるかぎり、“悟り”には到り得ないということである。

 ここで大拙は、勘違いをして記述しているので勝手に訂正するが、彼岸というのは向こう側の岸で悟りの境地のことを言うので、大拙が言いたかったのは、煩悩や迷いに満ちたこちら側の世界、流れの「此岸」(しがん)に留まる限りと書かねばならなかったはずである。”悟り”を開いたと自称する仏教学者が彼岸と此岸の区別を間違えるとは仏教学者としてあるまじき間違いである。

 そのことはさて置いて、しかし、思惟のいとなみの限界の外にあるという考えも誤りなのである。ここに一つの大きな壺が有りその中には、さまざまな人生の知恵の警句があるとする。一番分かり易いいろはかるたを例にとる。

 論より証拠、花より団子、骨折り損のくたびれ儲け、年寄りの冷や水、塵も積もれば山となる、老いては子に従え、旅は道連れ世は情け、良薬は口に苦し、猫に小判、楽あれば苦あり、昔とった杵柄、氏(うじ)より育ち、鬼に金棒、臭いものに蓋をする、安物買いの銭失い、負けるが勝ち、油断大敵、身から出た錆、餅は餅屋、急いては事を仕損じる、知らぬが仏。

 思いついた物を書いてみたが、このさまざまな警句と同様に壺の中にはまだまだ数知れぬ警句がゴマンとあるのだ。そのゴマンとある中に悟りに結びつくような警句もあるのだが多くの修行者たちは気づかないだけなのである。

 実際には「此岸」から「彼岸」を希求し幾人かはその目的を果たしたのであるから、われわれが流れの此岸にとどまるかぎり、“悟り”には到り得ないということである。という説はあきらかに間違っているのである。

 その“悟り”に結びつくような警句を発見することがいわゆる“悟り”に到達することになるのだが、なかなか発見できないのが事実である。発見できたら生老病死の問題は一気に解決するのである。
 
 
・・・・・問いを解くとは、それとひとつになることである。この一つになることが、そのもっとも深い意味において行われる時、問う者が問題を解こうと努めなくとも、解決はこの一体性の中から、おのずから生れてくる。その時、問いがみずからを解くのである。これが、「実在とは何か」という問いの解決についての仏教者の態度である。

 換言すれば、問う者が問いの外にあることをやめる時、すなわち、両者が一となる時、それらがその本来の状態にかえるとき、を言う。さらに言えば、それらが、まだ主体と客体の二つに分たれない原初の事態に立ち帰る時・・・分離が行われる以前、世界創造の以前・・・これが、論理的証明の形においてでなく、自己の現実の体験において。解決が可能となる時である。

 
 このような大拙の文言は独善的理論でしかない。ゆえに大拙が“悟り”に到達したといっているのは大いなる錯覚でしかない。その他にも大拙の論述には一貫性のないものが多々ある。
 
 問を解くとは、つまり悟りに到達するということは、問と一つになることをしきりに強調していた大拙が、今度は、
「悟りは人間の中に神が入り来たりて、そこで神が自己を意識するのである。この意識は人間意識の底に絶えず存する、超意識とも称すべき意識である」といって、今までの主張をコロっと変えて、悟りの格上げとしか思えないようなことを主張し出したことである。

 と、いうことは、これまでの悟りに対するさまざまな口上は何だったのかということになる。この一貫性のなさは何を物語っているのか。私には大拙が途方もない夢想家のように思える。
 
 これらの主張に対して異を唱えた禅僧が一人も出現しなかったことも私を驚愕させた。禅僧の多くは床の間の人形でしかなかった。明治以降悟りに到達した禅僧は皆無だったのでそれも止む無しと思わざるを得なかった。
 
 先ごろ死去した「知の巨人」といわれた梅原猛氏は鈴木大拙を「近代日本最大の仏教学者」と評したが、鈴木大拙の何を知ってそう評価したのか生きていれば聞きたいものである。「知の巨人」の汚点となる評価だったとしか言えない。

 文藝春秋 前社長の松井清人(きよんど)氏は先ごろネットで、一部の宗教学者がオウム真理教の麻原を宗教的に優れていると評価しオウム真理教にお墨付きを与えたことはさらに罪深いと、島田裕巳、吉本隆明、山折哲雄、栗本慎一郎等々の実名を挙げて批判したが、中でもチベット仏教の専門家として若い世代にも人気のある中沢新一氏は、『週刊SPA!』12月6日号で麻原と対談した上に「オウム真理教のどこが悪いのか」と麻原を庇った発言を『週刊ポスト』12月8日号に発表している。
 
 一連の事件で麻原が逮捕されたあと、島田裕巳氏のように過ちを認め、自分なりに総括を行った学者もいるが、その他の学者は沈黙を保っている。鈴木大拙は犯罪を犯してないので、麻原と同列に論じることはできないが、しかし、多くの修行者を誤った論理で誤った方向に進ませたことは、まったく罪のない行為といえるだろうか。

 現代は無名の私以外、真に悟りに到達した人物はいないが、いつの日か著名な人間で悟りに到達した人物が現れ鈴木大拙の論理を真っ向から否定し大拙の誤りを指摘したら、大拙に心酔した人物や賛同した人物は大いなる恥を掻くであろう。麻原を評価した人物が大いなる恥を掻いたように・・・・・。

 昨今、誰の言葉が真実で、誰の言葉が独善か、それさえ見極められない薄っぺらな学者が多いことを憂慮するばかりである。

 このページは大拙に関して新たな発見が見つかった場合は、良きにしろ悪しきにしろ更新することにします。 
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