BORTKIEWICZ, L. von,
Zur Berichtigug der grundlegenden theoretischen Konstruktion von Marx im dritten Band des "Kapital", im Jahrbücher für Nationalökonomie und Statistik, Bd.34, 1907, S.319-335

 ボルトキェヴィッチ「『資本論』第三巻におけるマルクスの基本的理論構造の修正について」(『国民経済学及び統計年報』1907年34巻所載)、初版。
 著者略歴:ボルトキェヴィッチBortkiewicz, Ladislaus von (1868-1931)。統計学者、経済学者。ロシアのサンクトペテルブルク生まれ。ポーランドの家系の出身である。ペテルブルグ大学卒業(1890)後、ドイツに渡りゲッチンゲン大学のレキシス(1892年博士号)、シュトラスブルグ大学のクナップの下で(1895-97私講師)理論統計学の研究を続ける。1899年一時帰国して、ペテルスブルグの専門学校に勤務。1901年ベルリン大学員外教授、1920年正式の教授に就任、終身その職にあった。
 統計学者としては、「レキシス以来の最も優れたドイツの統計学者」(シュンペーター、『十大経済学者』)とされる。事故のような事象がポアソン分布に従うことを発見した「少数の法則」の発見者である。彼が、プロシアの軍団で、軍団当たりの年間に馬に蹴られて死んだ兵士の数を調べて、この法則を得たエピソードはよく知られる。唯一の単行本とされる確率に関する『反復事象論』Die Iterationen,1917がある。またパンフレット『確率論的研究の対象としての放射線』1913も出している。
 経済学者としては、なによりもマルクスの生産価格論の批判的研究で知られる。第一論文は「マルクス体系の価値計算と価格計算」(邦訳題「マルクス価値学説批判」)Wertrechnung und Preisrechnung im Marxschen System 1906-07であり、第二論文はここに取りあげた「『資本論』第三巻におけるマルクスの基本的理論構造の修正について」1907である。これらの論文は、スウィージー『資本主義経済発展の理論』1942に紹介され、世に広く知られることとなった。これにより、いわゆる「転形問題」論争が開始した。
 またマルクスの「絶対地代」を批判した論文「ロベルトゥスの地代理論とマルクスの絶対地代理論」Die Rodbertus'schen Grundrententheorie und die Marxsche Lehre von der absoluten Grundrente 1910-11も良く知られている。

 マルクス『資本論』第一巻の価値の規定と第三巻での現実に取引される価格との矛盾を巡り、価値から価格への転形(転化、メタモルフォーゼ)いわゆる「転形問題」の火付け役となった論文である。

 (マルクスの転形法)
 ボルトキェヴィッチの論文に入る前に、まずマルクスの転形問題の解決法をみる。『資本論』第三巻「第九章 一般利潤率の形成と商品価値の生産価格への転化」に記載のものである。まず、5部門からなる価値計算の表が掲げられている。ここでは、それとは別の数字からなる下の5部門表(表1)作ってみた。
*ボルトキェヴィッチの表(3部門)との整合性をもたせたるため、以下の2点でマルクス自身の価値計算表と性質を異にしている。第一に、マルクス作成の例表は、不変資本が生産期間に全部消費されないで、その一部のみが投入される生産形式になっている。生産物の価値には、不変資本の消費分価値のみが移行し、利潤率には全資本価値が関係することを明示したかったのかと推定される。これでは、価値から価格への転化を考えるには、いたずらに複雑になるだけなので、不変資本は生産期間に全額消費されるとした。従って、費用価格は、不変資本+可変資本に等しい。第二に、マルクスは、剰余価値率を1(100%)としているが、剰余価値率は2/3とした。
 「表1」の各部門は、異なった不変資本 c と可変資本 v の割合、すなわち異なった有機的構成をもっている。同一部門内では各産業が同一の有機的構成からなるものとする。あるいは、同じ有機的構成を持つ産業を1部門に統合したと考えてもよいだろう。同じ剰余価値率(搾取率)m /v の下でも、資本の有機的構成 c /v の相違によって、各部門の利潤率 m /(c +v ) にはバラツキが出る。利潤率のばらつきの原因は二つある。一つは、利潤率の分子をなす剰余価値 m (利潤に同じ)を生む可変資本の差異である(剰余価値率 m /v は一定と仮定されている)。いま一つは利潤率の分母をなす費用価格(+)の差異である。利潤率に差異があれば、資本家はより高い利潤率を求めて、高利潤率部門に資本を移動させるだろう。
 ところで、「表1」の5部門計の投下資本総額は375であり、それらから生じた剰余価値総額は200である。仮に375の資本を一つの資本とし、Ⅰ~Ⅴの資本はその一部と見なせば、表1の最下段行のように資本の平均構成が求められる。平均利潤率は29.63%である。

  (表1) 価値計算
   不変資本  可変資本  剰余価値率  剰余価値  利潤率  商品価値  費用価格
 *  c  v  m/v  m  m/(c+v)  c+v+m  c+v
   125  60  66.6%  40  21.6%  225  185
   100
 30  66.6%  20  15.4%  150  130
   75  60  66.6%  40  29.6%  175  135
   25  60  66.6%  40  47.1%  125  85
   50  90  66.6%  60  40.0%  200  140
 合計  375  300    200    875  675
 平均  75  60    40  29.63%  175  

 (表1)のさまざまな部門の利潤率は、競争を通じて、すべての平均である一般利潤率 p に均等化されてくる。その結果、利潤は p ( +v ) となり、商品の生産価格は費用価格 c +v と利潤 p +v ) の合計 (c +v )(1+p ) となる。「商品の生産価格は、商品の費用価格プラス一般利潤率にしたがって百分比で費用価格に付加された利潤、すなわち商品の費用価格プラス平均利潤に等しい」(マルクス、1974、p.791-792)。それらが(表2)に示してある。ちなみに、マルクスの自身の表にならい、(表2)では生産価格を「商品価格」と表記している。
 たまたま資本の有機的構成が社会全体のそれに一致する(Ⅲ)部門以外は、価値と価格は一般に乖離する。しかし、乖離額総計はゼロとなる[ たまたま乖離幅が対称的になっているのは、私の作例がまずいからである ]。総剰余価値=総利潤であり、総価値=総価格であるゆえである。
 一般利潤率成立の過程は、(表1)の総剰余価値200を総資本(総費用価格)675に対する部門別資本(費用価格)の占率で分配する過程ともみられる。総剰余価値をM、総可変資本をC、総可変資本をV とするなら、一般利潤率 p M / (C +V ) であることを考えると、利潤は p ( +v ) = [M / (C +V )]×(c +v ) = M × [ (c +v ) / (C +V ) ] となる。利潤は、総剰余価値に部門別資本占率を乗じたものなのだ。ここで、小文字のアルファベットは部門別の数字を表していることを付け加えておく [ 添え字 i を付けるのを省略している。念のため ] 。

  (表2) マルクスの価格計算
  不変資本 可変資本 剰余価値 商品価値 費用価格 *利潤 利潤率 商品価格 価値からのずれ *資本の有機的構成 
 *  c  v  m c+v+m c+v p(c+v)  p  c+v+
p(c+v)  
p(c+v)
 -m
c/v
   125  60  40  225  185  54.8  29.63%  239.8 +14.8  2.08
 100
 30  20  150  130  38.5  29.63%  168.5 +18.5  3.33
   75  60  40  175  135  40.0  29.63%  175  0  1.25
   25  60  40  125  85  25.2  29.63%  110.2 -14.8  0.42
   50  90  60  200  140  41.5  29.63%  181.5 -18.5
 0.56
 合計  375  300  200  875  675      874.8  0  
 平均  75  60  40  175    40.0  29.63%  175    1.25
 *を付した欄はマルクスの表にはない

 こうして、一般利潤率成立過程は、いわば総剰余価値のプールから、各部門に資本量に応じて剰余価値を利潤として分配する形となる。『資本論』(マルクス、1974、p.792)から引いてみよう、「さまざまな生産部面の資本家たちは、自分の商品を売るばあい、この商品の生産に消費された資本価値は回収するけれども、自分自身の生産部面でこの商品の生産のさい生産された剰余価値は、それゆえ利潤はこれをとりもどさず、すべての生産部面をひっくるめた社会の全資本によって所与の期間に生産される全剰余価値または利潤のうちから全資本のどの分割割合にも均等に配分される剰余価値を、それゆえ利潤をとりもどすにすぎない」。資本家は株式会社の株主が出資割合に応じて利潤の分け前を受け取るようだともいう。「利潤のほうは、この特定の生産部面におけるこの特定の資本によって所与の期間内に生産される利潤には依存しないで、全生産に使用された社会の全資本の分割部分としての各使用資本に所与の期間内に平均して帰属する利潤量に依存している」(同、p.793)。マルクスの資本家は利潤を自己の資本よりも他の資本家の資本に存しているとベーム・バヴェルクは評した。以上がマルクスの価値から価格への転形への解法である。
 次にマルクスの解法をスウィージーの本を参考にして、代数式で表してみる。
 まず、全部門を価値表示する。
  Ⅰ  c1 + v1 + m1 = w1
  Ⅱ  c2 + v2 + m2 = w2
   ・  ・ ・ ・
  Ⅴ  c5 + v5 + m5. = w5
  -----------------------
  C + V + M = W
ここで、平均利潤率(一般利潤率) p は、総資本(総費用価格)に対する総剰余価値の比率であるから、
  p = M / (C + V )
となる。この p を使って価値表現 wi を価格表現 Pi に転形すると、以下のようになる。
  Ⅰ  c1 + v1 + p (c1 + v1) = P1
  Ⅱ  c2 + v2 + p (c2 + v2) = P2
   ・ ・ ・ ・
  Ⅴ  c5 + v5 + p (c5 + v5) = P5
 -----------------------
    C + V + p (C + V ) = P
 このとき、スウィージー(1967、p.138)は、「いうまでもなく p (C + V ) = SM のこと:引用者)であって、それは総剰余価値は総利潤と一致し、かつ総価値は総価格に一等しいことを意味する」と書いているが、話は逆でむしろ上記で平均利潤率を出すときに、総剰余価値は総利潤に等しいことが前提とされているのである。何しろ、マルクス(1974、p.801)は「第一篇でみたように、剰余価値と利潤は、量から見れば、同じである」と考えているのである。総価値=総価格となるのはは、総剰余価値=総利潤の結果である。
 ちなみに、以上がスウィージーをはじめ多くの論者によって、マルクスの転形方法あるいは生産価格論とされるものである。『資本論』第三巻(マルクス、1974、p.797:強調原文)でも、「第一巻と第二巻では、われわれは商品の価値しか扱わなかった。いまや一方では、この価値の一部として費用価格が分泌され、他方では、価値の転化形態としての商品の生産価格が展開された」という。しかしマルクスの生産価格は現実の交換価格ではない、価値の一形態だとする論者も(メイ論文:『論争・転形問題』所収)いるが、それではマルクスは「転形」を論じていないことになる。

  (マルクス転形法への疑問点と補足)
 疑問といっても、私の素朴な疑念である。理解が足りないだけかもしれない。マルクスの転形法でまず気が付くのは、価値と価格が互換可能な数字として区別なく用いられていることである。特に投入量でそうである。マルクス作成の表の表示でも、c +v +m は商品価値とされているのに、c +v は費用価格なのである。同じc v が価値ともされ、価格ともされているのである。マルクス作例の数字が無名数(単位表示なし)であるのが、よりその印象を強めているのかもしれない。
 けれども、投入量はやはり価値単位であると思われる。マルクス『資本論』(1973、p.463:強調引用者)によると、価値は「さまざまな形態、さまざまな運動を経過するのであって、この運動の中で維持されると同時に増殖され増大されるのである」。ヒルファディング(1969、p.161:強調引用者)はもっと明確に、価値は「労働一般が一つの客観的大きさをもち、それの時間的継続によって度量されるという事実」に依存しているとする。それを承知した上で、ウィンターニッツ(1978、p.26)のように「もしも等価交換が行われ、価格がそのさい均等な利潤率が成立するように変化するというような状態から出発するとすれば、マルクスの計算法は有効である」といえるだろう。たとえて言えば、前期に生産された商品を期首に等価交換し、生産に投入して一般利潤率を乗せて販売する場合か。
 しかしながら、ウィンターニッツがすぐ続けていうように、「資本が一回転する間に価格が変化し、さらに利潤率の計算において、以前の価格水準が一般的であったときに生産に投下された資本(主として固定資本)の価値と、後の異なった水準でのそれが比較されなければならないということは、普通におこることである」(一部改訳)。資本制の下では、資本家は、投入商品価格に新しい価格水準を適用して、利潤率を計算しなければならない。
 同じことをミークは次のように説く。価値から価格への転形に関するマルクスの議論は2段階ある。「かれは、第1段階では慎重に当該諸商品のどれ1つとして他のどの商品の生産にもはいりこまないという仮定をして、「5つの違った生産部門」を取りあげている」(ミーク、1978、p.48)。しかし、投入物の価値も、生産物の価値と一緒に生産価格に転化するのであれば、第1段階の議論は不充分である。諸部門が、生産において相互に依存しあうという複雑な問題が出てくる。「しかしながら、マルクスがこのもっと困難なばあいをまったく無視したというのはまちがいであろう。逆に、それについてのマルクスの検討は、決して厳密ではないけれども、私が右に述べた彼の議論の第2段階を構成していると言いうるのに十分なほど系統だった形が与えられていたのである」(同、p.49)と。なるほど、確かにマルクスは「第二段階」を認識し議論はしている(私には十分とは思えないものの)けれども、その解決は放棄している。再び、『資本論』(1974、p.799)から引用しよう。「商品の生産価格は、その商品の買い手にとっては、その商品の費用価格であり、したがって費用価格として他の商品の価格形成に入るといってよい。生産価格は商品の価値からずれることがあるのだから、[中略]費用価格のこういう修正された意味を心にとめておくことが、それゆえ、個々の生産部面において商品の費用価格がその商品の生産に消費された生産手段の価値に等しいとされるなら、つねに誤りが起こりうるということを心にとめておくことが、必要である。われわれの当面の研究にとっては、これ以上この点に立ち入る必要はない」と。
 マルクスが「これ以上この点に立ち入る必要はない」としたところに、まさに「転形問題」が存在するのである。ある部門の商品生産の費用価格に他部門商品の生産価格が入りこむ、あるいは生産価格に自己部門の利益のみならずに他部門の利潤が入りこむ、これを解決するには投入物の価格と産出物の価格が同時決定されねばならない。一般均衡論の登場である。しかし、なぜか転形問題を論じる論文には、「一般均衡論」という言葉は出て来ない。「ブルジョア経済学」の言葉は使用したくないということだろうか。形式的には、数本の連立方程式体系を解くことによって答えは求められる。ボルトキェヴィッチがその嚆矢である。

 (ボルトキェヴィッチの転形法)
 ボルトキェヴィッチ連立方程式体系のモデルを採用するに当たり、次の仮定をおく。
(1) 全資本は年1回転である。
(2) 3部門構成である。第1部門が生産手段生産部門(生産財部門)、第2部が労働者の消費財生産部門(賃金財部門)、第3が資本家の消費財生産部門(奢侈財部門)である。
(3) 単純再生産体系である。
 「特殊的ケースにおいては正しくない議論は、とうていその一般的正当性を主張することはできない」(ボルトキェヴィッチ、1969、p.229)との著者の言い分は(1)の仮定に附されたものであるが、(3)の仮定にもあてはまるであろう。マルクスは再生産論を扱った第二巻では主として2部門分析を、転化問題を扱った第三巻では5部門分析を使用していた。マルクスも第二巻で使っていた例はあるにせよ、ボルトキェヴィッチが3部門分析を使うのは、不変資本、可変資本、剰余価値の3区分に対応するからであろう。単純再生産構造が定式化しやすいのである。
 上記の「マルクスの解」における5部門分析での生産の価値表示方程式は3部門にすると、
  Ⅰ c1 + v1 + m1 = w1
  Ⅱ c2 + v2 + m2 = w2
  Ⅲ c3 + v3 + m3 = w3
 となる。
 ここで、各部門生産物の内容(生産財、賃金財、奢侈財)を考慮して、単純再生産の条件を取り入れると、
  Ⅰ c1 + v1 + m1 = c1 + c2 + c3 
  Ⅱ c2 + v2 + m2 = v1 + v2 + v3
  Ⅲ c3 + v3 + m3 = m1 + m2 + m3 
 となる。3部門の需給均衡式である。各式(部門)の左辺が投入あるいは需要、右辺が産出あるいは供給をあらわす(価値表示)からである。
  いま、「第一部門の生産物の価格と価値のとの関係が、(平均して)x 対1、第二部門の場合は、 対1、そして第三部門の場合は、 対1であるとしよう」(ボルトキェヴィッチ、1969、p.231)。平均利潤率をρ とすると、上記単純再生産の条件式は「価値量から価格量への正しい転化」(同)をとげて、すなわち投入・産出共に価格表示されて、
  Ⅰ (1+ρ)(c1 x + v1 y ) = (c1 + c2 + c3 ) x
  Ⅱ (1+ρ)(c2 x + v2 y ) = (v1 + v2 + v3 ) y
  Ⅲ (1+ρ)(c3 x + v3 y ) = (m1 + m2 + m3 ) z
となる。こうして、4つの未知数 xyz、ρに対するに3つの方程式を持つことになる。この方程式を解くためには、方程式の数を一つ増やすか、未知数を一つ減らさなければならない。ボルトキェヴィッチは後者を選択した。第三部門の商品をニュメレールに選ぶ。金を想定したものである。z =1と置くのである。こうして未知数が一つ減る。
 価格表示は、円でも、ドルでもポンドでも自由に選ぶことができる。z =1 と置くことは、第三部門の商品を1単位を生産するのに必要な(社会的)労働時間数を価格表示の単位とすることになる。例えば、第一、第二、第三部門の価格を各100円、40円、80円とする。第三部門(奢侈品)の価値(労働時間)が40(時間)だとすると、z = 2 であり、x = 2.5 、 = 1 となる。ここで z = 1 とすると、x = 1.25 y = 0.5 となり、新ニュメレールを(実在しないとのこころで)フランと呼ぶと、各部門の価格は、50フラン、20フラン、40フランとなる。フランは価値と同額であり、呼称単位は変わっても交換比率は 5:2:4 で不変である――のようなものか。
 ここまで示せれば、後は実際の解を求める手続きだけである。幸い二次方程式の解の公式という中学の数学知識だけで済ませることができる。その解の性質から、ボルトキェヴィッチは、第三部門の資本の有機的構成は、一般利潤率の決定になんら関与しないとの注目すべき結論を導出する。しかし、以下の解を求める数式の展開には原理的な問題はないから、次の数値例の所まで読み飛ばしてもらっても差し支えない。
 ちなみに、ボルトキェヴィッチは未知数を減らす方法を選択したが、方程式を増やす方法として、総価値=総価格の条件式を導入する方法があることも示している。これは、ウィンターニッツ論文(『論争・転形問題』所収)が、マルクスの思想に忠実な方法として取り上げている。

 上記の需給均等式のままで解を求めるとごたつくので、ボルトキェヴィッチは簡便化のために次の表現を導入する。
  f1 = v1 /c1     g1 = (v1+ c1+ m1) / c1
  f2 = v2 /c2     g2 = (v2+ c2+ m2) / c2
  f3 = v3 /c3     g3 = (v3+ c3+ m3) / c3
 そして、1+ρ= σ
 そうすると、上記の価値から価格への転化式は、併せて需給均等式も考えると、次の方程式となる
  Ⅰ  σ (x + f1 y ) = g1 x
  Ⅱ  σ (x + f2 y ) = g2 x
  Ⅲ  σ (x + f3 y ) = g3 x
 この方程式を解くと、結果は次のとおりとなる。[次の式だけ数式ソフトを使用したため の書体が変る場合がある]
  
  y =3 / [ g2 +(f3 - f2 )σ ]
  x = f1 y σ / (g1 - σ )
先に、「第三部門の資本の有機的構成は、一般利潤率の決定になんら関与しない」との結論をボルトキェヴィッチが導いたと書いたのは、上記σ(平均利潤率+1)の式には、g3 f3 が入っていないことをいう。

 次に、マルクスが使用したような数字例で転形形態をみてみる。数字は、ボルトキェヴィッチが作成したものである。最初は、価値計算の(表3)からはじまる。もちろん3部門構成である。先にあげたマルクス流の価値表(表1)の第Ⅰ部門と、第Ⅱ部門の合計が(表3)の第Ⅱ部門の数字になり、(表1)の第Ⅲ部門と第Ⅳ部門の合計が(表3)の第Ⅱ部門となっているのは、(表3)のⅡ、Ⅲ部門を分解して(表1)を作成したからである。ボルトキェヴィッチは、単純再生産を仮定したから、各部門の生産物価値が、それぞれ可変資本、不変資本と剰余価値の合計に一致している(5行と、5列の数字が対応している)。

 (表3)ボルトキェヴィッチの価値計算
 生産部門  不変資本  可変資本  剰余価値  生産物の価値
   225  90  60  375
   100
 120  80  300
  50  90  60  200
 総計  375  300  200  875

 (表3)の数字を元に、先のマルクスの転形方式を適用すれば、その結果は(表4)となる。一般利潤率が29.63%(8/27)だから、費用価格に利潤を加えるとこのようになる。この表では、再生産の条件が破壊されている。5行と、5列の数字が対応していないからである。

 (表4)ボルトキェヴィッチの価値表のMARX転形法による価格計算
 生産部門  不変資本  可変資本  利潤  生産物の価格
   225  90 93 9/27 408 9/27
   100
 120 65 5/27 285 5/27
  505  90 41 13/27 181 13/27
 総計  375  300  200  875
 (注)端数を小数を使わず分数で示したのは、ボルトキェヴィッチの作例数字のままである。

 そこで、ボルトキェヴィッチの転形手続きを適用する。具体的には、c1 = 225, c2 = 100, c3 = 50, v1 = 90, v2 = 120, v3 = 90, m1 = 60, m2 = 80, m3 = 60 を使って、上記ボルトキェヴィッチの figi を求める。それらを解の公式に入れると、σ = 5/4 (ρ = 1/4)、 = 16/15、= 32/25 が得られる。こうして、x の値を不変資本の価値に乗じ、y の値を可変資本の価値に乗じて、投入物の価値を価格に転形する。次に、投入物価格に利潤率 ρ を乗じたものが利潤となる。生産物の価格は投入物価格に利潤を加えたものである。当然のことながらもの表は再生産の条件を満足させている。

 (表5)ボルトキェヴィッチの価格計算
 生産部門  不変資本  可変資本  利潤  生産物の価格
   288  96 96  480
   128
 128  64  320
  64  96 40  200
 総計  480  320  200 1,000

 (ボルトキェヴィッチ転形法への疑問と補足)
 ボルトキェヴィッチは、価値と価格に一定の比例関係があるとしている。しかし、はたして比例関係は、一定なのであろうか。ドルと円の換算のように単純な比例関係とは思われない。質料と重さが地球上でもことなるように、価値と価格には単純な関係はないのではないかとの疑問が湧く。
 しかし、社会科学では二物の関係は、数学的な処理のし易さから線形(比例)関係と仮定されることが多い。「価値と価格」は、「重さと価格」のように、一次的接近として、ほぼ比例すると考えても良いのかもしれない。商品の数量は、石油、小麦の如く重量(トン)で計量するものが多いからである(もっとも、バレル、ブッシェル等容量でも計量されるが)。そして、何よりも、この比例係数 xyz を導入したことがボルトキェヴィッチの偉大な功績だと思えるので、単純化は瑕瑾だとすべきであろう。
 もう一点は、H・D・ディキンソン覚書(これも『論争・転形問題』に収められている)が気になっている。彼は言う、価格は二物の交換比率であり、価格の絶対値は必要ないという観点からは、方程式と未知数の数は合っている。第4の条件を求めて、あえて、1商品を価格基準としたり、総価値=総価格の方程式を追加したりする必要はないというものである。この覚書は1ページくらいの小品であるので、私の理解するところを書き加えてみる。
  xyz は3つの異なる独立変数ではなく「ただその比率だけが重要なのであり、その比率だけが決定される必要があるのである」とディキンソン(1978、p.62)はいう。価格の絶対値はどうでもよい。リカード価値論を批判したベイリーは、価値はあくまで交換比率で絶対的なものではないと主張した。価値は相対概念で、2点間の距離のごとく2商品がないと測定できないとした。ここでは、ベイリーのいう価値を価格とすれば理解しやすい。彼は、貨幣価格・穀物価格・布価格はみな平等だとした。
 ボルトキェヴィの方程式を巡って、スウィージーやウィンターニッツは、鬼火の第4式を求めてきた。しかしながら、「実際には、ただ3つの未知数すなわち利潤率と x : y : z の二つ比率があるだけである。それらは3つの方程式から決定できる。第4の条件は必要ない」とディキンソン(同)は断言する。転形問題では、3つの商品相互の交換比率、x /yx /zy /z を求めることが必要である。しかし、その一つは他の2つから求められる。x /y = x /z ÷ y /z のごとし。よって、利潤率と交換比率のうちの2つの計3つが、未知数となる意味であろう。
 以上のことは、言い方を換えれば、必要に応じて何をニュメレールに選択しても良いということであろう。第三部門を代表する金の価格やあるいは(賃金財だから安定している理由で)第二部門の商品価格を1とするだけでなく、どの商品価格も同等に1として未知数を減らすことが可能だということでないか。

 ドイツの古書店からの購入。Jahrbücher für Nationalökonomie und Statistik Bd.34の形態での購入である。
 今回調べてみると、ボルトキェヴィッチの論文は他に、”Die Theorie Der Bevölkerungs- und Moralstatistik Nach Lexis”1904(サイン入り)、Der Kardinalfehler der Böhm-Bawerkschen Zintheorie”1906、および"Die Rodbertus'sche Grundrententheorie und die Marx'sche Lehre von der absoluten Grundrente"1910-11(2冊も!)を私蔵していることが判った。いずれも別刷(Sonderabdruck、Abdruck)形態である。この有名な論文も別刷りの形態があると思うのであるが、見出せずに待ちきれずこの形態で購入した。
 CiNiiでは、一橋大学図書館のタイプ複写(typescript)と大阪市大図書館のExtract from(切り取り?)の蔵書だけしか見出せないので、別刷が存在するかは不明のまま。


 (参考文献)
  1. ウィンターニッツ、J 桜井毅訳 「価値と価格 いわゆる転形問題の一解法」(伊藤誠・桜井毅・山口重克編訳 『論争・転形問題 価値と生産価格』 東京大学出版会、1978年 所収))
  2. シュムペーター 中山伊知郎・東畑精一訳 『十大経済学者 マルクスからケインズまで』 日本評論社、1952年
  3. スウィージー、P・M 都留重人訳 『資本主義発展の理論』 新評論、1967年
  4. ディキンソン、H・D 桜井毅訳 「ミークの「転形問題への覚書」へのコメント」(『論争・転形問題』、1978年 所収)
  5. ヒルファディング 玉野井芳郎・石垣博美訳 「ベーム=バウェルクのマルクス批判」(P.M.スウィージー編 『論争・マルクス経済学』 法政大学出版局、1969年 所収)
  6. ベイリー、サミュエル著 鈴木鴻一郎訳 『リカアド価値論の批判』日本評論社 1941年
  7. ボルトキェヴィッチ 「『資本論』第三巻におけるマルクスの基本的理論構造の修正について」( 『論争・マルクス経済学』 、1969年 所収)
  8. マルクス・エンゲルス 鈴木鴻一郎他訳『資本論―経済学批判 第一巻、第二巻』(世界の名著 43) 中央公論社、1973年
  9. マルクス・エンゲルス 鈴木鴻一郎他訳『資本論―経済学批判 第三巻』(世界の名著 44) 中央公論社、1974年
  10. ミーク、R・L 時永淑訳 「転形問題についての若干の覚書」(『論争・転形問題』、1978 年所収)
  11. メイ、K 山口重克訳 「価値と生産価格 ウィンターニッツの解法についての覚書」(『論争・転形問題』、1978年 所収)

 
 『国民経済学及び統計年報』1907年34巻
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(2020/8/24記)


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